「女王国の城」 有栖川有栖 東京創元社 ★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

舞台は急成長の途上にある宗教団体「人類協会」の聖地、神倉。

大学に顔を見せない部長を案じて、推理小説研究会の後輩たちは木曾路をひた走る。
「城」と呼ばれる総本部で江神の安否は確認したものの、思いがけず殺人事件に直面し、外界との接触を阻まれ、囚われの身となる一行。

決死の脱出と真相究明を試みるが、その間にも事件は続発し…。



女王国の城 上 (創元推理文庫)



※感想にはねたばらしを含みます。



十五年と七ヶ月。


いつ出るかいつ出るかと心待ちにしていた、長い長い時間だ。

未完のまま作者が亡くなってしまったというような場合を除けば、これほど長い間、刊行を待ち望んでいた本はない。


書店でこの本を見つけ、「おっ有栖川有栖さんの新刊だな」と何気なくページを開いた。

折り返し部分の梗概に、アリスの、マリアの、そして江神さんの名前を見たとき、比喩でなく、胸がどくんと高鳴った。


アリスに、マリアに、モチに、信長に、そして江神さんにまた会える。

それが僕にとってどれほど嬉しいか、有栖川有栖さん本人に教えてあげたいと思った。

(その後、実際にお会いしたときには言えなかったのだが……)


僕だけでなく、全国にはこんな思いをしている読者がたくさんいるはずだ。

その想いが有栖川有栖さんに伝わったならば、長編シリーズ完結編となる次作は…もしかしたらもう少し早く、僕らの元に届けてくれるかもしれない。

(そして五作で完結させずにもうちょっと続けてくれるかもしれない)


さて、僕がこのシリーズが好きな理由はふたつある。
当然のことなのだが、ひとつは本格ミステリとしての面白さがあるからだ。本作でも恒例の「読者への挑戦」が挿入される。


論理の糸の一端は読者の目の前にあり、それを手繰った先に犯人は一人で立っている。


ぞくっとする。

僕のような、自分のアタマを何も使わないでミステリを読むような読者でも心が震えるような一文だ。

この宣言は、書くだけならどんな作家でもできる。

だが、この言葉に相応しい謎と解決とを用意するのは簡単なことではない。

読者としても敬虔な気持ちで挑まねば、と思う。


ただし、生意気なことを言うようだが、今回の読者への挑戦は今一つだった。

論理的という意味で言えば、これはもう満点だと思う。余詰はない。

与えられた材料をもとに、容疑者全員をふるいにかければ、消去法で犯人の名前にはたどり着く。(僕はたどり着かなかったが)

その点に不満はない。

ただ、残念だったのは、犯人の動機、そしてもっと言えば、犯人そのものに魅力がなかったことだ。

「月光ゲーム」でも「孤島パズル」でも「双頭の悪魔」でも、彼らの犯行動機は僕にとって、とても納得のいくものだった。

殺人という行為は決して肯定できるものではないが、彼らは殺人以外に手段を持たなかったのだと思うことはできた。
だが…この物語の犯人ははたしてそうだったろうか?

もっと別の道を選択することができたのではないだろうか?

それと、前述したが、犯人に魅力がないのが何よりも残念。

確かに犯人たりえる条件を満たしているのは彼しかいないが、存在感というものがあまりにもなさ過ぎた。

チョイ役、とまで言ったら言い過ぎになるだろうけれど、ニ段組で五百頁を超える長大な物語に相応しい人物であったかと言えば、答えに窮する。
前3作のように、江神さんと対峙するに値する犯罪者ではなかったように思えてしまった。


ただ、そういった点を除いて考えれば、この物語はいかにも本格ミステリの王道であり、純粋なパズラーを好む読者ならばきっと満足を得ることができるだろう。

本格ミステリには、似つかわしくないアクションシーンも満載だが、女王国の人々の不当かつ傲慢なやり口にはアリスたちと同様に憤慨していたので、アクション嫌いの僕でも「やれ、やれえ」と彼らをけしかけるような思いで楽しく読むことができた。

(少年探偵団の時代から探偵小説と冒険は切っても切れない関係にある。そういった古き良き時代のテイストも感じさせてくれるのがこのシリーズだ)


ただし、彼らがどうしても警察に連絡できなかった理由は最後には納得できた。

それなら止む無し――そう思えた。でも、それならそうと言ってくれれば、アリスたちだって絶対に協力してくれたはずなのに。

何日も一緒に居て、椿たちも含めて彼らが、「そんなことは知ったことか」と言うような人間ではないとわからなかったのか?

僕は宗教も宇宙人もまったく信じていないし嫌悪すらしているが、それはあくまで個人的な主義と感情の問題であって、他人が信仰するものまで否定する気はさらさらない。
ただ、オカルトを信じる人間の残念なところは、正論がまったく通用しないところだと思う。


さて、最後に、このシリーズのもうひとつの魅力について語りたいと思う。

このシリーズは本格ミステリでありながら、青春小説としての楽しみ方もできる。

誤解を恐れずに言ってしまえば、僕はどちらかと言えばそちらのほうを楽しみにしていて、「殺人事件なんて物騒なもん、起きなくても構わないや」くらいの気持ちで読んでいる。

「月光ゲーム」でのアリスと理代のロマンス、マーダーゲーム、キャンプファイア。

「孤島パズル」でのアリスとマリアが深夜にボートを漕ぎ出したシーン。

「双頭の悪魔」では木更村の個性的な芸術家たちが読者を楽しませてくれた。

本作では、思いのほか、そういうシーンが少ないが――やはり、それでも青春ミステリとしてのテイストは忘れていない。


アリスとマリアが、夜中、二人で散歩をするシーン。
女王の城では毎日定時に花火が打ち上げられる。そのことをアリスはマリアに教えてあげる気はない。ただ、時計を気にしながら散歩を続ける。
前二作では、アリスの想いはぼんやりとしたものでしかないが、この作品でそれはしっかりと形を成したように思える。
アリスにとってもマリアにとっても尊敬できて、大好きであるはずの先輩相手にすら、アリスは少しばかりの嫉妬と羨望を覚えている。
その想いがはっきりと書かれているのはここだ。


ここで「淋しい」と答えたら、あまりにも物欲しげだ。それに、僕は今、最も孤独から遠いところにいる。


たとえ世界中の人間が死に絶えたとしても――君がいれば僕は淋しいとは感じない。

アリスはそう言っているわけだ。
また、江神さんは今一人で淋しいよね、という会話を交わした後に、それをフォローするように「ねぇ。今、淋しい?」と問うマリアもまた、アリスの「きみといるから淋しくない」という答えを求めていたのかもしれない――と思うのは、あまりにも希望的観測が過ぎるだろうか。


僕は、宇宙人の存在などまったく信じていない。完全否定しているわけではないが、今のところ肯定すべき材料がないのだから仕方がない。
けれど、この広い銀河の中で地球に住む僕たちだけがただひとつの知的生命体であるというのはあまりにも淋しく、だからこそ人間は宇宙に分かり合えるかもしれない友の姿を求める…という想像はロマンティックだなと思った。





「それは後でいい。アリス、握手。私と握手して」
彼はよけいなことは訊かず、拾ったものをポケットにしまうと、背伸びをしながら私の手を握った。