出典:ウィキペディア

先日NHKで中継していた『京都 祇園祭 千年の謎』を興味深く拝見しておりましたが、京都・八坂神社(祇園社)の祭礼である祇園祭は、

7月1日から一ヶ月間に渡って行われます。
かつては全国の八坂神社で行われた祭りのようですが(現在行われている所もありますが)、特にハイライト・メインとなる山鉾巡行は、「7月17日」から一週間続けられ、八坂神社から3基の神輿(スサノオ、クシナダヒメ、スサノオの8人の子供たち)が通る道を、清めるために始められたもののようです。

山鉾はその形から5つに分類されますが、個人的にも注目するのが、
上の写真にある 「船鉾」と呼ばれているものです(神輿自体が船に見えますが)。
そう、「7月17日」と「船」でピンと来る方もいると思いますが、
【ノアの洪水】と相似している点が注目なのです。

 

 


この時期に上映したのも意味あり?
 


諸説ありますが――
旧約聖書の『創世記』の中にある「ノアの方舟」の話によれば、
人間を作ったヤハウェ(エロヒム)は、エデンを離れたアダムとイヴの子孫たちが、
互いに争ったり堕落していくさまに絶望して、大洪水を起こすことを決めました。
ただ一人、救う価値のあったノア(600歳)を除いて。
ヤハウェはノアに、巨大な方舟を造るよう促し、その舟に妻と3人の子供たち、
それに動物のつがいや食べ物と苗木などを乗せることを許可しました。

やがて洪水が地上を覆い尽くすと(150日間)、
7月17日に方舟はアララト山(トルコ)の上に流れ着きました。


ユダヤ人の始祖でもあるノア一族。
この7月17日をユダヤ人が重要視しないわけがなく、
ソロモン王の時代より「仮庵祭」という行事を、

7月17日から約一週間行っているようです。
また祗園祭では、行列に参加する人々は榊や柳や竹などを持って歩きますが、
かつての古代ユダヤの仮庵祭でも、

沢山の木の枝を持って行列に参加したとあります。

尚、祗園祭の起源は、863年に疫病の流行を阻止するために、
御霊会を執り行ったのが始まりとされていますが、
ソロモン王が始めた「仮庵祭」も、
イスラエルの民に伝染病が蔓延しないようにとの祈願が発端となっているようです。

更に、シオンの丘に神殿が造営されていたことから、

「シオン祭」と呼ばれていたとも……。
これが「ギオン祭」になったかどうかはともかくとして、
「スメラ・ミコト」とは古代ヘブライ語で、
「サマリア(イスラエルのかつての首都)の王」

という意味であることも見逃せません。

彼らはまた「種なしパン」を祭りの際に食していたそうですが、
日本の「餅」とそっくりで、「マツァ」と言うようです。

(その発音もモチに近いとも)

京都・八坂神社の疫病よけのお守りには、
いわゆる「蘇民将来」と呼ばれるユダヤの象徴・六芒星

記されたり象られてあります。
(六芒星といえば伊勢神宮にも……)

大文字焼きも元は「大」の字ではなく、

「★」型のダビデ紋(簡略して大の字になった)だったそうで、

中には「船」型のものもあるようですが、
毎年陰暦の7月16日の夜~17日にかけて催されたようです(現在は8月16日の夜)。




――そして蘇民将来や洪水伝説は、実は世界各地の神話と類似しているようで、
例えば、モーゼやギルガメシュや禹(中国)の伝説にも語られています。

ちなみに日本でUFOブームの引き金となった矢追さんの誕生日も7月17日。