羽黒山の麓、門前街の手向(とうげ)地区を訪れたら、一度は訪れて欲しいお寺。
蜂子皇子が建立にかかわった寺院の代表格である正善院黄金堂は、金剛樹院の近くにあります。中でも正善院の本堂である黄金堂は、聖武天皇勅願建立とも源頼朝の使者による建立ともされ、直江兼続の了承を得て修復をされたこともあるようです。
廃仏毀釈の手を逃れた羽黒山一帯の貴重な仏像群などが持ち込まれたお堂でもあり、
個人的に見ても山頂の歴史博物館と並んで(もしくはそれ以上に)、
見る価値のある所だなと感じた次第です(感動の連続でした)。
正しくは、羽黒山長寿寺金堂(元は中禅寺)といい、金堂とは本堂のことを指します。
山頂の三神合祭殿(元は寂光寺の金堂)を「大金堂(だいこんどう)」と呼ぶのに対し、麓のこちらを「小金堂(しょうこんどう)」と呼んでいたようです。
のちに、大金堂は「大堂(だいどう)」、小金堂は御本尊の33体の観音様が黄金色に映えることから、「黄金堂(こがねどう)」へと変化していったようです。
荒澤寺も管理している首院の正善院は、修験寺院。
重要な山伏修行の【秋の峰入り】期間は、黄金堂の拝観もできませんのであしからず(><)。
役行者も泊まったとあります。しかしこの日は誰もおらず、檻の中に番犬だけがいました(おしっこをしていました^^:)。
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なんと、この釜でこしらえた粕汁を、かの弁慶が飲んだとあります(弁慶の粕鍋)。
閻魔様。
「由来記」と刻まれてあります。
仏足石。
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境内にはお竹大日堂もあります。2020年にご開帳だとのこと。
庶民の信仰の対象となったお竹さん(庄内出身)こと、お竹大日如来。
徳川時代に大日の化身といわれ、生仏として尊崇、一世風靡した実在の人物だそうです。
江戸に奉公に出た女中でありながら、仏道を実践し、人々の共鳴を得て、
中でも東京・日本橋の方々によって祀られ、全国にその信者が散在しているとか。
山内で一番立派な建築物ともいわれたとか。昔はこのお堂も、もっと道路側にあったようです。
何年か前まで、てっきりこれ↑が金色に光っていたから黄金堂と呼ばれているのかと
勘違いしておりました(^^;)。※道路から見えます。
黄金堂はこれじゃなくってよ。
黄金堂の中には、荒澤寺の「ひじきり荒沢不動」の貴重な仏像も保管されています。
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そして――
旧・国宝であり、現・国指定重要文化財であるこの黄金堂は、
平成26年4月~平成28年3月まで保存修理・防災設備の改修が施工されます。
ここでスリッパに履き替えて中へ入ります(拝観可能な別の日にまた行きました)。
古い……。既に重厚さが感じられます。
拝観料¥300(中は撮影不可)。じっくりとまなこを見開いて 拝観させていただきました。
「徳尼公像」が一番の目的でしたが、たくさんの貴重な文化財に目移りがしまくり感嘆しまくりでした
<徳尼公(とくにこう)>
平泉から逃れてきた秀衝の妹で、その侍従36人衆は酒田の町の基盤を作った。
徳尼公の木像は、元は山頂の本社に祀られていたが、明治時代、ここに移された。
羽黒山に何か異変が起こる時、躍り上がったり汗をかいたりしてその前兆をすると信じられている。(過去記事はコチラ)
・・・まぁ、頼朝を恐れて羽黒山界隈から酒田へ移動したというのに、
後の世に、その木像が頼朝の使者(家人)が建てたとされる黄金堂に安置(救済)されたというのも、悲劇というか運命のいたずらというか……。
中では案内役の女性から貴重なお話も沢山聞けますので、是非入ってみて下さいね~。
質問攻めをして有意義な時間を過ごした私(笑)。
蛇の爺さん(宇賀神)の像が印象に残りました。
巨大な弁天像(玉依姫=羽黒神か)は、
山頂の昇り龍と下り龍が見事な厳島神社の中に元はあったものだとか。
廃仏毀釈により、貴重な仏像などが続々と運び込まれ、
ここが見逃されたおかげで今でも見ごたえあるもののオンパレード。
この日は住職さんがある団体の対応に忙しそうだったのですが、聞けば文部省の方が来ていて、国から修理費が下りるのでその視察に来ているとのことでした。
雪の重みで屋根の梁が数本折れているとか何とか……。
また、お竹大日堂の茅葺屋根は特殊な方法のようで、
もう直せる人が(高齢で)いないという切実な話も聞いて物悲しくなったりしました。
わき道というか裏道というかも通ってみました。お手洗いもあります↑。
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繁栄の御世、羽黒山には今より数多くの寺院がありました。
正善院と黄金堂の間(現在は道路)に大鳥居が建っていた様子も描かれています。
ここから俗世と断ち切る世界とされ、先達に率いられながら入っていったとか。
ちなみに○○県の人は○○宿坊に泊まるとか、決まっているそうですね。
↑ 現在、まったくその名残もありませんが、大鳥居があったのは大体この辺でしょうか。
明治維新の廃仏毀釈の暴挙で、半分以上の寺院が破壊され、寂光寺金堂は現在の合祭殿となり、多くの仏像・仏具や文化財が壊され、焼かれ、売られてしまいました。
・・・が、荒澤寺、正善院黄金堂、金剛樹院は、ある方の信仰心のおかげで護持。
初代山形県令の「鬼県令」と呼ばれた三島通庸(みちつね)もその存続を許可します。
↑ 三島氏が分祀した、最上川沿い・白糸の滝ドライブイン近くの山中にある草薙神社。
ちなみに、明治時代に生まれた三島氏(薩摩藩士の長男)は、
山形県内の数々の隧道や国道を整備した豪腕で、
彼の功績なくば、現在のような最上川を眺めながらの快適ドライブや、
日本海を眺めながらの軽快ドライブ・・・もできなかったわけです(笑)。