――次は、同じく東根市の與(よ)次郎稲荷神社へ。

 

 

秋田・初代久保田城主の佐竹義宣に飛脚として仕えていた狐の與次郎と、

この近くにあった旅宿の娘(お花)との悲恋が伝わる神社。

 

 

ここにも石鳥居(最上三鳥居の一つ)があります。別名、六田の石(造)鳥居

 

 

室町以前のものといわれており、この近くに東向き(前々回の石鳥居と同じ)に立てられてあった鳥居をここに移築したようです。上部の台輪はそのときに付け足されたもの。

 

 

<祭神> 応神天皇、保食神、與次郎大人之霊(よじろううしのみたま)

 

 

パワスポ! スポーツの神! 秋田と江戸をたった6日で往復していた與次郎ですからね。

スポーツの神様としても崇められています。

 

 

この與次郎、秋田ではゆるキャラにもなっているようです(表記は「与次郎」)。

また、秋田市の久保田城の別当寺境内にも與次郎稲荷神社があったようですが、現在は千秋公園内の與次郎稲荷神社に合祀されているそうです。

 

 

 

 

その歴史をかいつまんで説明しますと――、

 

 

佐竹義宣は関ヶ原の戦いにおいて、東西どちらにもつかず傍観を決め込んだため、徳川家康によって常陸から秋田へと転封となります。秋田に赴いた義宣は早速城を造り、ある夜、夢枕に白狐が現れ、古くよりこの場所に住んでいるので今後も住まわせて欲しいと願い出ます。義宣は快諾して住処を与えたところ、白狐は那珂與次郎という名の飛脚に変じて義宣に仕え、秋田と江戸をわずか6日間で往復するという離れ業を使って江戸の情報をいち早く秋田に伝えたり、時には幕府の隠密の動きを封じたりします。

 

 

その道中、與次郎が宿としたのが、六田村(現・東根市)にある間右衛門の宿であり、いつしか娘のお花と恋仲になり、與次郎は自らが白狐の化身であることもお花に告げます。

 

しかし、佐竹家の動向を探っていた幕府が與次郎飛脚の秘密に感付き、與次郎を快く思っていなかった者たちで與次郎を亡き者にしようとしました。それを知ったお花は、與次郎に危急を知らせますが、與次郎は罠として置かれた油揚げ(鼠の天ぷら)を、仲間の後難を恐れて始末しようとしたところを矢によって射抜かれてしまいます。與次郎は、義宣の状箱を秋田に向かって投げた直後に事切れます。お花は與次郎の遺体を見つけ、それを葬った後いずこともなく去り、二度と六田村には戻らず、城の松の木にぶら下がった状箱を見つけた義宣は、六田村で與次郎が殺されたことを知ります。

 

 

その後、六田村では災厄が立て続けに起こり、多くの人が亡くなりました。さらに怪火によって村のほとんどが焼けてしまい、残った者はこれを與次郎の祟りと恐れ、ついには幕府の命によって慶長16年(1611年)に與次郎稲荷を建てました。

 

 

尚、秋田に伝わっているものは山形と若干異なるようですが、以下のように伝わっています。

 

狐の死体は煮て食うなどしたが、その夜から六田村の人々に乱心する者が続出した。近隣の狐達が集まって祟ったもので、一月余りの間に300人以上が狂い、17人が死に、正気の者は10人ばかりという有り様だった。騒ぎは幕府の耳にも届き、代官・杉本伊兵衛が派遣された。伊兵衛も現地の惨状に肝を潰したが、与次郎をこの地で八幡に祀ることとし、恨みを収めて立ち退くよう狐達に向けて呼ばわった。すると狐は去り、村人は酒の醒めるように回復した。

 

しかし間右衛門と谷蔵は10日も経たないうちに死に、子孫もやがて絶えた。

事の次第を伝え聞いた義宣は大いに無念がり、久保田城内に与次郎を祀る神社を建立した。また、江戸へ往来する際には、六田で必ず与次郎が祀られた宮に参拝した。義宣以降の歴代藩主も往来の際、街道から続く参道に化粧砂を敷いて必ず詣で、藩主が参拝できない場合には御刀番が代参する慣わしとなった。

 

 

 

頭上を飛んでいく飛行機。山形空港(東根市)が近くにあります。

 

 

 

 

とある鳥居を通過中に、首をクモの巣クモの巣の結界に阻まれ思わずのけ反りましたチーン

 

 

戻ります。

 

 

 

 

この小振りでどっしりな感じが親しみがあっていいですね。

 

 

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ついでに、さくらんぼ東根駅の西側「さくらんぼタント館」。

 

 

東根といったらさくらんぼさくらんぼ

 

 

この周辺の山々は、もうずいぶん昔から気になっています。

あの大森山の麓にも見ごたえある文化財(磨崖仏)があります。

 

 

何年前に行ったかなぁ。何も知らずに引き寄せられて行ったときは感動したなぁ。

 

 

さくらんぼ農園と神社も多いです。

 

 

 

 

中は、帰宅途中の学生さんたちでいっぱいでした。

 

 

 

 

佐藤錦発祥の地。

 

 

薄暗いため、なかなかピントが合わず……。

 

さくらんぼの鐘でしょうか。