聖徳太子の従兄弟で、

出羽三山の開祖とされる蜂子皇子が山形へ上陸したとされる地は、
一般には鶴岡市由良へ上陸と伝えられていますが、
それより北に位置する酒田市宮野浦(かつての最上川河口)への

上陸説もあったりするのです――

 

 

 
 

河口から最上川沿いに上っていくと辿り着く、

酒田市新堀地区内にある局(つぼね)という集落には、
蜂子皇子の乳母の「お局」が庵を結んだ伝説が残されています。

 

 

 
 

出羽三山は女人禁制の尊い山ということで、

お供のできない乳母はここで皇子と別れたようです。
地元の人々から「苦しみを能(よ)く除く太子=能除太子と尊敬された皇子様の、

修行の成就と無事を祈り続けたことでしょう。

 

 

 


おそらく庵を結んだという観音堂とは、村の南端にある現在の浄善寺でしょうか。

 

 


仁王様のある幸せの里でもあるみたいです。
余談ですが、ここにはやたらと今井さんが多いのです。

 

 


 

そしてすぐ隣りの集落・久田は、【庄内平野のどまんなか】だそうです。
ここは庄内町(旧・余目町)となります。