カウンター席だけの地下一階の店に客が三人。
三谷敦彦教授と助手の早乙女静香、そして在野の研究家らしき宮田六郎。
初顔合わせとなったその日、「ブッダは悟りなんか開いてない」という宮田の爆弾発言を契機に歴史談義が始まった…。
回を追うごとに話は熱を帯び、バーテンダーの松永も教科書を読んで予備知識を蓄えつつ、彼らの論戦を心待ちにする。ブッダの悟り、邪馬台国の比定地、聖徳太子の正体、光秀謀叛の動機、明治維新の黒幕、イエスの復活などを俎上に載せ、歴史の常識にコペルニクス的転回を迫る、大胆不敵な歴史ミステリ短編集。
※ねたばらしありですが……まあ、あまり関係ないかもしれませんね、この作品の場合。
歴史というヤツは端的に言って推理小説みたいなものだ。
そこらここらに本格推理ファンが舌なめずりをしそうな謎が転がっている。
しかも、そこには解答がないものだから、議論百出、永遠とも言える討議が展開されるわけだ。
その歴史の謎に対し、誰も考えたことのないような新解釈を持ち出しているのがこの作品。
バーで素人歴史研究家が、二人の学者を相手に新説を展開するというパターンで各話は進行していく。
この軽いタッチが、難しい命題も非常に読み易いものにしているし、
バーで出される料理の描写もなかなか凝っている。
僕が最も感心したのは表題作「邪馬台国はどこですか?」。
邪馬台国の所在は学会では、畿内説、九州説のどちらか、ということになっている。
ところが著者が持ち出した説は「東北説」。
荒唐無稽としか言いようがないこの説であるが、
読み進むうちに僕のような歴史の素人は完全に洗脳される。
「距離は正確に計れないが、日数は正確に数えられる。よって、何千里という表記は無視してもよいが、陸行何日、という表記は信頼に足る」だとか、
「八幡平の『平』はなぜ、『たいら』と読まずに『たい』なのか」だとか、
素人の知識ではとても看破できない材料を提出され、
「邪馬台国は八幡平にあった」と言われたら、もう降参するしかない。
他の短編も「悟りを開いたのはいつですか?」や、「奇蹟はどのようになされたのですか?」など、かなり感心しながら読める作品が多いです。
「奇蹟は…」などは完全にキリストの二人一役のアリバイトリックなど、完全に推理小説の世界だし。
その一方で、「謀叛の動機はなんですか?」などは歴史的な考証が甘すぎると言わざるを得ない作品もある。
「信長が光秀を使って自殺をした」とはさすがに強引にも程があるだろう。
さらに、呆れて開いた口が塞がらないのは「維新が起きたのはなぜですか?」。
ここで展開される「勝海舟は催眠術使い」などの説などはどう考えても受け入れ難い説だし、
説得力もない。
明治維新とは「尊皇攘夷」を目指したものなのに明治政府になってから開国政策と新政府の手による政治が行われたというのが謎、という前提自体がおかしい。
武市半平太のような人物ならともかく、
西郷隆盛や桂小五郎にとっては「尊王攘夷」は最終的には単なる旗印でしかなかっただったろうし、
龍馬や岡田以蔵などはそんな思想とは無関係だったと思う。
まして後藤象二郎や乾退助にとっては明治維新は単なるパワーゲームだったろう。
そもそも「開国」と「攘夷」は矛盾しない。
攘夷を成し遂げるために開国は必要なことなのだと戦いの中で誰もが気がついていたはずだ。
それに、新進気鋭の歴史学者であるはずの静香が、
「勝海舟が内戦を避け、新しい社会と政治形態を作りたがっていた」という説に対して
初めて聞いたような顔をしているのが変だ。そんなこと、素人の僕だって想像がつくのに。
論法としては「明治維新の黒幕は勝海舟」というのは正しい。
明治維新において裏で最も奔走し活躍したのは龍馬であり、海舟はその龍馬の師なのだから。
だが、その黒幕としての方法が「催眠術」というのは、
その命を賭して日本を変えようとした志士たちに対して失礼極まりない。
このあたりの強引な論理展開が、
鯨統一郎の後々の駄作群に繋がっていくのだなあ、
という気がしてちょっと悲しい感じもあります。