「私が語りはじめた彼は」 三浦しをん 新潮社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

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本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

私は、彼の何を知っているというのか? 彼は私に何を求めていたのだろう? 大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘――それぞれに闇を抱えた「私」は、何かを強く求め続けていた。だがそれは愛というようなものだったのか……。
「私」は彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、連作長編。



私が語りはじめた彼は (新潮文庫)




この物語は村川融という大学教授をめぐる人々の物語だ。



彼を中心としたいくつもの同心円。


いや、違うか。彼という太陽を中心として回る衛星たち。


うーんそれもまた違うな。


村川融というボールに弾き飛ばされてくるくると回るボウリングのピン?


いやいや。


村川融はそこまで活動的、積極的な感じはしないし。



何というか、彼自身は超然と座っているだけで、


周りの人間がただひたすら勝手に翻弄されているような感じなんだよな。


そもそもの話をすれば、村川融という男が僕にはそれほど魅力的な人間に思えない。


なぜ、誰も彼もが村川融のことをこれほどまでに気にするのか。



モテる人間というのはそういうものだと言われれば、まあそうなのかもしれない。


明確に魅力がわかるようなタイプは、その実、そうはモテないのかもしれない。

(ま、これも極端な話だが)


村川融のように、どこがどうというわけでもないのに妙にモテる男というのは確かに存在する。


で、物語そのものもどこがどうという話でもない。


連作短編なのだが、村川融関係ないじゃんという短編も含まれている。



だが、妙に面白い。


三浦しをんさんの文章が抜群に巧いせいもある。


彼女の表現というのは一種独特で誰にも真似できないようなものだけど、

(そもそもそのセンスはタイトルにも表れている。「私が語りはじめた彼は」というのは非凡そのものだ)


だがそれだけではない。



それだけではないけれど、どこがどうとか説明できない。


僕の表現が稚拙だという事実は否めないが、


この物語の感想をうまく書けない理由は、


村川融の魅力がどこにあるのかうまく言えないのと同じことだ。



さて。これで何か伝わっただろうか。

(伝わらないよなあ…)