秋葉原〔あきはばら〕 | クニオのとにかくデンジャラス過ぎる毎日

秋葉原〔あきはばら〕

東京都台東区にある電気街として有名な街。
一方、「オタクの街」としても有名である。
 今となってはこの言辞に異を唱える人はさほど多くないと思うが、それでもなお、複雑な思いでその事実に、あるいは変わり行く風景に嘆息する人は少なくなかろう。確かに電気街、パソコンの街と呼ばれた頃の風貌はそこかしこに健在である。だがそれらが主流であった日々は既に過去となっている。
 秋葉原とは転変する街であると言ってもよいかもしれない。技術革新に裏打ちされ、矢継ぎ早にモデルチェンジを繰り返す家電製品、パソコンなどの、消費財のごとき耐久財を全速で追いかけるというのが、秋葉原に集う商人たちの習い性なのではないだろうか。
 そうであればこそ、いま秋葉原はオタクの街たり得ているのだろう。消費者の飽くなき欲求に答える形で、さまざまな形態の偶像や創作物が創造される先から泡沫の如くに消えてゆく。その事実に、型落ちと称して店頭から撤去されるテレビやパソコンと同じ命運を見て取るのは難しいことではあるまい。
 では秋葉原がオタクの街たり得なくなる日は来るのであろうか。私は間違いなくその日は来ると断言する。それも、そう遠くない未来にである。
 郊外の量販店によって秋葉原の電気屋が駆逐され、全国にチェーン展開する大小のパーツショップによってパソコン街としての神話性を奪われた秋葉原は、既に全国に存在するプチ秋葉原とでも言うべき店々にその地位を脅かされつつある。
 それでもなお、秋葉原は秋葉原であり続けるだろう。秋葉原という街が霧消してしまうわけではなく、単に商人たちの扱う商品が変わるだけである。ただそれが何であるかはまだ分からない。商人たちが決めるものでもなく、消費者個人の意思が反映されるわけでもない、曖昧模糊とした総体としての嗜好だけが秋葉原の行く先を決めるのである。
 変わらぬ「変わり行く街・秋葉原」の行く末を見守ることも、街の一部と化すことも、あるいはこの街から離れていってしまうことさえ権利として我々には既に与えられている。だがしかし、秋葉原がそうあり続ける限り、私はこの街と共に生きることを選びたい。