40歳目前、文芸雑誌の副編集長をしている“わたし”。
元来負けず嫌いで、若い頃は曲がったことには否、とかみついた性格だ。
だがもちろん肩書きがついてからはそうもいかず、上司と部下の調整役で心を擦り減らすことも多い。
一緒に住んでいた男とは、……3年前に別れた。
忙しいとは《心》が《亡びる》と書くのだ。
そんな人生の不調が重なったときに、山歩きの魅力に出逢った。
山は、わたしの心を開いてくれる。
四季折々の山の美しさ、恐ろしさ、様々な人との一期一会。
いくつもの偶然の巡り会いを経て、わたしの心は次第にほどけていく。
だが少しずつ、しかし確実に自分を取り巻く環境が変化していくなかで、わたしはある思いもよらない報せを耳にして……。
忙しさに心が擦り減る毎日でも、そこではわたしを取り戻せる。
素直になれない不器用編集女子が、山から貰った〈非日常〉と〈不思議な縁〉とは。
北村薫さんが、上品だけど軽快な筆致で、北村薫さんらしい「山ガール」を描いていく。
僕は北村薫さんの本格ミステリが大好きだし、
できればミステリを書いてほしいなと思うのだけれど、
北村薫さんにしか描けない物語なんだよなとつくづく感じる。
他の誰が書いても、こういう物語にはならない。
主人公はアラフォーの女副編集長。
(物語の途中で「副」が取れるけれども)
趣味は登山。それも単独行を好む。
山という非日常と、仕事という日常を北村薫さんは見事な筆致で書き分ける。
いや。書き分けているわけではないな。
ふたつの世界を両立させているんだ。
日常と非日常の境い目は曖昧だ。
仕事と趣味。オンとオフ。
日常と非日常はつながっている。
どんな出来事であっても、必ず地続きになっている。
本をつくることも。山に登ることも。
だから、山で出会ったちょっと変わり者の女性登山家(ニックネームは麝香鹿さん)が実は書店員で、仕事の場でも一緒になったりする。
さて。
彼女はなぜ山に登るのか。
そこに山があるから、ではない。
親友の死や、長年一緒に住んでいた恋人との別れ、そういうものをふっきるためでもない。
彼女はこう言う。
山を続けているわけは、ひと言ではいえない。しかし、結局のところ、向かって行きたい――という気持ちがあるからだ。逃避ではない。
逃避ではないって。
逆に。そんな後ろ向きな気持ちが許されるほど、山って甘くないんだなと実感した。
仕事をしていれば当然辛いことはたくさんある。
生きてりゃ、楽なことばかりではない。
そこから逃げるのではなく、立ち向かうために。山に行くんだなと思った。
そんな経験をした彼女だからこそ、ラストで恋人と再会したときも、あんな風に笑えるようになったんだな。