城跡へ向かっていると見えてくる「羅漢閣」。
この横から中へ入り、パンフレット(¥100)などをいただきました。
羽黒界隈でよく見かける『引き綱』が目を引きます。
元「お堀」。水辺はやはり心が和みます。このときまだ咲いていない藤の花も綺麗でしょうね。
↓ ※ 爬虫類が苦手な方は閲覧注意 ※ ↓
「大手門」前で蛇の守り神と遭遇。干からびているのかと思いきや、ご健在。
1632年、加藤清正の嫡男・忠廣(虎藤)は、幕府より改易され、荘内藩・酒井忠勝に預けられます。
つまりは配流ですが、このとき父・清正公の尊骨を熊本から保持して弔ったようです。
この楯館である丸岡城跡に居館を構え、肥後国に帰ることなく22年間を過ごした忠廣と、その家臣たち百余名は、どのような想いでここで暮らしていたのでしょうか……。
「蛍とぶ 庭のかたゑの すずしきは さわべの水の ほとりかと見る」
(忠廣公詠歌)
「遺構/水路」のそばには、神社がありました。
「古井戸」と「館(楯)の梅」。
「御城稲荷」。
朝鮮の王が清正公に贈った一重咲白梅を、忠廣一行がここに移植し、
江戸末期まで咲き誇っていたとあります。
手前の「水路」と向かいに「馬出し」。そして「御書院」。
その奥に、「お庭の泉水」。
昔にとっても癒しの場だったでしょうね。
この柳は、「みちのくしろやなぎ」と言って、樹齢は350年余。
――そして、「太夫石・巫子石」。
清正公の尊骨を持ってきたことが公儀に知られないよう、大磐石を置いて隠した(仮埋葬)とされている場所。その隣りに、この館で病死した忠廣公の母の亡骸も埋葬したようです。
「たらちねの 父のかたかま 身にそへて ふたたび名をも おぼえける武者」
(忠廣公詠歌)
「遺構/御風呂屋」。
「遺構復元/御居間・長局」。
「うすいろの にほひもふかき 八重の梅に とまり桜の色も おなじ花」
(忠廣公詠歌)
4月下旬、散った桜もあれば、咲き誇る桜もありました。
桜には青空がよく似合う……。
天澤寺の住職も加藤家の縁者。
「知足庵(樽禅堂)」。一度は入ってみたい樽の中。悟りが開けるかも!
そして、実は加藤家の子孫が、ここ庄内に何人か存在しているらしいです(同市出身の故・加藤紘一氏も気になるところ)。先祖代々伝わる家系図や持ち物などから、現在、二組の家が清正公の子孫であると判明しているとか。