西郷隆盛を祀る神社は全国に4ヶ所あるそうですが、
うち3ヶ所は九州(鹿児島市と沖永良部島、宮崎県都城市)にあり、
残るひとつは何故か東北の山形県酒田市にあります。
最上川河口付近の飯森山の南麓にある南洲神社。
南洲は西郷隆盛のことを指しています。
戊辰戦争の戦後処理で、西郷が庄内の出身者に寛大公正な扱いをした縁による神社。
こんもりピラミッド型の飯森山。
その昔、山頂で弘法大師も護摩を焚いたという伝説の山・飯森山の
今年の大河ドラマ『西郷どん』の放映記念として、
鹿児島銀行からも看板が寄贈されていました。
これは嬉しいですね。目を引きます。
この境内は、荘内南洲会2代目理事長の自宅があった場所だそうです。
薩摩・島津氏の家紋、丸に十の字。
キリスト教が日本に入ってくる以前からあったようなので、
キリシタンとは無関係の模様。右は酒田市のマンホール(木造灯台と北前船)。
ちなみにカラーバージョン。
不易の教訓「敬天愛人」の石碑。「天を敬い、人を愛する」という意味。
西郷隆盛が好んで使い、自己修養の指針としてよく揮毫した言葉。
地元の情報紙のタイトルにも使用されています。
西郷に関する資料の他、遺墨や遺品も収蔵。
明治23年(1890年)に発行された西郷の遺訓『南洲翁遺訓』を現在も出版。
実際には、この二人を祀ってあるのだそうです。
西郷隆盛と、庄内藩中老・菅実秀(すげ さねひで)の肖像画。
戊辰戦争から8年後には西南戦争が始まり、
学ぶために訪鹿していた庄内出身の青年二人が殉じ、
鹿児島の西郷さんの墓のそばに現在も眠っているようです。
奥に本殿。
昭和51年建立。伊勢神宮から用材の払い下げを受けた、総檜造りの銅板葺の社殿。
手前は拝殿。
左手に、対話座像「徳の交わり」のモニュメント。平成13年建立。
西郷さん(南洲翁)と菅さん(臥牛翁)が、
お互いの親睦を深め誓い合った場面ですね。
裏側より。
隣りの建物は資料館。無料だそうです。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。
~ 自然を愛し 人を愛する 西郷精神 ~
南洲神社の過去記事は<コチラ>。
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今年1月に放送された『歴史秘話ヒストリア』内でも紹介されていました。
最後まで新政府軍に抵抗していた庄内藩は、
降伏後に重い処罰を覚悟していたようですが、西郷さんは庄内藩の戦いぶりを讃え、寛大な処分にとどめます。
島津藩のもとで南洲翁の学びを編纂した庄内藩は、全国行脚しながらそれを配布。
明治23年には『南洲翁遺訓』を刊行。
この『南洲翁遺訓』、実は日本航空経営破たんの再建にも一役買っているようです。
再建を任された鹿児島出身の経営者が、この遺訓をヒントにしたとか……。
島津家の紋章には「鶴と十字」もあるようですが、
鹿児島城(鶴丸城)からきているのでしょうか。
日本航空のロゴ・マークも鶴(「鶴丸」)ですが、
そちらは1959年(昭和34年)に採用されたようです。
偶然なのか必然なのか知りませんが、鳥肌ものですね。
個人的には、去年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』で大人気だった政次の幼名が
「鶴丸」だったことも特筆しておきたいところ(笑)。
「自分を愛する心をもって他人を愛しなさい」
何だかキリストの「隣人を愛せよ」みたいですね。
キリストも西郷さんも寛大な心の持ち主であることは共通しているようです。
ちなみに西郷どんは無類の犬好き。