――お杉さんの三連発ですが(出羽三山なだけに)、偶然(必然?)です。
旧・櫛引町山添地区には、出羽三山を開いた羽黒派修験道の祖・能除太子(蜂子皇子)が、
羽黒山へ向かう途中、禊をしたと伝わる霊泉跡があります。
禊をした際に衣を掛けた『御裳掛(みそかけ)杉』もあったようですが、現在はないようです。
一応言っておきますが、味噌ではなく衣のことですw
従来の『御禊(みそぎ)清水』も撤去されたようなので、後から作られたものでしょうか。
誇張が少なく信頼性の高いとされる、1141年に羽黒山の学僧が著した『羽黒山縁起』によると――、
蜂子皇子は、崇峻天皇の第三皇子として生まれた「参払理(さんふり)大臣」と称したが、
生まれつき世間的なことを好まず、仏教書に親しむというふうであった。
585年には仏門に帰依し「弘海」と称し、日夜、仏典を読誦し、都近くの山に参詣して修行に励んだ。
間もなく宮中を脱出して、諸国修行の旅に出て、皇子のお供をしたのは会津の豪族の子で、
舎人として仕えていたが共に出家した。
二人は会津へ立ち寄り、その年の6月11日に羽黒山へ入った。
羽黒山では阿古谷という場所で修行をされ、出家してから8年後に三山を開いた。
――とされています。
しかし一方で、『古事記』や『日本書紀』や『聖徳太子系図』などを見ても、
崇峻天皇には蜂子皇子と錦代皇女の一男一女しかいないようです。
どこまでも謎のベールに包まれた神秘の蜂子皇子。ただ者ではありません。
月山山頂の月山神社には、月読命が祭られています。
大昔、月読命の一族が、五穀の種を求めて葦原の中津国に来たが、
そこの豪族たちが快く分け与えなかったので戦いが始まり、多くの犠牲者が出た。
そのことが高天原の神々に知れ、罪を問われて月読命は海原に追放された。
出雲も敦賀の国も、弟・スサノオ命の土地だったので、月読命は越の国より北をさすらい、
やがてこの砂潟・泉の国=庄内へ辿り着いた。
この辺りには、石ぞくの原料となる黒曜石が豊富に眠っていた。
中国の『四庫全書』には、今から三千百年前の日本は四つの国からなっており、
その一つは出羽三山を中心とした出羽王国であり、湯殿山を【扶桑の巨木】と記されています。
出羽国の他には、出雲国がわかっています。
同じく1100年前に書かれた中国の『山海経』によれば、
出羽三山を中心とした奥羽山脈は、日本発祥、アジア文化発祥の地であると書かれています。
湯殿山の御神体は、【扶桑(日本)の巨木】の根っこだとも。
またある学者は、出羽三山は宇宙の目に見えない中心。
太陽の鳥海山と月の月山に囲まれた庄内は、一つの宗教世界、
マンダラ世界(十界一如の異次元)を構築しているとも。
山伏は、山中に分け入って、大自然と自分とが一体であることを悟り、
自分が時空を超えた存在であることを知ります。
ここに来る直前に寄った711の駐車場から、気になり続けていた雲。
勝利へ導く八咫烏はサッカーのシンボルマークにも。ガンバレ日本!!!
蜂子皇子が霊地を見立てた地ということで、「見立て八幡」とも呼ぶようです。
木々も鮮やかで、広い境内を心地よい風が吹き抜けて、実に清々しい神社でした。
ガラスの反射と字の薄さで読みにくい……写真に収めるのも一苦労(;´Д`)。
広い境内なためか、鳥居も二つありました。
こちらは出羽三山の方角を向いている鳥居。