芭蕉が尾花沢市にある旧友・鈴木清風(せいふう)宅へ辿り着いたのは、7月3日の昼過ぎ。
江戸時代から交通の要衝として商業が盛んな尾花沢は、特に紅花の特産品で財を築いた人も多く、この鈴木清風もそのうちの一人でした。清風はお金を貸し付ける金融業も営んでおり、商売の関係でたびたび江戸や京都へ趣いて、そこで様々な商業人や文化人たちと交流を持ったようです。中でも俳諧を好んでたしなみ、それを通じて江戸で芭蕉と出会います。
清風邸跡。実はこの鈴木家、義経の家臣・鈴木三郎重家の子孫だそうです。義経の足跡を訪ねている芭蕉にとっては、何かしらの縁を感じていたのではないでしょうか。
清風について芭蕉は、「かれは富める者なれども、志いやしからず」と、『おくのほそ道』でその人柄を評しています。
現在のお隣さんは電気屋さんと銀行。
銀行が清風邸跡の近くにあるというのも、金融業を営んだ鈴木家と関係があるのかないのか……。ついでだったので、ここでお金を2万円下ろしておきました(笑)。
芭蕉・清風歴史資料館があるのです(車もここに停められます)。
この銅像、市内出身のご夫婦が、1989年に私財を投じて市に寄贈したそうです。
~ 山形新聞 2017-02-07付 ~
資料館の建物は、江戸時代末期の土蔵造の店舗(左半分)と、明治時代の母屋(右半分)を、清風宅の隣りに移転復元したもの。大人200円。定休日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日)。
いざ、入館!
お、山刀伐峠。確かに「なた」の形をしている……ような、していないような?
「曽良さん、もうすぐ尾花沢(おばねざわ)」 ……ん? おばねざわ?
今でこそ「おばなざわ」と読みますが、昔は「おばねざわ」と読んでいたのです。山形には「羽」と付く地名が多いのですが、平安期に特産品として、鷲や鷹の尾羽を納めていたことが由来。
芭蕉は尾花沢に10泊しますが、そのうちの3泊をこの鈴木家で過ごしました。
残り7泊は、近くの養泉寺で。
入ってしばらくの展示物は撮影可なのですが、囲炉裏の奥から先は撮影禁止だそうです。
なかなか見ごたえありました。個人的には鳥の絵屏風がお気に入り(来館していたお客さんも、「うちの子たち、鳥が大好きなのよ~」と話しているのが聴こえてほっこり^^)。
しばしビデオ鑑賞でまったり。
外の暑さに、少々涼みながら……。
ふむふむ、ほうほう……(実はこの後に、山刀伐峠へ自分は行きました)。
そして最上川。
次は、この句を詠んだお寺へ向かいます――。