その名もオミジャ(御水屋)。
水道が敷設される前までは、飲料水、生活用水として使用。
現在も流れ井戸として、上段から飲料水、野菜荒い、洗濯のすすぎ水などに利用。
開村由来としましては、800年ほど前、源義経が奥州に逃れて来た頃、
義経公を慕う福島の領主・佐藤庄司基晴という人物が一族14人とともに、
頼朝に気づかれないよう乞食姿で北陸道を訪ね歩いて、この地へ辿り着きました。
しかし義経一行の行方はわからず、その後、義経が平泉で自害された話を聞きつけ、
基晴たちは、この近くの山内地区を開墾し、人々をも救い尊敬されました。
やがて病気がちになった基晴は夢を見ます。
気比の御山より白雲たなびきわたると、突然その中から老翁が現れ、
義経が生きて北海道へ渡ったことや、
外浜(現在の小波渡)を開いて漁をすれば、子孫繁栄すると……。
そして基晴公は亡くなり、遺言を受けた一族の者たちは、
ここ小波渡へと移住して来ます。
湧き水の出る処を巡り、18戸の家が造られたそうです。
どんな暑さや寒さでも水が涸れたり増えたりすることもなく、
にごり水になった際には村人たちに災いを知らせたと伝えられています。
東福寺の門前にあります。現在180戸の家が建ち並びますが、
その大半は湧き水を囲んで住み着いた基晴主従の子孫で、
佐藤姓を名のる家が多いとか(ただでさえ東北は佐藤姓が多いですけどもね)。
日本海はすぐ目の前。国道7号線沿いでもあります。
ちなみに私の車はポンプ小屋の影にあるので見えません(笑)。
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次は南側のあつみ地区へ(旧・温海町)。
沢の水なのかお湯なのか不明ですが、多分、水。
有名なあつみ温泉・萬国屋も見えます。
「温海温泉」と漢字にしてしまうと、
さんずいが3つも並んで読みにくいという(笑)。
その下にも神社と何やら施設が……。
朝市が開かれている場所でした。
あつみ温泉の誕生は1000年以上前で、あつみ温泉朝市は300年も続くそうです。
ここも温泉神社(拝所)でした。
最初に参拝した神社は、大火後に再建されたお社のようです。
元々はここにあり、東北で最古の温泉神社の1つだそうです。
お湯も湧き出ていました(ここから少し離れた先に足湯もありますが)。
手負いの鶴が湯浴みをして傷を癒していたとか、
大地震で温泉が湧き出したとあります。
温泉卵の作り方の説明板には吹いてしまいましたが、食べたくなります。
電話ボックスもこうなるとおっしゃれ~。
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大清水公園ともあります。いい雰囲気です。
上から中をのぞくと、
水神さまの石碑。
大木の根っこから清水が湧き出ているようです。
座敷の窓から丸見えのようで、そこで働く女性が清水の周りを掃き清めていました。
あの赤い橋(月見橋)を渡らずに、真っ直ぐ来た所にあります。