蜂子皇子は徐々に出羽三山へと近づいてまいります。
次に目指すは手前に見える丘、高寺地区(旧・羽黒町)へ――

 

 
県道からこんもりとした木々とお社が見えます。
 

 
とりあえず、集落の中へと入ってゆきませう。

 

 
間もなくすると、雷電神社の鳥居がお目見え致します(なつかしや~)。
このあたりに車を停めて歩いてゆきます。

 

 
右折した先に、まず見えてくる古めかしいお社。

 

 

 

 

 

 
相変わらず興味のそそられる、古めかしい社とその景観です。

 

 
と言っても、数年前に来た時は、ここが雷電神社だと思ったらしく、
その先にあるとも知らずに引き返してしまったのです(無知とは恐ろしい^^;)。

 

 

 

 
雷電神社へ行く……その前に、

 

 
照光寺の方へ。その時、気になった方へ行くのが私流。

 

 
単にお寺の方が近かったからなんですがね。それでも何かに導かれるように……。

 

 

 

 
蜂子さんがヤタガラスに導かれたように、私も何かに導かれるがまま……。

 

 

 

 
実はここには、蜂子皇子御作の三尊が須弥壇の奥に奉斎されているようです。
33年毎に御開帳される秘仏で、御仏の下が井戸になっていたので火難を免れたとか。
他にも、『八咫烏と蜂子皇子像』といった版木(木版印刷のための彫刻した板)や、
蜂子皇子御像もあるようです。見たい~(書籍の写真では拝見しましたが)。

 

 
なるほど! 私を導いてくれたのはヤタネコ(苦しい)さんでしたか!

 

 
――それでは雷電神社へ参ります。

 

 
ここも色々な謂れの残る神社(里宮)です。

 

 
奥の院・御神体は、月山・雨告山の山頂にある雷電磐(らいでんばん)。……金剛磐とも。
現在、その岩体である雷電神は、土砂崩れで崩れてしまったそうですが、
その名前からしても製鉄と何やら関わっていそうな匂いが致します。

 

 
江戸と明治の大火で、庄内で最も大きい八間四方の殿舎が消失し、
神社の由緒なども不明になってしまったとあります。

 

 
さすがは雷電! そのパワーは、全てを焼き尽くすほどの激しさ!

 

 
祭神は、保食大神だそうですが、大事な主食の「稲」とも関係がありそうですね。稲妻なだけに……。

 

 
「高寺山大権現……社内に古き高麗(こま)犬有……」 ~出羽国風土略記より~

 

 
避雷針にウケました。さすがは雷電と名のつく神社! 
雷大歓迎を意味するのか、はたまたその逆かは謎。

 

 
まぁ、庄内は雷の数や音が凄いですからね。

 

 

 

万全には万全を……消化器発見w 神社で露骨に消化器なんて滅多に見ませんよね。

 

 
さすがは自然崇拝、奥が深い!! 縄文の息吹も色濃く残る地ですからね。縄なだけに……。

 
祭りで様々な舞が奉納される舞台。
中でも『高寺八講』と呼ばれる演目は、県の無形民族文化財に指定されています。
昔は八組の舞い手と八つの演目があったのでそう呼ばれたようですが、
現在は四つの演目のみが上演。

 

 
それでは戻ります。

 

 

 


「おや、もうカエルんですかい?」  もうちょっと~^0^
 

 
あ、照光寺の方にも避雷針がw

 

 

 

 
お寺のわきを直進して、気になった石畳のある道を進みます。

 

 
あれ、この道はもしかして……。

 

 
最初に県道から見ていたあの社でした。この大木も凄いですね。

 

 
昔は目印にもなったことでしょう。

 

 

 

 
母狩山。あの向こう側が、蜂子神子が上陸した白山島。

 

 
蜂子皇子がここ、高寺を出て間もなくすると、行く手に一羽の大きなカラスが現れ、
先へ先へと飛んで道案内をしたとか――その行く手は羽黒山……。

八咫烏といえば、熊野やサッカーの他にも、神武天皇の東征に深く関わっていますよね。

神武天皇が日向の国から大和の国に向かう時、その晩天皇は夢を見た。
天照大神が現れて、
「私は今、八咫烏を送るから、これを道案内として進むが良い」と。

八咫烏は時に金色に光を放って輝くので、太陽の化身とも言われているようです。
私には
にしか見え……。

 

 
それでは、高寺を後にします。