最終学年を迎えた〈私〉は、卒論のテーマ「芥川龍之介」を掘り下げていくかたわら、出版社で初めてのアルバイトを経験する。
その縁あって、図らずも文壇の長老から芥川の謎めいた言葉を聞くことに。
王朝物の短編「六の宮の姫君」に寄せられた言辞を巡って、円紫師匠の教えを乞いつつ、浩瀚な書物を旅する〈私〉なりの探偵行が始まった。
面白くなかった。
何度読み返してもこの評価は変わらない。
芥川の「六の宮の姫君」を未読のうちにこの作品を読んだときはもちろんのこと、
芥川の代表的な作品をしっかり読んでから再読したときも。
面白くなかった最大の原因は、僕の知識不足。
それは認める。
菊池寛をほとんど読んでいないし、
当時の文壇についての知識も皆無に等しいのでは本作の面白さが伝わろうはずもない。
本作を読む資格がない、と言ってもいいくらいだ。
けれど…それは僕があまりにも本を読まない、ということではないよなあともちょっと思うのだ。
作中で、菊池寛の「真珠夫人」を読んでいるという「私」に対して、
天城さんが「今時、千人に聞いても読んでないわよ。あなたって面白い子ね」と言う場面があるけれど、
たぶんその通りなのだろう。
今時の子は菊池寛なんて読んでいない!
さらに調子に乗って言ってしまうが、
あくまで推理小説である本作を読むにあたって、
これほど予備知識が必要であるというのもどうかと思う。
まるで卒論でも読んでいるようで、まるきり推理小説を読んでいるという気がしない。
文学評論として優れているとしても、
本作が推理小説として、もっと言えば小説として成立しているかと言えば…僕は首を傾げざるを得ない。
まあ、贔屓目にみて、本作が面白くない理由としては、
僕の知識不足が7、北村薫さんの試みの失敗が3、というところではないだろうか。
作者に思い入れがなければ作品は決して良いものにはならない。
けれど、自己満足だけで作品を作ってはいけない。
これは職業作家として当たり前のことだと思う。
プロとしてお金をもらって作品を書く以上、
読者が楽しめることが一番で自分が楽しいかどうかは二の次、三の次だと僕は考えている。
ところで、前述の「真珠夫人」についてだが、
作中で「私」が「テレビの原作にぴったりの本だと思いました。」と言っている。
実際、テレビドラマになってヒットしたね、これ。
北村薫さんに先見の明があるのか、
はたまた、本作を読んだテレビのプロデューサーがいたのか。
どうなんだろう。
さて、否定的な感想ばかり書いてしまいましたが、
最後にちょっとホロリと涙が出そうなところがあったことだけ記しておきたい。
「はい、まるで何かに洗われたみたいに変わりました。口数は少なくなりましたけれど、それが悪い感じじゃありません。あんなことになる前より、かえってきちんとしています。二月の、生徒会のお別れ会にも来てくれました」
頑張れ、和泉さん。
君が歩いていくってことは、
もう一人、君の隣を歩いていた少女がいたってことの証しなのだから。