――引き続き、山形と秋田の県境に現存する奥の細道 三崎峠をいざゆかん!


……と言っても、国道7号線沿いですが。ここは山形県側(遊佐町)にある入り口です。

これまで何度もここへ寄ったり・ちょっとだけ歩いたり・そばを通ったりはして来ましたが、

最初から最後まで歩くのは初めてです。


椿の花道。

 昔は『駒(=馬)泣かせ』とも呼ばれていた、馬も通れないような細くて急な坂道が続きます。

 

2~3分ほど歩くと一旦、遊歩道が横切る地点に出ますが直進します。

ええと、実は正面に2つの道があるのですがおわかりですかね?

わだちのある右の道と、茂みに覆われた左の石垣の道……目を凝らさないと見えません。

実はそれこそが三崎山旧街道(羽州浜街道・酒田街道の一部)なんです。

これ。ほぼ、獣道。

ほぼ、草木に埋もれた岩場。

急そうに見えて、意外にそうでもなかった坂道(※個人によります)でした。

今でこそ整備もされているからなのかもしれませんが、昔はもっと難儀したことでしょう。

『地獄谷』と呼ばれる場所もあるようです(どこかは知りませんが……^^;)。

日本海も一望。平安時代に慈覚大師円仁が開いたとされるこの三崎峠は、

南から不動崎、大師崎、観音崎という三つの突き出た三崎の総称のことで、

この街道に於ける最大の難所でもあったそうです。

晴れていれば飛島も見えたりします。

(上の写真は、霞がかっていてよく見えず、適当にこの辺かなと写したら、

 飛島の端っこしか写っていなかったという残念な写真)

間もなくすると、木のトンネルのように狭まった風景に変わります。

おいでおいで~(声なき声)。

人によってはおどろおどろしく感じるかもしれませんが、気にしないで進みます(笑)。

まぁ、いろんな伝説の残る場所ですから……き、気にしない!


見えてきたのは大師堂


自分が大師堂を訪れたのは二度目(か三度目)だったかな。いろんな意味で記憶さえ曖昧になります。『うやむやの関』なんて呼び方もされていますから……って、関係ないです、はい。

ここの説明は割愛。詳細を知りたい方は過去記事<コチラ >をどうぞ。


人々の心の平安と安全を祈りつつ、後にします。


まぁ、それでもかつての旧街道なので、

沢山の人たちがここを往来したかと思えば、ロマンも感じられます。

鳥海山の溶岩流などもあるので、なにかと磁気的に強そう。

間もなく、分岐点に差し掛かります。旧街道の方を進みます。

 

 

一里塚の跡が見えてまいりました。

4kmごとに設置した土盛とあります。いつの間にか秋田県(にかほ市)側に入っていました。

 

 

横切る道が見えてきました。


広場には遊具もあります。


辿ってきた道を振り返ってみました。

左の砂利道は国道7号線へと繋がっています(すぐ横なので遭難の心配もないという)。

そしてもう少し先へ進むと、

また別の舗装された道路が見えてきます。

三崎山旧街道を半分通過したということでしょう。

いかにも古道って感じでいいですね!^^

花まつりのぼんぼりがいっそう桜を引き立てて、雰囲気を倍増させていました。

ここには、芭蕉に同行した曾良(そら)の『随行日記碑』もあります。


「是より難所 馬足普通」……などと書かれて(刻まれて)います。


芭蕉の日記:

「酒田の湊より東北の方、山を越え、磯を傅ひいさごをふみて、其の際十里」


曽良の日記:

「十六日吹浦ヲ立 番所ヲ過ルト雨降出ル 女鹿 是ヨリ難所 馬足不通

 大師崎共 三崎共云 一里半有 小砂川 御領也 新庄預カリ番所也 

 入ニハ不入形 塩越迄三リ

 半途ニ関ト云村有 ウヤムヤノ関成ト云 此間、雨強ク甚濡」




ここから続く奥の細道を更にゆきます。確かに奥の細道ですね。