――2446段の石段を登らなくとも、羽黒山山頂へは車でも行けます(有料ですが)。

  
荒澤寺(右)を過ぎると、間もなく正面奥(左)に見えてくる、羽黒山有料道路料金所のゲート。
普通車は、自分が記憶している限り今も昔も変わらぬ¥400
それにしてもチケットの裏面のお酒がとってもおいしそう(笑)。

  
有料道路をひた走ります(お金を払っているというだけでどこか気持ちも違います・笑)。
この緑の癒しの空間が好きなんですよ~。
この日は途中、右手に1台の車が停まっていました。
よく見れば鳥居もあり神社があるようですが、気になりつつも素通りしました(車は急に停まれない)。後ほど寄る休暇村わきの神社へ通じていると予想。

  
実はこの日は【花祭り】当日。
ちょうど仕事も休みで、前日のしかも夜に、車の中にブーンと羽虫(蜂?)が入ってきたので、
これは呼ばれてるなと、翌日行ってみようかと目論んでいたのですがその反面、
山頂は人が沢山いるわテレビカメラもいるだろうわで、静かに自然と一体になり

たい派(←でも独り言は多い)の私は行くのをためらっておりました。

 

とりあえず山頂へ向かって車を走らせること数分、左手にも石碑と神社が見えてきます。

 
吹越神社峰中堂があるので、ここには車を停めて寄ってみます(急ではなく予定内だったので・笑)。

  


  
ここは、山伏さんらが修行の一環で立ち寄って、拝礼する所の一つでもあります。
1688年までは、秋の峰修行の大先達たちが、承認と祝福と宣誓の儀式を行う場だったとか。以前は階段のわきに立て札もたっていましたが……雪でやられたのでしょうか。

  
元はこの吹越神社開山堂と呼ばれていたようですが、
山頂の蜂子神社も元は開山堂と呼ばれていました。
ここ吹越と羽黒山山頂の2ヶ所に開山堂があったようです。

  


  


  
かつてはここに、金剛・除魔童子を従えた秘蔵の能除太子(蜂子皇子)像が祀られていたようで、特別な時以外は一般には公開されなかったとか。
(現在、蜂子神社に祀られてある蜂子皇子像と同じものであるかは不明)

  
修行を成就したことを示す、中世後期の石製碑伝

 


 
見晴らしも良いです。

  
水神様の石だけが読めます。この先に続く石段の道は、芭蕉も通ったとされる旧・羽黒山参道?

  
最初の写真の荒澤寺へと通じる道だと思われます。

 
ここに出てくるかと……。

  
修験者さんたちもおそらくここを通るのでしょう。

  
修験道とは、日本古来の山岳信仰が、道教や仏教や密教などの影響を受けて、
平安時代中頃に成立したもの。

  
修行に入ると、種々の雑念や妄想に悩まされますが、
やがてはそれも失せて心が澄み通ってくるようです。
そう、このありのままの自然のように……。
人によっては神秘体験もするとか。
  

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一方、反対側には神社執行の秋の峰修行のこもり堂である峰中(ぶちゅう)堂

  
こちらも以前は扉の前に説明板があったのですが……以下略。

  
山伏修行の最大の苦行である『南蛮いぶし』は、ここでは行われないのでしょうか。

 
正式には『火鉢作法』『煙立作法』と呼ぶいわゆる地獄行で、こもり堂の戸を閉め、堂内に炭火の入った火鉢を数ヶ所に置き、その火の上に「唐辛子」や「毒だみの葉」を刻んで混ぜた薬味を、うちわで扇いで煙を充満させる行。この煙を体内に吸収させると内外から刺激され、のた打ち回るような地獄の苦しみを味わうようです。

  
裏側に道があったので行ってみました。

  
行き止まり・下は崖でした。雪隠(せっちん=トイレ)のような物体が……違うかもしれませんが(^^;)。

  
庄内平野を一望。

  


  
……戻ります。

  
なにげに生活感が感じられます。

 


  
禊をする場所? 何かを燃やす場所? プール……ではなさげ(クマしか泳がなさそう)。

  
あ、トイレ発見。

  
静寂に満ちた空間。
なかなか良かったです(誰もいなくて・笑)。