2月下旬、鶴岡市の中心部に鎮座まします荘内神社へ――。


~ 山形新聞 2016-12-04付 ~
このかっくいぃ絵馬が見たくて行ってみたのですが、どうやら期間限定だったらしく、既にひな祭りバージョンに替えられていました(新聞にもちゃんと書いてありますね^^;)。
岩木山神社のように一年中飾られてあればいいのにぃ。


  

  
1603年、北隣りにある酒田市の最上川河口の湊に大亀が這い上がったのを、当時の領主の最上義光公が大いに喜び、酒田の東禅寺城を亀ヶ崎城と改称したことにより、元々ここにあった大宝寺城を鶴ヶ岡城に改称したようです(鶴と亀という意味で?)。ちなみに、新聞記事の女子高生が通う高校が、まさに亀ヶ崎城があった場所でもあるというシンクロ。
同時期に、西側にある尾浦城も大山城へと改称。

  
<祭神> 酒井家(初代、二代、三代、九代) ・・・あ、4名様限定なんですね。

  
拝殿のすぐ横には北門。……あ、この神社、実はお城の跡地に建てられています。


北門を出ると、「本丸・内北門跡」の標柱。

  
「宝物殿」。石燈篭の中に、何故かミニマム狛犬が(ラブリー)。
数年前に来たときには、この瓶の中に金魚とメダカが泳いでいました(ラブリー)。

  
「御神輿庫」

  
タツノオトシゴかと思いきや、馬……?

  
酒井氏の家紋。徳川家と同じ先祖を持つ酒井家は、三河時代からの徳川譜代の最古参。

  
ついでなので、少々歴史を辿ってみますと――、

  
1622年、譜代大名の酒井忠勝が庄内に入り、庄内藩が成立します。
忠勝は、庄内の主城を尾浦城ではなく鶴ヶ岡城を藩庁に定め、その後、酒井氏は十二代続き、1871年、廃藩置県により廃城となりました。

 
「二の丸・大手門跡」

  
丸っこくてとっても美味し……とってもラブリー  酉年ですから!

 
現在、本丸と二の丸跡周辺は、鶴岡公園として整備されております。
また三の丸跡には、藩校「致道館」が残っており、東北地方に唯一現存する藩校として国の史跡に指定されています。

 
鶴岡護国神社。

  
拝殿は、酒井家十代藩主のご霊廟だそうですが、

  
明治維新以来の戦いに於いて国を護った、鶴岡市出身の4930柱の英霊たちをお祀りしているようです。

  

  

 
「永久平和の先駆 石原莞爾生誕之地」でもあります。

  
「本丸・渡櫓跡」

 
やっぱり美味し……ラブリー 。酉年に相応しく!


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大宝館(郷土人物資料館)。大正天皇の即位を記念して1915年に建てられた洋風建築物。
開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、現在は、明治の文豪・高山樗牛や日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保など、鶴岡が生んだ先人たちの偉業を讃える資料を展示。

  
 
  
「本丸・中門跡」


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荘内神社の手前には、鶴岡市出身の小説家・藤沢周平記念館もあります。


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銅像もありました(藤沢氏にあらず)。

  
酒井 調良(さかい ちょうりょう)は、庄内藩の家老・酒井了明の次男(江戸末期~大正時代)。
農場経営者で荘内蚕糸業組合長。新品種「平核無(ひらたねなし)」=「庄内柿」の栽培に成功し、庄内で初めて、林檎の栽培と豚の飼育を始めた人物。

  
こう言っては何ですが……、その……、とってもラブリーです 


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元々は、別の場所にあったご神木(ケヤキ)の一部だそうで。


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稲荷神社もありました。

 


手水舎に夫婦杉の一部がありました。


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そして、この公園の西側には、あの名曲のモニュメントがあるのです。

  
「雪の降るまちを~ ババババーンバ
 
  
作曲家・故中田喜直氏が、鶴岡で過ごした雪の一夜が曲想のイメージを決定づけたといわれおり、この名曲の発想の地であることを誇りとして設置された記念モニュメント。

  
夜にはライトアップ。メロディーも流れるのかな?
 
  
昭和27年は前年から大雪の年で、自作の学園歌発表のため夜遅く鶴岡駅に着いた作曲家・故 中田喜直氏は、出迎えの地元音楽愛好家菅原喜兵衛氏の馬そりに乗り彼の家へと向かった。その夜は珍しく風もなく、雲の合い間で上弦の月が輝き、遠くは月山、近くは金峯・母狩の雪に包まれた山並みが見えた。雪の影があざやかな晩だった。月の光の中から舞い落ちてくる雪の花びらは温かい頬に触れては消えた……。

日本中の人々に愛唱されている名曲『雪の降る街を』は、鶴岡の雪景色や旅の思い出をメロディにしたものといわれています。また鶴岡駅ロータリーにも記念碑があります。
 
  
時期的にはほぼ一緒なのですが、昔と今ではだいぶ気候も変化してしまったようで、これでは「雪の降らないまちを」ですね。でも降ることは降るので、言うなれば「雪のないまちを」かな?
奥に、昨年、某オンラインゲームとのコラボ企画で、とある刀を展示した致道博物館が見えます(博物館の過去記事は<コチラ>)。

  
土塁と桜。『日本さくら名所100選』にも選ばれた、市民の憩いの場です。
人懐こいプリティーにゃんこ とも出会いました。
が、その後、飼い主さんと散歩に来ていた犬 とにらみ合っていました(笑)。
ほのぼの~。