推理作家にどうしてもなりたい12歳の少年・秀介は、憧れの作家・二宮ミサトを母にもつ同級生の優希と、虹果て村にあるミサトの別荘で夏休みを過ごすことになった。
虹にまつわる七つの言い伝えがあるのどかな村では、最近、高速道路建設をめぐって賛成派と反対派の対立が激しくなっていた。
そんな中、密室殺人事件が起こり、二人は事件解明におとなも驚く知恵をしぼる。
がんばれ、未来の刑事とミステリ作家!
※感想の最後で犯人の名前を書いています。未読の方はご注意を。
小学生の頃の有栖川少年は推理小説に魅せられ、
そして将来、推理小説家になろうと誓ったそうです。
そういう作者が小学生のために描いた小説。
作者と同じように、ミステリに魅せられていた小学生であった僕としては、
とても興味深く読ませてもらいました。
(作中の推理作家を目指す主人公の少年はきっと子供の頃の作者自身なのでしょうね)
一言で言って、これは本当に小学生に向けて書かれた小説だな、と思いました。
有栖川有栖さんと僕は年齢に開きがあるので同世代というのはちょっとはばかられるけれど、
まあ、ミステリ好きとしてわりと同じ本を読んだりしているのではないかと思います。
まさにこれは僕が子供の頃にワクワクしながら読んだ作品群と同じ種類の作品だな、と思いました。
犯人の発言の揚げ足とりをして追い詰めるあたりが「少年探偵ブラウン」と通じるものがあるし。
本作では刑事の向こうを張って、少年少女が大活躍をしてしまいますが、
ここに対してリアリティがない、なんていうのは野暮というものでしょう。
これを他の作品でやられたら、おいおいと思うでしょうけど、これはジュブナイルですからね。
このくらい夢があってもいいと思います。
子供たちに対するメッセージが随所に散りばめられていて、
大人の僕には多少、鼻につくところもありますが、
これを読んだ子供たちはどう受け止めるのかを知りたいです。
できることなら、子供の頃にこの小説に出会ってみたかったですね。
想像することはできますけれど…やっぱり子供の心はなくしちゃっていますもの。
最後に余談ですが、カギカッコの終わりに句点を入れるのはジュブナイルっぽいけど、
やっぱり読みづらいですねえ。
「推理作家は、殺人が好きだから殺人事件を描くんじゃない。もちろん、空き巣を捕まえるお話よりも殺人犯を推理するお話の方がスリルがあるから、どきどきするために書くんだけれど。……推理小説の根底には、だれかの死をほうっておかない、という気持ちがあるの。それがない世界では、推理小説は書かれないし、読まれることもない。」
推理作家がきっとよく指摘されることなのでしょうね。
苦しい言い訳だなあ、と感じなくもないけれど…そういう想いを持って推理作家の皆さんが人の生き死にを扱ってくれているといいなあ、とは思いますね。
僕は「動機のリアリティ」を結構大事に思っています。
人を殺すという大罪を犯す以上、それなりの理由づけが欲しいのです。
愚にもつかない理由で大虐殺をしてしまう西澤保彦氏なんかにはこの言葉を心に刻んで欲しいです。
「私は大人になりたてで、まだ何もできていないけれど、子供たちに『ごめんね。』とあやまるだけの大人にはならないようにしたい。『ごめんね。でも、これはやったよ。』と言えなくっちゃ、生きてた値打ちがないもの。と言うより、カッコ悪すぎるじゃない。ね?」
カッコ悪いというのは嫌ですね。これは理屈じゃない。
犯人の風間も、きっと子供たちの前でカッコ悪い大人でありたくなかったのだろうな、と思います。
真相を指摘したのが刑事であったなら、もしかしたら彼は卑怯な言い逃れをしたかもしれません。
それができなかったのは…やっぱり子供たちの前だからでしょう。
風間は殺人犯だったけれど、少なくとも大人として最低限の自尊心は持っていたのですね。