高さ10メートルの飛び込み台から時速60キロでダイブして、わずか1.4秒の空中演技を競う競技。その一瞬に魅了された少年たちの通う弱小クラブ存続の条件はなんとオリンピック出場だった。
女コーチのやり方に戸惑いながらも、今、平凡な少年のすべてをかけた青春の熱い戦いがはじまる。
第52回小学館児童出版文化賞受賞作品。
僕はスポーツの話が大好きです。
十代のころの僕は間違いなく、何よりもボールを蹴ることに夢中になっていました。
もしかしたら今でもそうかもしれないけど(笑)
だから、スポーツに夢中になって真剣になっている少年たちの物語を読むのはとても楽しいです。
共感できる部分がとても多く、また、新しく学ぶこともたくさんあり、本当に隅から隅まで楽しめる感じ。
面白かったです。この物語も。
誰にも感情移入し、誰をも応援してしまいました。
五輪への切符はたった一枚しかないのに、三人とも優勝してシドニーに行って欲しいって思いました。
主人公が三人もいる物語なんてそうはないですよ。
ホント、本気で誰が勝っても誰が負けても嫌だって思いましたもん。
彼らは一様に明るいし元気だし個性的だけど、とても苦しみ悩みながらコンクリートのドラゴンに挑んでいます。
僕は個人競技の厳しさをあまり知りません。
個人競技っていうのは本当に厳しく辛いのだと改めて実感しました。
その彼らの戦いの特殊性、それがこの物語で僕が一番興味深く読んだ部分でした。
たとえば作中でこんな言葉が出てきます。
「いつかどでかい会場で十万の観客をわかせたいと思うなら、そばにいる一人や二人のことは忘れろ。いちいち身近な人間に気を配ってたら、十万の観客をわかせるエネルギーなんか残らないぞ」
また、こんな言葉もあります。
「でも、ときどき思います。六人でやるバレーとか、九人でやる野球とか……みんなで戦ってみんなで勝てるスポーツはいいな、って」
飛び込みの選手だって一人でやっているわけじゃありません。
それぞれクラブなんかに所属して、一緒に喜んだり切磋琢磨したりする仲間がいるわけです。
でも、いざ戦いの場となったらその仲間たちも蹴落としていかなければいけないわけです。
そして、敗者となった仲間たちに気を遣うことすら許されないわけです。
そんな辛いことってあります?
たとえば、卓球の福原愛ちゃんとかゴルフの宮里藍ちゃんとか…いつも笑顔で頑張っている彼女たちも、そうやって仲間たちを蹴落とし、切り捨て、踏みにじってきたのでしょうか。
そうしなければ頂点には立てないのでしょうか。
僕がやってきたサッカーには、同じ方向を向いて、同じ目標を持って、同じ勝利を目指す仲間が少なくとも十人はいます。
勝ったら一緒に喜び、負けたら一緒に悔しがる。
それが出来るってことがどれほど幸せなことかって、つくづく感じました。
やっぱり僕はチームスポーツが好きだな。僕のメンタルでは個人競技は続けられそうにないや。
要一はプラットホームに立つ知季を見ながらこんな風に思います。
ベストを尽して飛び、その上で失敗してほしい。
これって本当に偽らざる心境なんでしょうね。
仲間である以上、せめてベストは尽させてやりたい。悔いの残るような演技はしてほしくない。
だからと言って負けるのだけは嫌だ。五輪には自分が行きたい。
あー、本当にフクザツな気持ちですね。矛盾だらけ。
でも、そういうことを悪びれずに正直に思える要一が僕は好きだな。
僕も要一じゃないけれど、三人の誰が失敗しても嫌だなって思いました。
自分の雪を降らすためにあえて五輪代表権を蹴り、体調の悪さを押して必死にコンクリートドラゴンに登る要一も。
まともにやっていれば五輪代表権が転がり込んできたはずなのに、あえて四回転半に挑戦し、自分だけの枠を超えたいと切望した知季も。
たった一人で海で飛んでいただけのダイバーだったのに、腰痛を抱えながらも仲間と戦うことを選んでプールに帰ってきた飛沫も。
三人の未来は五輪の向こうにあって、彼らは本当にそれを得たいと思っているのだから……絶対に、絶対に誰にも負けてほしくないって思いました。
第四部で毎回変わる順位表を眺めながら、何度も「なんで代表権はひとつしかないんだよ!」って心の中で叫びました。
今回の勝利者はたった一人。
だけど。彼はきっとまた四年後、八年後、十二年後、同じ舞台で同じ目標を目指して戦い続けるのでしょう。
彼らの未来は、人生は、わずか1.4秒のその瞬間にしかないのですから。