「使命と魂のリミット」 東野圭吾 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

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本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

心臓外科医を目指す夕紀は、誰にも言えないある目的を胸に秘めていた。

その目的を果たすべき日に、手術室を前代未聞の危機が襲う。

あの日、手術室で何があったのか。

今日、何が起きるのか。



使命と魂のリミット (角川文庫)



※物語の核心部分に触れていますので未読の方はストップで。




日本を代表する大企業アリマ自動車のトップである島原総一郎が、


大動脈瘤の手術のため、帝都大学病院に入院した。


島原の執刀を行うのは、病院でも指折りの権威である西園。


本来であれば、なんでもないはずの手術に対して、二つの想いが交錯する。



ひとつは、最愛の父親を失った夕紀の想い。


父が死ぬことになったその手術を執刀したのは、母親の再婚相手である西園。


まして西園は自分の息子を警察官であった父の追跡によって亡くしている。


夕紀が西園を疑う要素は充分にある。


夕紀のような特殊な条件下でなくとも、病院で身内を亡くした遺族というのはその原因を医療体制に求めたくなる。


もっと言えば、患者が亡くなっていなくとも、ちょっとでも病院に不信感を抱けば、一般の人は疑心暗鬼になる。


祖父母を亡くした僕にもその経験がある。


なぜなら、医療というのは一般人には決して理解のできない未知の領域だからだ。


自分ではどうすることもできないから、全面的に医師に委ねる以外にはない。


それが何であれ実生活の中で、百パーセントを他人に委ねるということはそう多くはない。


まして、委ねるものが自分の身体であれば、どんな小さなことでも不安の種になってしまうのは当然のことだ。


夕紀は幸いにも、西園の手術を実際に見ることで、彼が自分の使命を放棄するような人間ではないと確信することができた。


けれど、一般の人たちが医師を全面的に信用するきっかけはあまりない。


だから、できることなら、医療に携わるすべての人たちは、そういう不安があることをわかって欲しい。


そして、そういう不安を取り除く努力をして欲しい。




この手術に対するもうひとつの想い。それは「復讐」。


奇麗事を言うようではあるが、僕は復讐には反対だ。


もちろん、直井の感情は理解できる。


最愛の女性を失った喪失感を何かにぶつけなければ、辛くて仕方がないという気持ちは誰にだってわかるだろう。



だけど、復讐が何かを生み出すなんて思えない。


もし、今回の計画がうまくいったとして、直井自身も警察に捕まらなかったとして、それで何かが変わるだろうか?


その後、直井は笑顔で生きていけるのか?


希望を失い、関係のない人たちも巻き込んで、それで直井のように心の優しい人間が普通に生きていけるだろうか。


直井のような極限に追い込まれた人間が後先など考えるわけはないことも知っている。


恋人を失った時点で笑顔で後の人生を送りたいなんて夢は捨ててしまっていることもわかっている。


だけど、それでも直井のような人間には復讐に凝り固まって、不幸な人生は送ってもらいたくなかった。


だから、直井が望と七尾の説得によって、犯行を中断してくれたのにはホッとした。


ただ、そう思う一方では島原には報いを受けてもらいたいとも思った。



だから、その後、責任を感じて島原が退任したとか、そんな一文があればもっと嬉しかったのだけれど。