男鹿といえばナマハゲ。

ナマハゲの発祥地といえば五社堂。

ということで、まずは五社堂の伝説から。




~ 『赤神神社縁起』より ~


当山赤神は、前漢の孝武皇帝の祠なり。

旧記にいわく、景行天皇二年、

赤神天より降れり、あるいはいわく、

日本武尊化して白鳥となり、漢の武帝を迎う。

武帝は白馬に駕し、飛車に乗り、赤旗をたて、西王母と此の嶋に至る。

五鬼は化して五色の蝙蝠(こうもり)となりて之に従う。

故に蝙蝠を以って使者となす。

時に景行十年冬十月のことなり。


天皇、武内宿禰をつかわして北陸道を巡視せしむ。

宿禰、此の嶋に至り、神異を見てこれを奏せり。

ここにおいて朝廷皇女をして行かしめ、これを祭る。

号して赤神という。

皇女はすなわち赤神明神という。


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・・・向かって左から、

「十禅師堂」「八王子堂」「赤神権現堂」「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されています。

景行天皇(第12代)といえば日本書紀の中で、

火の国・熊本の名前の由来にもなった『不知火』を見た記述が思い浮かべられます。

個人的な感想ですが、以前からどうも不知火と赤神とは繋がっているような気がしてなりません。

西王母は、漢の武帝に七個の仙桃を与えた仙女です。





~ 『本山縁起別伝』と『赤神山大権現縁起』より ~


武帝が飛来した時の様子は、飛車(雲車)に乗って白鳥に駕し、

赤旗で車を飾って五色の蝙蝠を前後左右にいにようせしめてやって来た。

この五色の蝙蝠が五鬼となり、

眉間(みけん)、逆頬(さかずら)、眼光(がんこう)、首人(しゅじん)、

押領(おうりょう)という名を名のった(特徴を名前として付けられた)。

※ 押領とは奈良時代の造語で軍兵を率いる意味。脅して横取りする横領の意味ではない。


夫婦であった眉間と逆頬は、開拓に疲労困憊して死んでしまう。

その子であった三兄弟の鬼たちは、最後まで仕事を成し遂げて、

武帝たる赤帝すなわち赤神山大権現とともに

五社堂に祀られてしまったのである。

その五社とは、武帝たる赤神大権現が赤神山本地薬師如来となり、

その妃であり、人皇第十二代景行天皇の皇女である赤木大明神が不動明王、

そして三兄弟の眼光鬼が普賢菩薩、首人鬼が文珠師利菩薩、

押領鬼が阿弥陀如来となった。


・・・「五」という数字は、神仙道修行に於いて五行説や、

『五畤(ごじ)』という五つの柱の天帝を祭る祭壇を作る影響もみてとれます。

中央を黄帝として、東方は青帝、西帝は白帝、南方は赤帝、北方は黒帝。

五色人や五色や五輪ピックなど、神道や仏教や道教、その他でも神聖な数字です。

五社堂も元々は七社あったようですが、

宗教上、無理やり五つにしたかったのかどうかはわかりませんが、二社は廃れたとあります。

また、明治維新の際の神仏分離令の影響で、

ほとんどの全国の神社は本来の祭神に戻したようですが、

この五社堂は何らかの事情があってなのか、現在も本地仏と祭神が一緒に祭られています。





~ 999段の石段 ~


昔、漢の国の武帝が、白い鹿のひく飛車に乗り、5匹のコウモリを従えて、

男鹿にやってきた。

武帝は5匹の鬼たちを家来として使っていたが、

一年に一度、正月の15日を休ませた。

鬼たちは大喜びしては里に降り、畑作物や家畜を奪って大暴れをし、

しまいには娘までをさらっていくようになった。

困った村人たちは、鬼に賭けを申し入れた。


「あの山のてっぺんまで、一夜のうちに1000段の石段を築けば、

 一年に一人ずつ娘を差し上げる。

 だが、できなければ二度と里に降りてこないでほしい」


無理難題を押し付けられた鬼たちは、

喜び勇んで早速石段作りに取りかかった。

鬼たちは、遠く離れた寒風山から、空を飛ぶようにしては石を運び、

あっという間に石段を築き上げていった。

これは大変だとあせった村人たちは、

物真似上手なアマノジャクに鶏の鳴き声を頼んだ。

まだ夜が明けない、あと一段というところで、

アマノジャクが「コケコッコー」と叫んだので、

驚いた鬼たちは怒り出し、傍らの杉の大木を引き抜き、

山も崩れんばかりの大声と共に、

まっ逆さまに大地へ突き刺し、山の奥深くへと立ち去った。


その後、鬼がこなくなって寂しい気持ちになった村人たちは、

年に一度、正月15日には、

鬼の真似をして村中を歩くようになった。

これがナマハゲの始まりだという。

