「ゴールデンスランバー」 伊坂幸太郎 新潮社 ★★★★ | 水底の本棚

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本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

伊坂的娯楽小説突抜頂点。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男は、巨大な陰謀から逃げ切ることができるのか?
仙台で金田首相の凱旋パレードが行われているちょうどその時、青柳雅春は、旧友の森田森吾に何年かぶりで呼び出された。

訝る青柳に、森田は「おまえは陥れられている」「逃げろ、オズワルドにされるぞ」と、鬼気迫る調子で訴えた。
と、遠くで爆音がし、折りしも警官は、青柳に向かって拳銃を構えた――。



ゴールデンスランバー




伊坂幸太郎さんの小説の面白さは、何と言っても、


構成の巧さ、軽妙で楽しい会話、精緻な伏線、それからしっかりと構築された物語世界


といったところでしょうか。

どうでもいいような小道具やエピソードが後々、重要なキーになってきたりもするから一行たりとも流して読むことができません。


言葉のひとつひとつを真剣に追っていくのですが、物語世界がリアルと構築されているから読んでいるこちらの集中が切れることもないし、時折、挿入される可愛らしい会話が気持ちをほっとさせてくれます。

サスペンス小説なのに、つい頬が緩んでしまうことも。

構成の素晴らしさも見事ですね。


まず、事件の全貌を外側から見せます。

視点はテレビのニュース番組にかじりつくいち視聴者になっていて、読者もテレビ報道以上のことは何もわかりません。この時点では青柳雅春が犯人なんだな、とそう思うしかありません。


そして次の章で事件のその後を描きます。

多くの人々が事件後に死亡しているという事実を羅列し、事件は読者にとってますます不可解なものに思えてきます。


それから、物語を青柳雅春の視点に移し、事件の裏側にある真実の姿を描いていくわけです。

死亡していると書かれた人々もこの章で登場し、彼らの事件における位置づけも明らかになっていきます。

物語はかつての恋人である樋口晴子の視点からも語られ、青柳雅春の人となりもここで描かれていくのです。

この構成だからこそ、読者は物語にするすると引き込まれていくのでしょう。


さて、この物語の主人公である青柳雅春は、突然、首相暗殺の犯人に仕立て上げられ――意味もわからないまま逃亡生活を強いられることになります。

身に覚えのない証拠が次々にテレビのニュース番組で報道され、常識では考えられない規模の悪意が用意周到に、自分を陥れようとしていることを青柳雅春は実感します。

さらに、彼を追う警察の行動もまるで常軌を逸したもので、一般市民に危害を加えることも、人権を侵害することもまったく意に介さない様子。


これ以上の窮地はないというくらいに、青柳雅春は追いつめられていきます。

もし国家レベルで一人の人間を陥れようと思ったら――それは意外に簡単なことなのかもしれませんね。

たった一人、味方もなく巨大な組織と戦うなんてことはたぶん難しいのでしょう。

仮面ライダーだってショッカーがのん気に一人ずつ怪人を送り込んでくるのでなければ、たぶん対応しきれずにあっという間にジ・エンドでしょう。


まして青柳雅春は仮面ライダーのような超人的能力の持ち主ではなく、ちょっとばかり見てくれが良くて、大外刈りをマスターしているだけの一般市民なのですから、丸裸にされた王将のようなもので、こりゃ詰みだなと呟きたくなる気持ちもよくわかるというものです。


けれど、青柳雅春にはなぜか行く先々で味方が現われます。

最初に彼を逃がしてくれた森田、大学時代の後輩であるカズ。宅配ドライバー時代の先輩や花火師の轟、樋口晴子、晴子のOL時代の友人やその彼氏、入院中の胡散臭いおっさん。はては仙台を騒がせた通り魔、キルオまで。


この脇役たちが本当にいい味を出しているんですよ。

これ以上ないくらいのサスペンスであるはずなのですが、青柳雅春本人も含め、彼らのどこか浮世離れした雰囲気が物語を楽しいものにしていくのです。

なにしろ、父親がせっかくテレビで息子の真実を声高に叫んでいるのに、当の本人は「親の勘も当てにならない」なんて憎まれ口をきいていたりするのですからね。


青柳雅春は彼らの助けを借りて、何とか逃亡を果たします。
晴子はかつての青柳雅春のことを、ちいさくまとまりすぎと評しますが、ちいさくまとまるどころの騒ぎじゃありませんよね。

日本国内を震撼させた首相暗殺の犯人にされ、おまけに警察を向こうに回して逃げ切ってしまうのですから。

決してハッピーエンドではなかったですけれど、少しばかりホッとさせられる結末。悪くは…ないですね。


この物語には「ザッツ、監視社会」だとか横暴なマスコミに対する警鐘などもテーマとして盛り込まれているのかもしれませんが、そういう重苦しいテーマはどうでもいいと思えるような、娯楽小説でした。


よく考えたら、事件の真相はひとつも明らかになっていないのですが、それも気にならないほど。

小説が面白いだけで何が悪い。


そう言いたくなるような見事な作品です。