いつもご覧いただきありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。
場所を変えて勉強をするということ
「家だと勉強できないからまずは図書館などに行こう」というある方の発言に対し、
「やらないやつはどこにいってもやらない。現実を見れていない」という反対意見。
これ、対立してる意見に見えますか?
私個人の意見ですが、これ、対立意見にすらなってないと思うのですよ。
そもそも対象としているものが違いますからね。
指導対象の生徒のレベルが違う、という話ではないです。
「家だと勉強できない」というのは、環境によって学習するモチベーションに変化が出る、という話。
これは、「勉強自体はやりたいと思っているが、自宅だとそのように気持ちが向かない」ということ。
私もありますよ。
残った仕事を鞄に入れて、自宅に帰り、そのまま次の日鞄を一度も開けず持ってくる。(40過ぎてからその確率は100%になりました、見事に)
だから休みの日に塾に来て仕事をすることも結構あります。
まして小中学生であれば
・弟や妹がいて勉強に集中できない
・テレビの音がうるさくて集中できない
・ゲームやスマホの誘惑に負ける
・ベッドが呼んでいる
こんなのは普通にありそうです。
自分の生徒を見ていても「ここで静かにこつこつと学習できるかどうか」というのは、学校の成績には別に比例していないな、と感じています。
家でゲーム三昧という生徒が2時間だまって勉強しているのなんてザラですし、10分に一回休憩していたり、居眠りしたりする生徒でも、何回か注意し続ければどうにかなっています(4年間、いまだに睡魔と戦っている生徒もいますが、それでも本当に自分なりに睡魔と戦っています)。
環境の問題、というのはとても大きいのです。とりあえず家はくつろぐところ、という認識を本人が持っているのならば、「場所を変える」という行為そのものはとても理にかなっていると思うのです。
ですから、当塾の生徒はきちんと勉強をします。黙々と。
雑に字を書くことは認めても、雑に学ぶことは認めない環境でもあるから、そういう意味では図書館にいくよりも成果は出やすいという事実はありますし、だからこそここに来る価値があるのです。
本当にセルフコントロールができるようになって、自宅で勉強できるようになったのなら、質問だけ学校の先生にして、卒塾してかまわないのですよ。
塾の使い方は人それぞれですからね。
ではその一方で、本当に図書館などに行くだけで勉強するか、というと、そんな甘いモンじゃない、これも事実なのですね。
でもこれは前提が違っていて、「環境のせいでなかなかやる気にならない生徒に対して、環境を変える、という提案をしたこと」が前者であるのに対し、後者はそもそも勉強しようと思っているのか?という話。
家だと勉強しないから図書館に行きなさい、と親が言うのは、自分の意志ではない。塾の自習室に無理やり呼ぶのでも同じ。
そりゃやらないでしょう。やりたいという気持ちがないのですからね。
もし親からでなく自分から「図書館に勉強しに行く!」と言ったとしても、「塾に来なさい」「いやシリウス行くので」みたいなやりとりがもしあったとしたら。
塾よりシリウスの方が勉強できるという道理が通るなら、「塾にいる時間が無駄」ということでもあります。
本当にシリウスなどの方が勉強できるのであれば、塾に行く必要自体は全くないですし、よりゆるい環境から逃げるためにシリウスを使うだけならば、成績が上がるはずはありません。
カフェやマックで勉強するふりをしている高校生を見かけたことはありませんか。あれは「勉強しに来ている」のではなく「友達と勉強ごっこをしているという空間を共有していることに関しての安心感を求めてやっている」のですよね。できるようになりたい、とかそういう気持ちはそもそもない。座っている時間の9割はスマホの時間。
まあそれはそれで高校生の青春の1ページであるような気もするので完全否定はしませんが、少なくとも本当に勉強しにいくのであれば一人で行かないと、ですね。
いずれも、目的が違うのですよ。
目的を持って行動、その為に場所を変える。これは大いにアリです。
それが失敗する例と成功する例は、身近にもありますよね。
ジムで痩せようと頑張って食事制限もきちんとする人と、
ジムで痩せようと努力している自分に酔っているから終わった後にすぐ「運動したからいいよね」とアイス食べちゃう人。
痩せようと努力する気もないから今日もチョコミントアイスを食すワタシ。
‥‥ダメだね
反省。