「逃走」 薬丸岳 講談社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

死んだはずのあの男がいた。

小さかった妹とふたりで懸命に生きてきた21年間はなんだったんだ?

傷害致死で指名手配されたのは妹思いで正義感が強い青年。

だが罪が重くなるとわかっていても彼は逃げ続ける。

なんのために? 誰のために?


逃走 (講談社文庫)


※ねたばらしが含まれますので、未読の方はご注意を。





「物語を一気に読ませる筆力はさすが薬丸岳だなと思うね」


「そうだなあ。物語に無駄がないというか。

無理に洒脱な文章を入れてみたり、ストーリー上意味のない展開をしたりということがないな」


「冒頭、ラーメン屋で裕輔が弓削を勢いあまって殺してしまうでしょ。

まず、そこから、なんで祐輔は弓削に我を忘れるほどの勢いで暴力をふるったかという謎があるよね」


「その謎を考えているうちに、裕輔と美恵子の子供時代のエピソードだとか、

二人の母親が過去に父親を保険金目当てに殺害していることとかが明らかになってきて、

いったい、この物語はどこにいくんだろうと思わされる」


「この作品のテーマというか、最大の謎はなぜ裕輔は逃げ続けるのか、ってことだよね。

何のために、正義感にあふれた青年が、なぜこんなことをしたのか。

すべてを捨ててでも、やり遂げたいことは何か。

それを追っているうちに、いつの間にか読み終わってしまうという感じだよ」



「テンポがいいんだな、薬丸岳の作品は。エンタテインメントはこうあるべきだという見本だな」


「また、最後に待っている真相も意外で驚かされたよ。

実は母親は殺人犯ではなかった…というような結末が待っているのかもと想像していたら、

真実は予想の斜め上をいっていたね」


「でもさ、母親が無実でそれを確かめたいっていうのが逃走劇の目的であるならば、

そこに、弓削の存在がどう絡んでくるかってことがわからない。

そういう風に、謎が謎を呼ぶ形で連鎖していき、あれよあれよという間に物語が進んでいくんだ」


「裕輔たちの両親がお店をやっていた、なんていう話が何度も出てきてさ、」



「それでお店ってなんだろうねって思っていると、」



「和歌山ラーメン!」



「そのあたりの展開はけっこうドキドキするよな」


「家族愛や、遺族の心情や、罪と罰や、いかにも薬丸岳らしいテーマが内包されているから、

ともすれば、重くなりがちなストーリーだけれど、そこを勢いで読ませるのはさすがだよね」


「まあな。でも、誉めてばかりだと何だし、苦言も呈しておくかな」


「ん? 何?」


「確かに物語のテンポは良いんだけれど、スピード感という意味ではどうかな?」


「いや、スピード感あるでしょ」


「んー、なんていうかさ、逃走劇に緊張感がないんだよな。

警察が迫る、すんでのところで裕輔が逃げ出す、そして真実にまた一歩近づく、みたいなハラハラ感。

裕輔と警察がタッチの差ですれ違うとか。『逃走』っていうタイトルなら、そのへんにも工夫が欲しかった」


「薬丸岳の社会派ミステリにそういうの、求める?」


「ないものねだりかもしれないけどな。

でも、これがミヤベさんあたりならもっとそのへんも巧く書いたかもなとか思っちゃったんだよ」


「ミヤベさんと比べちゃダメだって。さすがに」


「まあ、この物語はそのへんに重点が置かれているわけではないからな」


「結末のやるせなさ、切なさはミヤベさんばりでは?」


「よく考えれば、結果、誰も救われていないからなあ。

でも、裕輔はとりあえず助かったし、彼が意味なく人を殺すような人間でないこともわかった。

美恵子が、ひとつ強くなったことも明るい未来ではないかな」


「まあ、そう思えば救われないこともないね」