999段の石段と、鬼の投げ捨てた逆さ杉は、

今も門前の五社堂の山に残っている。


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~ 『赤神と黒神のけんか』より ~


昔、十和田湖に住む美しい女神を得ようと、

龍飛(竜飛岬?)の黒神と男鹿の赤神が争った。

赤神の勢いが衰え、男鹿の空寂という穴に隠れ、

再び出てこないことを誓った。

女神は負けた赤神に同情し、空寂の穴に移った。

黒神は、天を仰いで大きな溜息をつき、

その息で北海道が津軽から離れたという。

龍飛の岩は黒く、男鹿の岩は赤みを帯びている。


空寂の窟は、今は孔雀(こうじゃく)ヶ窟と呼ばれ、

窟の奥に石の扉があって、

それを開くと雪のように白い女が立っているという。

(100年に1度扉が現われ、中に白い女神の姿が見えるとも)

男鹿北浦の山野に咲くまんじゅしゃげは、

その時の戦いに倒れた赤神の家来たちの化身だという。




~ 龍髪(龍毛)の払子(ほっす) ~


船川に、『美女の寺』として有名な大龍寺がある。

昔、女川から脇本、脇本から船川(澤木家の別荘地)へ移った寺であるが、

夜な夜な悪業のさわりに苦しむ海中の竜女が、

妙齢の美女となって寺へ通うようになったという。

この噂は次第に広がり、この寺の和尚は平然と次のように述べた。


あれはただの女人ではない。

 海中の竜神で、今、菩薩戒を乞いにきているのだ。

 今夜は、血脈を授けることになっている。別に怪しむこともない」


すると竜女が現われた。

和尚が竜女に血脈を授けると、竜女は涙を流して喜び、


「このご恩は決して忘れません。

 御礼の印にどんな日照りでもかれない井戸を献上します。

 雨の欲しい時はこれで祈ってください。海の幸も守りましょう」


と、長い前髪を切り落として和尚へ献上し、いずこへともなく立ち去った。

竜女の髪で作られた払子は、大龍寺の秘宝となって今に伝えられている。




~ 澤木家、穂積生萩(ほずみ・なまはぎ)の書いた小説『竜女の首』より ~

本堂の中に蛍が迷い込んできて、

光を点滅しながら弧を描き、また外へ去っていった。

いつのまにか本堂の隅に、髪の長い美しい女が座っていた。

女は、台厳俊鏡が座禅を終えると、黙って帰っていった。

次の日も、その次の日も同じことが続いた。

女が座っていたあとは、濡れて砂粒が落ち月明かりに光っていた。


穏やかな薄暗い海の彼方に赤い火が現われ、近づいてきた。

赤い提灯を持った女であった。

海の上を女が歩いてきたのである。

その夜、女は、


私は日本海に棲む龍でございます。

 煩悩の苦しみから逃れるために、得度させてください」


といった。

台厳俊鏡は女の前髪を切り落とし弟子にすると、

女は龍の姿に変身し、海の彼方に消えていった。

有史以前から聖地はあって、何万年も前から寺社となるべき聖地であった。

神、佛は後に形作られて、その時世に従って祀られた。

この伝説は、天正年間のものではなさそうである。

竜トーテムは、男鹿に人が住み着いた頃からのものだから、

紀元前であるはずだ。

縄文期の遺跡が平沢で発掘されている。

男鹿には、太古は農耕する平地はなく、

漁民だけが竜神を信仰していたと思われる。




~ 大棧橋(だいさんきょう) ~


この男鹿島に大棧橋といって自然にできた石の橋が海の中に架かっている。

この中を、帆をかけた舟が出入りしている。

こうもりの岩窟という岩屋があり、その深さは計り知れないほど。

大きな人の足跡があるという。


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~ もれ火 ~  ※ 以前にもアップしております


守火というものが海面を飛ぶのを見た。

海で亡くなった人のみ霊だという。

亡霊火(もれび)というものだろうか。

北の海に多いと土地の漁師がいった。


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~ 寒風山 ~


漢の武帝が鹿に乗ってやってきて寒風山に住んだので、

漢武山(かんぶざん)となった。


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向かって一番右が寒風山(八望台より望む)。




~ 赤神 ~


北浦山王社の縁起に、小鹿介が会ったという山の神は、全身が赤かった。


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※ 山の神のイメージ