つい数日前、熊本城の復旧工事の様子が公開された話題がありましたが、
熊本城を築いた加藤清正の墓が、なぜか山形県鶴岡市にあります。
~ 『NHK総合 ニュースチェック11』より ~
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以前紹介した、UFOを撮影してテレビでも流れたあの橋からわずか西へ2㌔の、
天澤寺というお寺に眠っています。
まさに、“奇なるかな奇なるかな 英雄の骨がここに埋まっていようとは”ですね。
清正閣。清正公の菩提を弔う墓所で、現在のお堂は1979年に再建されたもの。
この付近に住む人々は親しみを込めて、「せいしょうこう様」と呼んでいるそうです。
1949年の発掘調査では、この地下から清正公着用の鎧が発掘されています。
またお堂の中には、この地で生まれた清正公の孫(男女)の小さな五輪塔が祀られているそうです。
そして墓地は、すぐ隣りのこちらから入っていきます。
まず正面に、嫡男の忠廣公に随行した家士の墓が見えてきます。
さらにその先へ進むと――、
五輪塔覆堂が見えてきます。ここが清正公の墳墓です。
1949年の発掘調査で、五輪塔地下から蓋のない壺が出土し、人骨と思われるものも付着。「天保4年(1647)12月3日清地院居士敬白」の刻字がある、肥前弓野窯焼きと判明。
五輪塔を風雨から守るために造られた覆堂。
清正といえば朝鮮出兵での虎退治が有名ですが、
この虎の置物は住職の趣味(笑)で飾ったものだそうで、境内にいくつか点在しています。
ちなみに清正公には、虎之助という通称もあります。
(虎繋がりで現在放送中の『直虎』も観ています^^)
熊本から忠廣公についてきた医師の墓。
自然豊かなこの地で、皆様、どうぞ心安らかにお眠りください。
母狩山。
月山。
虎かと思ったらライオン(獅子)?
それでは、いよいよ本堂の中へ……。中を開けてもらいました。
いろいろお話を聞けたのもよかったです。
今後の大河ドラマに清正を推している動きがあるようで、しかし来年が西郷隆盛なので九州続きになってしまう点と、朝鮮出兵の件もあるのでなかなか実現は難しいとか……。
昨年、清正公の鎧が復元されました。
製作したのは名古屋の甲冑師さん。
実は清正公も名古屋で生まれているので、運命的な何かを感じました。
右下の虎の置物は、青森の方から奉納されたものだそうです。
境内へ。
参道の両サイドには、十六大阿羅漢の見ていて楽しくなる表情の像たちが。
くまもんもいました。……あ、こっちがお寺の入り口だったんですね。
熊本の方々と交流もしているようで、本堂には熊本地震の募金箱もありました(入れました)。
次は、すぐ隣りにある丸岡城跡へ向かいます――。