――空を見上げて、何かを祈る姿……?


土偶はデフォルメされた縄文時代の土人形ではあるのですが、この杉沢土偶、特に気になる点をあげるとすればこの突出した「鼻」なんですが(気になる突出部分は他にもありますが・笑)、横から見るといっそう変てこなんですよね。


上から見れば豚鼻



例えば左側の遮光器土偶(※杉沢土偶も遮光器系の土偶)のように、もしかしたらヘルメット(?)の額部分の装飾と混同(簡略化?)されたとは考えられないでしょうか?(※ただの妄想なので気にしないでください) 乳房と考えられている部分も本当に乳房なのかという疑問も。
他には右側の遮光器土偶のように、欠損しているか最初からなかったり、あとは空気穴(?)のような穴が1つ、鼻の部分に開いているだけです(中には鼻の部分の穴が3つ開いている土偶もあります)。

そして杉沢土偶は、一般的な土偶と異なる方法で見つかっています。
ふつう土偶というと、意図的に体の一部を破壊して祈りを捧げた祭祀用のものだと考えられていますが、この土偶は仰向けに寝かせられた状態で川原石を3つ「コ」の字に囲い、その上から大きな石をかぶせ、あたかも人間を埋納するかのように現在の地面から1メートルほど地下に埋められてあったそうです。その掘削時に、元々完形だった土偶の右結髪部分、左乳房先端、右足を誤って欠けさせてしまったと、土地の所有者(発見者)は伝えています。
この土偶にどんな想いが込められていたのかは埋めた当人のみぞ知るですが、よほど大切な方だったのではないかということだけは察せられますよね。
個人的には宇宙の方とも関係していると思い…た…ゴニョ。
(※ただの寝言なので気にしないでください)




























































~ 以下、当日写した他の写真(重複あり) ~


遊佐町から鳥海山。


UFO雲、もといレンズ雲。




町役場のすぐ裏にある防災センターに、例の土偶が展示中。


おかえり~。60数年ぶりの里帰り。


出土地は、大物忌神社(蕨岡口之宮)と、熊野神社に挟まれています。


奈良国立博物館収蔵。X線写真で、中が空洞な「中空土偶」と判明。


「私は、2300年以上前に誕生しました



土器もそうですが、どうやって焼いたんでしょうね。よほどの高温の火を使わないと、現代でも作るのが容易ではないみたいですよ。今でこそ観光の一環などでよく作られたりしていますが、実は精巧かつ高度な技術が縄文時代の遺物には使われているのです。1万から数千年も溶けずに形をとどめている土の製作物……。

出土現場へ。


右に見える山(天狗森)の麓にあります。天狗森という名が気になりますが、修験の山でもあったようです。かつてはスキー場もありました。










北に熊野神社。


山伏が舞っていたという「杉沢比山」は、現在では村人が祭りで奉納しています。

明治神宮でも舞を奉納したようですね。


社殿もすっかり冬モード。


中央に龍。


麒麟?


鳳凰。




境内からも出土方面(やや高台)が見えます。


今回は、公民館のわきの道から入っていきました。


道は狭いです。昔はこの辺りに家が建っていたようですね。


目印の石碑。


「土偶発掘の地/昭二八・七・一〇(?)発掘」……とあります。
過去記事<コチラ>


鳥海山も真正面。






雲が気になるものでして……。




すみませんね、同じ写真を何枚も……。






山頂付近の雪が、風に舞っている様子もよく見えます。


谷もばっちり見えます。


では、戻ります。周辺をもっと発掘すればいろいろ出てきそうな雰囲気。

今とは若干違うであろう縄文時代の風景を妄想しながら……。
縄文人といえば、異質の遺伝子といわれる「古代血統・Y遺伝子D系統」なのですが(詳細はコチラ)、自然を敬い共存し、宇宙との繋がりも深かったに違いない、その平和な文化が一万年以上も続いた縄文時代は、自分も昔から惹かれる時代です。


そして、うちの遮光器土偶さんは去年の秋、祈りを捧げようと二ヶ所破壊……ではなく、持ち上げたコタツテーブルを誤ってぶつけてこのような痛々しいお姿に……ごめんよハニー。