「手焼き煎餅の密室」 谷原秋桜子 東京創元社 ★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

親友・直海の祖母の家を訪ねたら、台所に見知らぬ少年が忍び込んでいた!
煎餅を盗もうとしていた彼は、家主に見つかり慌ててとんでもない行動に……(表題作)。
美波の家の隣に建つ洋館に住む水島のじいちゃんは、身近で起こる様々な事件の真相を、聞いただけでズバリ言い当てる。表題作を含む五編収録の、ライトな本格ミステリ短編集。「美波の事件簿」シリーズ、前日譚。




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「日常の謎」には少々食傷気味かも。


何というか……謎そのものに魅力がまったくないと思った。


たとえば、「日常の謎」の開祖と言ってもいい北村薫さんの「砂糖合戦」では「女子高生が紅茶に何杯も何杯も砂糖を入れるのは何故だろう?」という謎が提示される。


「喫茶店で紅茶に砂糖を入れる女子高生」という極めて当り前の風景に「甘くて飲めなくなるほど何杯も」という修飾を付加しただけで、それはとても不可思議な光景に変わる。

そして、そこに合理的かつ魅力的な回答がつく。
それでこそ「日常の謎」が本格ミステリたり得るのだ。


「女子高生が紅茶に何杯も何杯も砂糖を入れるのは何故だろう?」という謎と、この短編集に収録されている「回る寿司」の「回転寿司屋で酢飯からネタをはがして醤油もつけずに食べ、しかもその後で酢飯だけを醤油で食べるポンチョの男は一体何者?」という謎は、似ているようで全然違う。


後者はもはや「日常の謎」ではない。
ただの、奇妙奇天烈な状況に過ぎない。
これでは、その答えは「その男はアタマがおかしい」ということですんでしまう。

謎そのものが不自然だから、すっと腑に落ちるような、思わず膝を打つような、気持ちの良い回答がつくはずはない。

扱うものが殺人事件だろうが誘拐事件だろうが日常の謎だろうが、魅力的な謎と合理的な着地というのがミステリの本質であることに変わりはないはずだ。


もしくは…もう少し小説としてのレベルが高ければこのあたりの瑕疵も気にならなかったかもしれない。
文章がたどたどし過ぎてなかなか物語の中に気持ちが入っていかない。セリフなど、まるで舞台で俳優が演じているような、説明口調のものばかり。登場人物たちが会話をしているというよりは、読者に向けてひたすら状況説明をしているだけのように思える。
小説である以上、現実の日常会話と同じように喋れとは言わない。だけど、ものには限度というものがあるだろう。


かように、本書単体で見たときにこの本に対する僕の評価はとても低いのだが、それでもこのシリーズの読者としては楽しめた部分もあった。
「熊の面、翁の面」のラスト部分、そしてエピローグ的位置づけの「そして、もう一人」
この二編に関してはついつい頬が緩んだ。シリーズ番外編ならではの趣向だなあと思う。

あまりお薦めはできないが、ずっとこのシリーズの読者であった人ならぜひ読んでみるべきだと思う。