――皇子が湯殿山から羽黒山へ戻る途中、大日様から授かった【水の玉】を月山に納めます。月山から流れる川を「玉川」と呼ばれるのもそれが由縁ですが、
羽黒山に着くと【火の玉】を「荒沢」という地に納め、
大日様の化身として不動様と地蔵様を祀り、護摩修行をするための火を焚こうとしました。
しかし、火はすぐに消えてしまいます。
困っていると不動様が現れ、右手の剣で自分の左ひじを切って松明とし、
したたる血を注ぐと炎となって護摩木を激しく燃やしました。
次に地蔵様が現れ、額から放った光で燃え盛る炎を清めます。
清められた火は、納めたお堂の中で絶えることなく燃え続け、「常火堂」と呼ぶようになり、
また不動様は、「ひじ切り荒沢不動」と崇められるようになりました。
羽黒山山頂へ向かう途中のオブジェ。「磐梯朝日国立公園 出羽三山」とあります。
手前に赤い橋。赤は魔よけも意味するようです。
坂道を上り、羽黒山有料道路(正面奥)の手前に、苔むした石段と山門が見えます。
ここが、荒澤寺です。羽黒山奥の院でもあり、山伏修行『秋の峰』の根本極秘の道場。
阿久谷(羽黒山信仰発祥の地)―羽黒山頂(本社)―荒沢(奥の院)は、南北軸直線で結ばれています。
蜂子皇子が、湯殿山・大日如来の和魂を地蔵尊、荒魂を不動明王として祀ったとあります。
後に、役の行者や弘法大師、慈覚大師らもここで修行を積んだともあります。
道路を挟んで向かいには、羽黒山の山頂方面へと通じる石段も見えます。
向かって右手に水神、左手に地蔵菩薩の石像。
その奥に、羽黒山五重塔を建立したと伝えられる平将門の護持仏、
「鉄の地蔵菩薩」を祀る「地蔵堂」があります。
「女人禁制碑」と「地蔵尊」。
「山谷険阻にして老人子女の登拝容易ではなく、即身成仏修練の聖地として空海上人は、女人を結界し……」 (湯殿山大日坊/注蓮寺縁起)
実は明治時代まで、ここから先は女人禁制でした(寺院も3つあったようです)。
現在は女性もこの先に入ることができるようですが、見えない結界に阻まれているようで、
何年経っても是より先へ入るのはためらわれます(笑)。
今でこそ道路がここまで通っているので簡単に寄ることもできますが、
奥の院と言うほどですから昔はここに来るのでさえ容易ではなかったんでしょうね。
この日は、奥の寺院から修験者たちが出てくるところでした。
「地蔵堂」。まぁ、でっかいオーブ……なんだかゴミなんだか光のいたずらなんだか……。
邪魔なので(笑)、写らないようあらゆる方向にカメラを向けてみましたが、
光源(太陽)の方にレンズを向けている以上、何度拭いても、
どうしても入り込んでしまいます(レンズに張り付いているかのようにくっついてくる)。
でももしかしたら、ありがたい観音様かもしれない……。
地蔵堂は母の胎内とみなされ、修験者はお堂の裏側(墓地)より拝みます。
それでは、この先にある常火堂へと向かいます。
あれに見えるは「常火堂」。
蜂子皇子の御歌。「くらき世を あきらけくこそ 照すらし のりのきり火の たゆることなく」
修験者の主尊・不動明王。
かつてはここに、山伏修行に使われる羽黒山の聖なる火がともされていたようですが、
明治時代の政治の混乱で消されてしまったようです。
井戸でしょうか。神聖な「八」角形のフタ。そばには川も流れていました。
火と水の修行でしょうか。
森羅万象・草木国土・悉皆(しっかい)成仏……。
自分は目の前の草であり、草木一本に至るまで貴ぶべし。
宇宙は生命の本源であり、人間もその一分身に過ぎない。
「うけたもう~」