「青の炎」 貴志祐介 角川書店 ★★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

櫛森秀一は、湘南の高校に通う17歳。

女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹との三人暮らし。

その平和な家庭の一家団欒を踏みにじる闖入者が現れた。

母が十年前、再婚しすぐに別れた男、曾根。

曾根は秀一の家に居座って傍若無人に振る舞い、母の体のみならず妹にまで手を出そうとしていた。

警察も法律も家族の幸せを取り返してはくれないことを知った秀一は決意する。

自らの手で曾根を葬り去ることを…。

完全犯罪に挑む少年の孤独な戦い。

その哀切な心象風景を精妙な筆致で描き上げた、日本ミステリ史に残る感動の名作。



青の炎



※物語の核心部分に言及しています。未読の方は回れ右でお願いいたします。





「これほど哀しい殺人者がいただろうか…」



映画のコピーだったか、文庫のオビの惹句だったか忘れたが、


ストーリーを一言で表すなら、これ以上に適しているものはないだろう。



この作品は倒叙推理である。



もともと倒叙推理というものは犯人に感情移入がしやすい。


犯人が罪を犯さざるを得なかった理由も実感として理解するし、


犯罪を隠蔽する努力を見ているうちに、


それをいとも簡単にあばきたてる探偵役が憎たらしくなってきたりもする。


優秀な倒叙推理は数多あるが、感情移入ができたという意味において、この作品は白眉である。



主人公の櫛森秀一は、湘南の高校に通う十七歳の高校生。


そもそも倒叙推理の中で一人称が高校生、というのはとても珍しい気がする。


彼はかなり明晰な頭脳を持ち、性格的にもかなり大人びているし、理屈屋でもある。


同級生の紀子に対し「洗脳実験」のような行為をほどこすような一面は彼のクールさ、


そして良くない方向性での冷静さを示している。



だが、彼にはとても好感が持てる。


秀一は母と妹を大事にし、家族団欒の時間を何よりも大切に思っている。


「洗脳実験」の結果、自分に好意を持つようになった紀子に対しても、


逆に自分がドギマギしてしまうような高校生らしい一面も持っている。


殺したい相手にバットを振り上げながらもそれを振り降ろせないという、


当たり前の小心さも持ち合わせている。


どんなにクールぶってみても、大人びていても、


彼はやはり十七歳の少年であり、普通の高校生なのだと思う。



そんな彼が自分の大切な家族を守るために、必死に練り上げた殺人計画。


彼は相当に冷静に、そして冷徹に事を運んだつもりであるし、


確かにこの犯罪計画が現実に行われていたなら、


それは世界の犯罪史上希に見るレベルの計画殺人だろう。



「カッとなって」という理由だけで人を殺める中・高校生が現実にたくさんいるが、


彼は一切を隠蔽する優秀な計画殺人を遂行するし、


彼自身も「何も考えずにナイフを抜いて人を刺すようなヤツの方が、まだ、可愛げがあると思われるのだ」と言っている。



だが、作中で秀一はその心の内をこう表現している。



静かな激怒が、ひたひたと心を満たしていく。それは、今までの、真っ赤な炎のような怒りとは、異なっていた。秀一の脳裏で輝いていたのは、鮮やかなブルーの炎だった。最も深い思索を表す色。だが、その冷たい色相とは裏腹に、青の炎は、赤い炎以上の高温で燃焼する。




炎に駆られて衝動的に殺人を犯す少年と、秀一は同じだ。


ただその炎の色が違っていただけ。


彼もまた、その年齢に相応しい「可愛げのある」殺人者であったと思う。


しかも彼の犯罪は周到に準備した甲斐もなく、あっさりと露見する。


どんなに完璧を尽くしたつもりでもやはり杜撰さが目につく。



当たり前だ。


だってやっぱり秀一はまだ経験の浅い十七歳の高校生なのだから。


その間抜けで、当たり前の高校生である秀一がやはり僕は好きだ。


母と、そして妹想いの純朴な高校生に過ぎない秀一が好きだ。


もし秀一が普通の高校生を超越した瞬間があったとしたなら、それはラストシーン。




秀一は紀子を見やった。胸の中に力いっぱい抱きしめて、キスをしてやりたいという思いに駆られる。だが、必死の思いで、自制した。




秀一は紀子への想いを「嘘だった」と彼女に対しきっぱりと断言している。


死を目前に自分の欲望を満たしたい、何かにすがりつきたいと思って当然の十七歳の少年が、


紀子の記憶に少しでも留まらないようにするために、


その愛情を否定し、抱きしめることすらせずにあっさりと分かれていく。


これからの彼女のことを思って。


秀一よりもずっと歳上の僕だが、こんな行動は絶対にとれない。


死ぬ前に、せめて彼女を抱きしめ、想いを伝えたいと強く願うだろう。


青の炎に支えられ、最後の最後で彼は十七歳の少年とは思えない決断をする。




海を渡ってきた風のように、自分が、今、終着地点に達しようとしていることを思う。さすがに、足がすくむようだった。目的を遂げようという意志を支えているのは、脳裏にきらめく青の炎だった。




この作品はある意味、青春小説ともとれる爽やかさも兼ね備えている。


舞台は湘南であり、主人公は高校生だ。ラブストーリーも添えられている。



だが、この青春は哀しい。



この物語が描く青色はあまりも哀しすぎるブルーだ。