人も飲める大方の水は、山が作り出しています。

それゆえ世界中の人々が山を聖なるものとして、

時には神として崇めたくなるのも当然ですよね。


自分もよく山や森には足を運んだりしていますが、

どちらかというと、崇めるというよりもあの清々しさを求めて……ではありますが、

心はもちろん、身体の細胞までもが求めているという気がします。

皮膚が喜んで呼吸をしているのが実感できるのです。

肉眼には見えない気というかプラーナを吸い込んでいる、そんな気が致します。

聞こえない・見えない高周波的な何かを森は育み、放出しているのではないでしょうか。


そもそも野生動物たちも、ほとんどが森に暮らすのは何故なのでしょうか。

人間もかつては森で暮らしていましたが、

物質文明へ移行するにつれ、人はその命のゆりかごである森林を闇雲に破壊し、

緑豊かだった大地を砂漠へと変え、異常気象までをも引き起こさせています。

縄文時代は文明ではなく文化であり、未開人という印象が一般的ですが、

一万年もの間続いた森との共生と、

瞬く間に森を破壊し、大気汚染を生み出している現代とでは、

一体どちらが本当の文明といえるのだろうかと首を傾げたくなります。



『森林セラピー』というのも流行っているみたいですが、

森の中を歩くと、血液中の免疫グロブリンというものが増加したり、

ストレスホルモンが減少するという効果があることは、データ的にも確かなようです。

血糖値を上げたり暴力的になるアドレナリンは減り、

脳波のアルファ波は増え、ガンを殺す細胞であるNK細胞も活性化。

森の音を聞くだけでその効果が出るというから驚きです。

森には一体何があるのでしょうか?


現代人が多くのストレスを抱え、凶暴化し、殺人事件なども増える昨今、

街がどんどんコンクリート化してしまっていることも、

その要因の一つとしてあげられるのではないでしょうか。

人々の心がどんどん自然から離されてしまい、

何かを敬う心や信仰心など、純粋な気持ちが失われつつあることが……。


しかしながら、こういう実験データもありました。


1980年代の名古屋の子供たちが描く未来の街の姿は、

超高音速ジェットが空を飛び、

モノレールがきらびやかなビルの間を縦横無尽に走るだけの、

森や生き物が全く描かれていない絵でした。

ですが、2010年の子供たちが描く未来の街の姿にはなんと、

トンビやタカが空を舞い、森にはフクロウやキツネが棲み、

水辺にはカエルやトンボやチョウが飛び交い、

家には自家菜園など緑あふれる田園都市が出来上がったというもの。


文明があるところまで行き着くと、

自然から離れては人間も生きてはいけないと気づいて、

人間の意識までもが変わってしまうという現れ?

(それとも俗にいうインディゴ・チルドレン?……それはさておき)




ジブリ映画の『天空の城 ラピュタ』でも言っていました。


「今は、ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。

 ゴンドアの谷の歌にあるもの。

 土に根をおろし、風と共に生きよう。

 種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう
 どんなに恐ろしい武器を持っても、

 たくさんのかわいそうなロボットを操っても、

 土から離れては生きられないのよ!」


そして兵器や科学技術が集積された下層部だけが崩壊し、

最後に残ったのは、上層部の自然だけだったというのも、

宮崎監督のこの作品の最大のメッセージだったようにも感じられます。


「あの時代の人たち(ラピュタから地上に降りた人たち)は立派だった。
 科学もずっと進んでいたけれど、自然と暮らすことを選んだんだよ」




対論 文明の原理を問う/麗澤大学出版会
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原子力は欧米から始まった物質エネルギー文明のシンボルである。
その物質エネルギー文明のシンボルである原子力発電所の事故は、
明らかに人災である。
金儲けの欲に目がくらんだ人々が引き起こした人災である。
東京電力の中には自然エネルギーを地道に探求し、
原子力に代わる新たな自然=人間循環型の自然エネルギーの時代を探求する人々もいた。
ところがそうした人々は柏崎に左遷されたり、すこしでも反原発を唱えたり、
さらには「もう古くなった1号機は危険だから廃炉にしよう」という意見は、
儲けることに最大の価値をおいたリーダーたちによって封殺されたという。

金儲けや経済的利益を重視する人は、
国民の生命に深くかかわることに参画してはならない。