荒倉神社。
羽黒山のある「東羽黒」に対し、海側のこちらは「西羽黒」と呼ばれています。
荒倉山の向こうは日本海。
そして荒倉神社の奥の院が、「八乙女洞窟」(明治時代の地震で崩落・埋没)
となるのですが、現在ではその隣りの今八乙女/コウモリ穴/白竜窟
などと呼ばれている洞窟の方を総称して呼ぶようです。
伝説では、善宝寺の開祖・妙達上人が、
竜王様に会いに行くと言って洞窟の中に入ったまま出て来なかったとか、
この洞窟が出羽三山神社の境内の下まで繋がっているという話もあったりします。
鶴岡市竹の浦地区にあります。
海が見えないのに「浦」。「浦」は「裏」とも読み解けますが、
かつてはこの辺りにまで海が広がっていた(庄内平野はかつては海・潟湖)ので、
間違いでもなさそうです。
そばの公民館に案内板が掲げられていました。
わぁ、面白そう。廻ってみたいですが、今回はお預けです。
熊よけ(になるかわからない)鈴も持ってきてなかったし(=ダ●ソー製)。
沢の水でしょうか。ジャバジャバ流れておりました。
水車……にしては小さすぎますね。車輪?
お寺の法輪のようにも、曼荼羅のようにも見えますね。
なんとも意味深なメッセージ。そして、蜂子皇子もここを訪れたのでしょうか。
社標が茶色っぽいですね。これまた意味深なメッセージ。
鉄が混じっているのでしょうか。
庄内は古代、製鉄の盛んな土地だったそうですからね。
<祭神> 保食大神、大冝津比売神、大国主大神、事代主神
ここには書いてありませんが、『出羽風土記』によると、
ここを武内宿弥(西暦84~367年?)が訪れて八乙女洞窟に来たときに、
天の音楽が聞こえ、塩土の爺という神が現れ、
この地に祭る神々について宿祢と問答をしたようです。
そして、皇納賀原(すべのがはら)三神である玉依姫、豊玉姫、鵜葺草葺不合命を、
荒倉山、八乙女洞窟、葉山に祭り、その三神は後に出羽三山に祭られたとあります。
つまり、竜宮の乙姫さまーズ(姉妹)と、玉依姫さまの夫が出羽三山の神様?
蜂子皇子伝説にも恵姫と美鳳の姉妹や塩土の爺が出てくるので、
色々伝説がミックスされているように思えます。
古今東西、伝説というものはそういうものなのかもしれませんね。
「竹の浦」という地名も、「武内」が由来なのかもしれませんね(多分)。
鳥居を潜って集落を進んだ先に見えたこの橋から奥は、砂利道でした。
今回はここで引き返します(左側に駐車場みたいな敷地があったのでUターン)。
九州や天橋立などにも伝わるような竜灯伝説もあります。
「そのかみ、羽黒権現此所(八乙女海岸)より瑞光を輝かし、
山頂に移りまし給ふよし。
則ち海中に石の鳥居あり、今に至って水無月(六月)より文月(七月)かけて、
星河さはやかなる夜は、この沖より竜灯あらはれ出て半天に昇り、
又海上に落ちてその光消す。
かかる不思議あに凡及ばんや、
すなはち、修験入峰の時節は(八乙女洞窟が)羽黒山より遥拝の霊地なり」
~ 『三山雅集』より ~
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近くの西目地区内にはこんなお寺もございます。
明治時代の小説化・俳人である横光利一ゆかりの東源寺。
『大海出現西目大佛』と刻まれてあります。
昔、浜辺に流れ着いた仏頭が大変香ばしかった(材質がビャクダンか)ので、
その浜辺を「香頭(こうず)の浜」、
仏頭を祭った庵の土地を「釈迦台」と呼ぶようになったとか。
仏頭、胴体、連座がそれぞれ別の木で作られているそうですが、
立派なご面相から大和の中央製ではないかと考えられているようです。
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古墳のような風景に、思わず立ち止まってしまいました。
クンクンクン……なにやら遺跡の匂いがする!
ご覧のように、かつてはこの辺りが海に浮かぶ島だったことが窺えますね。
おそらく縄文遺跡もあるのでしょう。
後で調べてみれば、確かにこれらの島々に遺跡が点在していました。おお……!
庄内はその昔、砂潟、泉、大泉の荘(の内)……などと呼ばれていました。
古墳といえば、旧・藤島町の古墳の現地説明会↓が6月2日にまた行われるようです。