「怒り」 吉田修一 中央公論新社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
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若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。

犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。

そして事件から一年後の夏。

房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。

 

 

怒り(上) (中公文庫)

 

 

「これってミステリなのかな?」

 

「うーん。トリックとか犯人捜しとか、そういう謎をメインに据えた物語ではないから、ミステリと呼ぶには少し違和感があるな。犯罪小説、って言う方がピンとくるかもしれない」

 

「犯罪小説…かあ。定義が難しいね」

 

「ある犯罪を物語の軸に置いているという点では本格ミステリと同じなんだけど、本格がその犯罪にまつわる謎を解くという部分に特化しているのに対して、犯罪小説はその犯罪にまつわる『人間模様』を中心に描いているというイメージかな。うーん……自分で言っていてもピンときていないけど」


「この小説には謎はない?」

 

「いや、あるよ。房総、沖縄、東京…と三つの都市にあらわれた正体不明の男。この男のうち、誰が逃亡殺人犯である山神なのか、というのがこの物語の最大の謎」

 

「ただ、その謎解きに重きがおかれていないってことなんだね」

 

「そうだな。もちろん、それが物語の最大の謎ではあるんだけど、そこが物語の眼目ではない」

 

「と言うと?」

 

「たとえば房総に現れた正体不明の男は港町で働く女性、愛子と恋仲になる」

 

「映画では宮崎あおいさんだね」

 

「作中ではあまり愛子は美人として描写されていないけどな。まあ、それはいいとして、東京で悪い男に騙され、ボロボロになって帰郷した愛子にとって、再び恋をした男が殺人犯だったらショックなんてもんじゃないよな?」

 

「そうだねえ」

 

「相手のことを信じたい。でも本当に信じていいのかわからない。愛子のそんな葛藤と、愛子を見守る父親の不安…それがひしひしと伝わってくるんだ」

 

「犯罪を中心にして人間を描く、っていうのはそういうことなんだね」

 

「東京ではゲイの男が、最近同居し始めた男の正体に不信感を抱く。でもそれを相手にぶつける勇気はない」

 

「これは映画では妻夫木聡さんだね」

 

「映画の配役で言うと、最後は広瀬すずさん。孤島で隠れ住んでいる男と知り合いになる」

 

「……さすがに、これは怪しすぎない? だって人目を避けて隠れ住んでいるんでしょ?」

 

「しかもすずちゃんに『誰にも言わないで』とか口止めするしな」

 

「うーん。ますます怪しい」

 

「で、ミステリ的面白さで言うと、この三人の中で誰が逃亡犯かという話なんだけど」

 

「誰? 誰?」

 

「言わねーよ。ネタバラシになるしな」

 

「えー」

 

「少しだけ言うと、後味は良くない。誰がそうだとしても信じていた人間が裏切られる結果になるのだから、後味が良くないのは最初からわかっていたことだけどそれにしても、だ。暗い犯罪小説であることは間違いないし、同じく映画化した『悪人』と似た読み味があるから、そういうのが好きな人にはオススメかもしれない」

 

「吉田修一さんらしいとも言えるね」

 

「そうだな」

 

「映画も同じなのかな」

 

「観てないから何とも言えないけどな。個人的にはソイツが逃亡犯じゃなくて、コイツの方が絵になるんじゃないかなあって思ったのはあるけど」

 

「予想外ってこと?」

 

「まあ読んでみてくれよ。抜群に面白い作品ではないけれど決して退屈はしないから。予想外と言う意味では、タイトルの『怒り』が最後までよくわかんねーところが一番予想外かな(笑)」