「愚行録」 貫井徳郎 東京創元社 ★★★☆ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

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本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。

深夜、家に忍び込んだ何者かによって、一家四人が惨殺された。

隣人、友人らが語る数多のエピソードを通して浮かび上がらせる「事件」と「被害者」。

理想の家族に見えた彼らは、一体なぜ殺されたのか。


愚行録 (創元推理文庫)


全篇、インタビューによって構成された作品。



何者かによって無惨に殺害された田向夫妻とその子供たち。


隣人、かつての同級生や恋人、同僚らの証言で、


田向夫妻とはどんな人物だったのかが浮き彫りになってくる。


聞いている話は決して気持ちの良いものではない


たとえば、夫の田向が恋愛に敗れたとき、仕返しにライバルを左遷させるように陰から手を回す話。


たとえば、妻の夏原(旧姓)が友人の恋人を奪い取り、奪い取ったことで満足してその彼をあっさりと捨ててしまう話。


彼らの友人たちはそれらの話を悪口として語るわけではない


亡くなった人を悪く言わないという慣習があるからかもしれないけれど、彼らは一様に田向夫妻を「好感の持てる人物」として語っている。


若いころの恋愛なんて、ちょっと暴走してしまうような面があるでしょ、というような笑い話として話しているのだ。



だが、そこにあからさまな悪意が透けて見える。


誰一人悲しんでいない。



裕福な家庭に育ち、美男美女で出身大学も有名、収入も同年代のサラリーマンと比較したら圧倒的。


そんな非の打ち所のない夫妻に対するやっかみと嫉妬


究極のことを言ってしまえば、「殺されてざまを見ろ」というような気持ちすらあるような気がする。


彼らの若き日の恋愛の過ちは確かに愚かしい。


けれど、それは誰でも犯してしまうような過ちでもある。


ごく当たり前の恥ずかしい過去。それを愚かと言ってしまうにはちょっと可哀相な気がする。




ならば「愚行録」とは何か。




僕は、田向夫妻のことを「愚かだ」と笑う人々こそが「愚か」なのだと思った。


田向夫人のことを貶めないように、だけど貶めたいのだという意思を隠しもせずに嬉々として語る同級生の女性など、その典型である。


恋人を奪われたという十年以上も前のことを必死になってここで仕返ししているのだ。


それこそを「愚か」と言うべきだろう。


そしてまた、彼らのことを「愚か」と笑う読者(僕)もまた「愚か」な人間に貶められてしまうのだ。


おお、嫌だ、嫌だ(笑)



※ここから少しだけねたばらし。





さて本作にはミステリとしての面白さももちろんある。


田向夫妻のエピソードの間に挿入される、どこの誰ともわからない女性の回想。


華やかな田向夫妻のエピソードと好対照な、悲惨としか言いようのない思い出の数々。


これは一体何だ?


田向夫妻と彼女はどこで関係してくるのか?


それと冒頭で紹介されている幼児虐待の記事は?



実はこの女性は田向夫人の同級生として、中盤ですでに登場している。


彼女のようになりたくて、彼女の真似をして、それでも彼女には歯牙にもかけられていなかった同級生として。



もちろん、そのときに名前もしっかりと明記されている。


なのに、幼児虐待の記事の女性と同一人物だと思い当たらなかったのは、彼女が「田中」という日本人としては相当に平凡な名前の持ち主だからだ。


名前をしっかりと書いているにもかかわらず、叙述ミステリ的な面白さを持たせるという面白い工夫だと思う。


これには伏線もきっちりと張ってあって、夫である田向の同僚が、彼のエピソードを語るとき、そこに登場する人物のことを「名前を忘れたから」として「鈴木」とか「佐藤」という仮名を使って話すのだ。


「田中」は仮名でも何でもなく犯人の女性の実名なのだけれど、ほかの仮名に混じってその印象がさらに薄まってしまう。


これが「田中」ではなく、仮に「有栖川」だとか「綾辻」なんていう名前だったとしたらきっと登場した瞬間に「あ、この女性は」と冒頭の記事との関連に気がついたことだろう。


ミステリとして面白い仕掛けだと思った。