その人の落とした「虚無への供物」が、英都大学推理小説研究会(EMC)入部のきっかけだった―。
大学に入学した一九八八年四月、アリスは、江神二郎との偶然の出会いからEMCに入部する。
江神、望月、織田とおなじみの面々が遭遇した奇妙な出来事の数々。
望月の下宿でのノート盗難事件を描く「瑠璃荘事件」をはじめ、アリスと江神の大晦日の一夜を活写する「除夜を歩く」など、全九編収録。昭和から平成への転換期を背景に、アリスの入学からマリアの入部までの一年を瑞々しく描いた、ファン必携のシリーズ初短編集。
あと一日で今年も終わりですね。
大晦日にまつわる物語などあまりないのですが……本作にはあるんです。「除夜を歩く」。
アリスと江神さんが大晦日にミステリ談義をしながら延々と歩く……ただそれだけなんですけどね。
(モチが書いた犯人当て短編のハナシもするのですが、まあそれはいいや)
モチや信長は自分のミステリ論をよく展開するけれども、普段はあまり自分の考えをペラペラしゃべったりすることのない、江神さんの話がけっこう聞けただけでもファンにはうれしい。
ほとんどエッセイのような一篇なのですが、ものすごい得した感があります。
さて、他の短編についてですが。
「瑠璃荘事件」
モチの下宿でノートが盗難にあい、モチが容疑者にされるという……牧歌的な事件。
学生アリスのシリーズは長編の場合かなりシリアスな本格ミステリなので、そのぶん短編はいかにも学生というシチュエーションの、日常の謎ミステリで。
これはこれで好きです。
「ハードロック・ラバーズ・オンリー」
とてもお気に入りの一作です。
大音量でハードロックが流れるカフェでアリスが知り合った女性。
後日、街で再会したアリスが彼女に呼びかけるも、彼女は立ち止まってくれない。決して嫌われるような真似をしたわけではないのに?
この謎に対する江神さんの解答は……本当に美しい着地だと思います。
ショートショートと言ってもいい掌編だけれど、ミステリの面白さを十分味わえます。
「やけた線路の上の死体」
鉄道ミステリはあまり好きではありません。
そもそも、時刻表の見方すらよくわからないのに、楽しめるはずもないですよね。
ただ、本作は単なる時刻表トリックのアリバイ崩しではありません。
これぞ本格というトリックが仕掛けられています。清張的というよりもむしろ鮎川的。
「桜川のオフィーリア」
ミステリとしての出来はともかく、雰囲気はある作品だと思います。
冷たく綺麗な清流のごとき作品。
「四分間では短すぎる」
言うまでもなく、ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」にかけた作品である。
アリスが実際に聞いた電話。
「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」
そこから、電話の内容を想像するゲーム。
江神さんの下宿で、無為に過ごすと決めた飲み会での、四人の安楽椅子探偵たちのゲーム。
モチと信長による、「点と線」談義も楽しい。
「開かずの間の怪」
お化け屋敷と言われる廃屋に泊まり込む四人。そして次々と起こる怪奇現象…。
この怪奇現象は途中で腹痛を理由に帰った織田の仕業であることは早々に判明する。だが、織田は一体どこに潜んでいるのか?
トリックとしては「開かずの扉」だと思われていたドアが、実は蝶番のある側にノブがついているトリック仕立てのドアであったという、極めて単純だけど楽しいもの。そして最後にはきっちりとオチがついていました。
「二十世紀的誘拐」
モチと信長が所属するゼミの教授から推理研のメンバーに依頼が。
それは「誘拐された絵画の身代金の受け渡し」というミッション。
しかし盗まれた絵画は教授の叔父の筆になるもので二束三文の価値しかなく、犯人は教授の弟と判っているし、身代金はわずか千円。おまけに成功報酬はモチと信長のゼミの単位だっていうのだから、牧歌的ですよね。
犯人である教授の弟が絵画を持ち出すチャンスは一度しかなく、そこにはモチ、信長がいた。
不可能状況とも思えるところから絵画をどうやって盗み出したか?
それがこの短編のポイントというわけで、こりゃ誘拐小説ですらないような気がするなあ。
こういうの好きだけど。
「蕩尽に関する一考察」
内容云々に関しては……まあ、いいです。(面白くないわけではないですよ)
この短編は別の意味で重要。
この作品から、英都大学推理小説研究会のメンバーは五人に増えます。EMCの紅一点、マリア。
これでやっと、本物のEMCになったなあという感じがしますね。
本作は、マリアを加えての最初の冒険譚。