さて、お次は注連寺――と、その前に。

 

 

大日坊前で写した空があまりにも綺麗だったので。

 

 

なんという巨大なクロワッサン(o´ω`o) ←お口も既にクロワッサン

 

 

 

 

ん……? 

 

 

これまた気になる黒パン登場。中の具は……UFO

 

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では、次なる目的地へ。一旦、元来た道を戻り、バス停と自販機のある分岐点で、

山際の道へと入っていきます。

 

 

途中の分岐点も素通り、道なりに進みます。

 

 

間もなく見えてくる「ようこそ湯殿山注連寺へ」の案内板も兼ねた歓迎。

 

 

そして到着~。2009年ミシュラン★★認定の注連寺

 

 

ここにも即身仏が安置されています。その鉄門海上人は、人々が難渋していた坂に隧道を作ったり(加茂水族館近く)、江戸で流行していた眼病で悩む人々のために、自分の左眼を隅田川の龍神様に捧げ祈願をし、三千日に及ぶ修行をした後、62歳で即身仏になりました。

 

 

即身仏とは、我が身を犠牲にして人々をこの世の苦しみから救出するため、自らの修行(五穀・十穀断ちの後、木の実を食する木喰行を一千日続け、土中に入り錫を鳴らし仏の名を唱えながら死を待つ)を重ねて仏となることで、声や音が途絶えて三年三ヶ月後、信者らに掘り出されて仏様として祀られるのです。即身仏は全国に十数体あるそうですが、湯殿山だけで6体の即身仏が現存。

 

 

しかし実際は、掘り出されていない即身仏も結構あるようで、私の知人にも先祖に即身仏となった人がいるのですが、まだ湯殿山のどこかに埋まったままだと教えてくれました(^^;)。

 

 

時間も遅かったので、お堂は既に閉じられていましたが。

 

薄暗いのでピンボケも連発です(やや明るく調整しています)。

 

 

弘法大師が湯殿山を開いて山から下りて来ると、ここに咲いていた桜の木に、身に着けていた注連(しめ)を外して掛けます。それでその桜は注連掛け=「七五三掛(しめかけ)桜」と呼ばれるようになり、ここに建てた寺は「注連(ちゅうれん)寺」と名付けられました。

 

 

山形新聞 2017-05-09付

 

 

湯殿山は女人禁制だったため、女性のための湯殿山遥拝寺として堂宇を建てたとも。

 

 

昭和49年に芥川賞を受賞した森敦著:『月山』の舞台でもあります。

 

 

月山文学碑と森敦文庫も併設されています。

 

 

 

 

 

 

法輪をあしらったかのよう(旧・朝日村の村章?)。隣りは学校だったのでしょうか。

 

 

ちょうど昨年の今頃の写真です。

 

 

日本の原風景。信じられないことですが、実はこの辺りまで昔は海だったようです。

 

 

地殻変動で山地が隆起し、その証拠にこの付近からもハマグリやエビなどの化石が数多く出土しているとのこと。

 

 

その海岸であった名残りが、この『大網』という地名に残されているとも。

また、弘法大師が阿弥陀の聖地として、大網=大阿弥と名付けたとも。

 

 

他にも、近くの鷹匠山に鷹が多く生息していたので、大網を張って捕らえ、

その鷹の羽を国司に献上していたとも伝えられています(出羽国の名の由来でもあり)。

 

 

 

 

まるで、鳥の羽ばたきのように美しい雲……。

 

 

一緒に写るススキもちょうど羽のように重なって見えました。

 

 

――さて次は、十王峠とイタヤ清水……と思いきや、暗すぎて変なところをさ迷い、

場所もわからずさすがに断念。

 

別の日にお預けとなりましたとさ。

(次回すぐリベンジ)