三神合祭殿。三神とは、出羽三山である月山・羽黒山・湯殿山の祭神を指します。
そしてここは元は、寂光寺の「金堂」でした(廃仏毀釈で山頂に残された唯一のお堂)。

 
左奥から、大山祗命(湯殿山)、月読命(月山)、玉依姫命(羽黒山)、+神馬。


一番お参りしやすい羽黒山に集約させちゃった♪ ……みたいな感じでしょうか^^。


特に冬は雪深くて参詣も大変ですからね。茅葺屋根の修理だって大事業です。
しかも最近は、茅葺屋根を修理する人もどんどんいなくなっていることから、
今後の更なる人手不足も懸念されているようです。

 
鏡池の手前に、明治天皇の第7皇女・ 北白川房子様より賜れた御祝歌(建立:1973年)。
~ 阿か阿かと 朱ぬりもはゆる 出羽のやしろ とはに栄えむ 御国の鎮と ~

  
こちらもまた赴きのある石碑。「明治三十七」と刻まれてあるのが確認できます。

 
鏡池はかつて御手洗(みたらし)池とも呼んだようで(鏡ヶ池ともあり)、
蜂子皇子が上陸した由良・八乙女洞窟と、地下の道で繋がっているという伝承もあります。

また合祭殿(本殿)が、
『御神秘』と呼ばれる岩上に営まれている
ことから(奈良・天川の大峯山寺とも類似)、
古代の岩信仰(御神体)を封印する形にも見えてしまいます(=個人的見解)。
ちなみに『御神秘』は、17年ごとに造営される古例で、
普段は本殿の床下に板壁で閉ざされているようです。
17年に一度の修繕時のみ、
21日間の精進潔斎をおこなった神職と大工だけが見ることを許される秘密の儀式。

まぁ元をただせば、岩と池がセットで古代人(縄文時代まで遡る)の信仰の対象だったのでしょう。ビバ☆自然崇拝。

  
この鏡池も、神の池として鏡を納める信仰があり(赤城山や榛名山などと同様)、
ここから沢山の鏡が出土しましたが(最盛期は平安~鎌倉時代)、
鏡は神のものなので本来取り出すことはできないようですが、
大正時代にある信者が神橋を奉納し架橋工事をおこなった時や、
神の池に橋を架けるのは冒涜だと撤去された折に、鏡が出土したようです。
全国的に見ても、ここほど大量に出土した類例はないようで(約600面歴史博物館に一部展示)、鏡を池に鎮めるのは、神鎮めのためでもあったのでしょうか(その神意を伺うのは巫女の役目)。

 
出羽三山歴史博物館(元は宝物館)』の入館は午後4時まで(大人¥300)。
ふもとの『いでは文化記念館』(大人¥400)のチケットと、
セット(¥500)で買った方が200円もお得(笑)。
但し、両館に入るという前提付きでですけども(そりゃそうだ)。


世の中、やっぱり金ですから。

  
話が金の話に飛んでしまいましたが(金堂なだけに)、
実はこの池こそが羽黒信仰の中心であって、
古書では『羽黒神社』と書いて「いけのみたま」と読ませるほどでした。
神霊の宿る神秘の御池……いえ、池自体が神霊そのものなのでしょう。

  
この池に棲むといわれる九頭竜(龍神・蛇神)も、その池中納鏡の思想が起こしたものなのでしょうか。


一瞬、巨大化したキノコが生えているのかと……しかも石化。




金金(カナカナ)……と、涼しげなヒグラシの声入りです^^。
BGMと混じってますけども。





見上~げてごらん~、龍 とか が飛んでいないかなと~……(苦しい)。


その他、著名人の句碑・歌碑も幾つかあります。
個人的に一番左の比較的読みやすい句碑↓がお気に入りです。
~ 伊勢の神威 羽黒の霊威 杉の露 ~ 河野 静雲(福岡の住職)

その隣りの3つは、高浜虚子とその子と孫の歌。
~ なつかしや ここに縁の つるでまり ~ 稲畑 汀子(虚子の孫で年尾の次女)
~ 俳諧を 守りの神の 涼しさよ ~ 高浜 虚子
~ 月山の 裏に表に 残る雪 ~ 高浜 年尾(虚子の長男)


~ 月明し 夜を知ろしめす 神ここに ~ 碧水(虚子に習っていた商人だそう)

 

その近くには、「秩父宮・高松宮(昭和天皇の弟たち)両殿下御手植」の石碑あり。