2022年、明けましておめでとうございます。
今年も気の向くままに、写真多めで更新していきたいと思います(笑)。
コロナ3年目に突入しましたが、今年最初の記事は、
神聖な三の付く、ここ羽黒山・出羽三山神社から初めて参りたいと思います。
……写真はちょっと前に撮ったものですが。
門前町手向(とうげ)には、江戸時代には336の宿坊があったそうです。
さすがは一村総修験の地ですね。
現在は30坊ほどですが、途絶えては欲しくない伝統と歴史です。
赤い色で悪霊の侵入をシャットアウト!
(門より先は神域)
明治の神仏分離以前は、仁王門と呼ばれていた随神門。
かつてここから睨みをきかせていた仁王像と共に、
秋田・由利藩主の生駒氏による寄進ですが、
仁王像は現在近くの黄金堂へ移されています。
今なおバリバリの現役。
一方のこちらは、天童や月天を拝した壇と伝わる天拝石。
こちらも移されてきたもの(安藤さん宅前の天拝坂より)。
その真横にあるこれまた真っ赤なゴージャスなお社。
実は出羽三山神社の末社で、天地金(てんちこん)神社といいます。
……と、その前に、
豆腐の如く真っ白にはためく主張の激しい豆腐地蔵尊がスルーできませんね。
こちらもいわれがあるようです。
藪の中に倒れていたこの地蔵菩薩を見つけた石工さんが、
豆腐石(基礎に敷く四角い石)に使おうと地蔵の顔面を一撃した途端に気絶。
夢枕に地蔵が「悔い改めよ」と出てきて、
豆腐を三代にわたって捧げることを誓うと4日目に目が覚めた。
その後、現在地に地蔵尊を建て現在に至る……というわけですね。
そしてこちらのゴージャスなお社(塗り替えたかな)。
一見同じように見えますが、2020年11月(←)と2020年8月(→)の撮影。
~ 写真をMIXしてお届けしております ~
派手派手でいいですね~。
いかにも悪霊退散
という目に見えないパワー・念力が伝わってきます。
それというのも元々ここには、
厄除け大師・元三大師(がんざんだいし)が祀られ、
元三大師堂(創建1397年)と呼ばれていたようです。
なるほど、隋神門前に厄除けの神社が建ってあることにも意味はあるようですね。
1964(昭和39)年、神式の須佐之男命を祀り、出羽三山神社の末社となってからは、
門前之宮として御祈祷を行う場所にもなったようです。
御朱印。
元三大師ゆかりの寺社で授与される「角大師(つのだいし)」護符。
元三大師が大鏡に向かい瞑想に入って間もなく浮かび上がった鬼の姿。
それを弟子に書き写させたもの。
<効能>疫病除け、願望成就
他にも、「降魔大師(ごうまだいし)」や「豆大師(まめだいし)」……などなど。
豆大師は江戸時代に33という数字と密接した観音信仰の習合からとも。
それを護符として戸口に貼った家には、疫病や災厄がかからなくなったとか。
現代ではアマビエが時代を超えて一大ブームを巻き起こしましたね。
【元三大師良源】
平安時代の天台宗の座主(最高位)/912年、滋賀県長浜市生まれ
諡号:慈恵大師(じえだいし)
この絵のように、大変な美形・美坊主・イケメンであったそうですよ。
元三大師という名は、1月3日に入滅したことからその名がついた通称ですが、
名を良源といい、荒れ果てていた比叡山を復興した比叡山延暦寺の中興の祖。
ちなみにおみくじの創始者もこの良源さん。
~ 山形新聞 2020-11-16付 / 同 2021-11-16付 ~
天地金神社を後にする羽黒山伏御一行。
毎年年末になると、庄内一円の家々を訪ね歩きながら浄財を募り、お札を配る恒例行事。
我が家にも来ますが、昔はお金ではなくお米を渡していたそうです。
時代と共に様々なものが変わってゆきますね。
スケスケのお札の中身だってのぞいちゃう、そんなお年頃。
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そして、羽黒山山頂――
羽黒山の御神体・御手洗池(鏡池)と三神合祭殿。
そして、数年前までにはなかった二つの柱。
昇り龍と下り龍が刻まれてあり、ドッシリ感があって立派です。
厳島神社(元・弁天堂)。
ここにもグルグル(昇り龍・下り龍)があります。
天地金神社。
かすかに残っていますが、かつては華やかな色が塗られていたことでしょう。
中に鎮座していた弁財天は、麓の黄金堂に移されてあります。
蜂子社/蜂子神社(元・開山堂)。
出羽三山の開祖と伝わる蜂子皇子(はちこのおうじ)を祀っています。
蘇我氏に暗殺された崇峻天皇の皇子で、聖徳太子の従兄弟。
石灯籠のこのマークは蜂かなと、昔から密かに思い続けています。
こちらにも慎ましげなグルグル。
蜂子皇子には、能除仙(のうじょせん)という通称もあるのですが、
病や苦しみを神通力で能(よ)く取り除(のぞ)いてくれた仙人のような人だったそうです。
良源さん然り、醜い姿で描かれたのは、鬼が降りた姿だったのかもしれませんね。
厳しい苦行をした姿だからともいわれていますが。
御朱印とクリアファイル。
<おまけ>
蜂子神社の前には、祈祷や神事で使われる護摩壇があるのですが、
庄内藩主・酒井氏の依頼により、悲運の死を遂げた徳川家康公第一夫人・築山御前と、
長男・信康公の慰霊の柴燈護摩をここで執行した逸話も残されています。
……5年前の直虎を思い出します(泣)。
そういえば今年は年。
~ 山形新聞 2020-05-08付 ~