――次は、あさひ月山湖(月山ダム)から国道112号線を南東へ走らせること約30分、

お隣りの西川町にある月山湖(寒河江ダム)へ。

 

 

ここでは、高さ112メートルまで噴射される大噴水を見ることができます。

日本一どころか東洋一、世界でも4番目の高さなんだとか。

 

 

季節ごとにその打ち上げパターンを変え、夜にはライトアップもされたりと、

これを見にわざわざ訪れる観光客も大勢います。

 

 

平日は午前10:00から一時間ごとに7回、土日祝は一日8回打ち上げられます。

運がよければドライブしながらでも見ることができます。

 

 

終了の瞬間。

 

 

あとは何事もなかったかのように……。

 

 

 

「月山湖水の文化館」とお食事処もございます。

 

 

一度は食べてみたい「月山湖ダムカレー」。

 

 

国道を挟んだ向かいに、通るたびにいつも気になっていた赤い社殿。

 

 

どこかの新興宗教の社殿かなと思えば、ダム建設で移築された山神社でした。

 

 

道理で新しいはずです。

寒河江ダムの竣工が1990年なので、その頃に建てられた神社かな。

 

 

国道から見てもかなり目立っています。

 

 

 

 

一緒に移されてきたのでしょうね。

 

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月山湖の中央寄りにある橋の手前の月山神社へ。

 

 

鳥居を潜っても行けますが、

 

 

道路沿いの階段から行くことにしました。

 

 

正面にたまたま見えた飛行機雲と、神社の階段のこの部分がシンクロ(V)。

 

 

どうでもいいような些細な偶然でも、こうして気付くと面白いものです。

 

 

水があるそばには、やはり龍神様が見守っているのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは昔からある神社のようです。

 

 

 

 

かつて、この湖の下にはいくつかの集落があったようです。

水没のために解体された家は93戸で、一帯の集落は移転したのですが、

ダム建設のために移転された家の戸数を含めると全部で112戸だったそうです。

 

 

月山神社の真下辺りに、「月山沢(ツキヤナサワ)」集落、左上辺りに「小砂子関」集落。

他にも「二ッ掛」集落などがあったようです。

 

 

住んでいた人たち曰く、昔を思い出しながら自分の家があった場所を眺めることもしばしばだそうで、聞いているだけで泣けてきますね……。

 

 

もちろん、ダム建設の反対運動も激しかったようです。

いくら高額保障や転職斡旋の支援があったとしても、あさひ月山湖の月山ダムとは違い、こちらは人々の住んでいた場所が集落ごと奪われるわけでもあるので、話し合いも困難を極めたことでしょう。しかし西川町は、ダムを起爆剤として町興しする選択を選んだようです。

 

 

何やら巨石が……。

 

 

忠魂碑でした。

 

 

ダムで沈んだ集落自体を鎮める石碑のように見えました。

 

 

 

 

――では、戻ります。この真下の沈んだ村へ住んでいたある方の話によれば、

小さい頃この月山神社へ上って来ては、よくここで遊んでいた思い出があるとか。

 

 

六十里越街道も、この水の下に続いていたみたいです。

ダム建設を喜ぶ人もいれば、その逆も然り……。