いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

 

 

このブログを三行でまとめると
学習記録ノートは、できなかったことを並べるためのものではありません。
できていない事実は受け入れたうえで、次に何をするかを残すためのものです。
注意された内容ではなく、改善するための行動を見返してから勉強を始めることが大切です。

 

弊塾では学習記録ノートを書いてもらっている。

これは、今日やったことをなんとなく残すためのものではない。
反省文を書かせたいわけでもない。

まして、「自分は何ができなかったか」を並べて落ち込むためのものでもない。

 

勉強とは、わからないことをわかるようにする作業である。
できないことを、できるようにする作業である。

 

だから、勉強をしていれば、当然わからないことは出てくる。
できないことも出てくる。
間違えることもある。

 

でもそこから逃げていたら、何も変わっていかない。まずそこと向き合うことが、勉強できるようになるためにまず一番大切なことだと私は考えている。

 

勉強は、気持ちよく「できることだけを確認する」時間ではない。

むしろ、自分がまだできていないところを確認することがスタートラインなのだ。

 

何がわかっていないのか。
どこで手が止まるのか。
どのミスを繰り返しているのか。
どの行動が雑になっているのか。

 

そこを見ないまま、「がんばります」「次は気をつけます」と言っても、たいてい同じことを繰り返す。

 

できていないことは、事実として受け入れる必要がある。
 

できていないことをできていることにはできないからだ。
わかっていないことをわかっていることにもできないからだ。

 

 

だから塾では「できていないこと」をそのまま伝える。

 

計算ミスが多い。
英単語を覚えていない。
問題文を読めていない。
説明を聞いたあとも、同じミスを繰り返している。
ただなんとなく答えを写している。

やると決めたことをやっていない。

 

こういうことは、言われて気分のいいものではないと思う。

それでも伝えなければいけないのは、

「できていない事実」をはっきりさせずに「改善するための行動」だけを伝えても、

多くの場合は流されるからである。

 

「次はこうしてみよう」と言われても、本人の中で「なぜそれをやる必要があるのか」がつながっていなければ、次回も同じ行動をする。

 

だから、まず先に事実を確認する。

何ができていないのか。
どこにつまずいているのか。
何をやっていないのか。
どのミスを繰り返しているのか。

そこを見たうえで、

次に何を変えるかを決め、提案する。必要があれば指示をする。

できていないことを指摘されたとき、その事実は受け入れる必要がある。


ただし、学習記録ノートに残すべきなのは、そこではない。

次にノートを見たときに必要なのは、
「自分は何ができていなかったか」ではなく、
「次に同じ場面で何をするか」である。

できていなかった事実だけを見ても、次の行動は変わらない。

残るのは、
「自分はできていない」
「また怒られた」
という記録だけである。

それでは、学習記録ノートの意味がない。

 

ノートに書くべきなのは、ダメだった事実そのものではない。

そのあとに何をするのか。
次に同じ場面になったとき、どう行動するのか。
どのやり方に変えるのか。

そこを書く。

たとえば、

「計算ミスが多い」ではなく、
「途中式を飛ばさずに書く」
「符号だけ最後に確認する」

「英単語を覚えていない」ではなく、
「テスト前に今日の単語を10分確認する」
「間違えた単語を3回書いてからもう一度テストする」

「問題文を読めていない」ではなく、
「条件に線を引いてから解く」
「何を聞かれているかを確認してから答える」

こういう形で残す。

学習記録ノートは、できなかったことを保存するためのものではない。
次に勉強を始めるとき、自分が何を意識するかを確認するためのものである。


そしてその次にまた勉強をする際は、始める前にノートを見る。
前回、何を注意されたのかではなく、前回、次に何をすることになったのかを見る。

そして、その改善行動を実際にやってみる。気にしてみる。気を付けてみる。

 

 

塾でできていないことを伝えるのは、責めるためではない。

今のままでは何がまずいのかを確認し、次の行動を変えるためである。

ただ、言われた本人には、どうしてもダメだった部分だけが強く残ることがある。

「怒られた」
「できていないと言われた」
「またダメ出しされた」

そう感じることもあると思う。

 

もちろん人間なのだから、怒られてしまった・注意されてしまったという印象は強く残ってしまうものだ。

 

だからこそノートに記録する際は、その次の未来のことまでを書く必要がある。

次に同じ場面になったら、何をするのか。
どの行動を変えるのか。

ここまで残すよう、強く意識してほしい。
もちろん、こちらでも記入漏れは指摘する。

でも、そこで止まってほしくない。

大事なのは、何を言われたかではなく、次に何をするかである。

できていない事実は受け入れる。
でも、ノートに残すのは改善するための行動である。

そこまでやって、初めて振り返りになる。

勉強とは、できない自分を責めることではない。
できないことをできるようにするために、次の行動を変えることである。

 

 

 

いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

最近ブログサボりすぎというご指摘がありました(悲しみ)。

 

ブログサボると問い合わせ減るし、そろそろ再び真面目にやります。

 

このブログを三行でまとめると
・勉強に慣れてきた子ほど、基礎を雑に扱いがち。
・「わかっていたけど間違えた」は、行動が身についていない状態。
・同じ指摘を繰り返す時期こそ、すぐに合う合わないで判断しないことも大切である。

勉強が苦手な子の場合、最初からきれいに勉強できるわけではない。

問題を解いて、丸付けをして、間違えた問題を直して、解説を読んで、もう一度解く。
大人から見れば当たり前に見えるこの流れも、最初はなかなか形にならない。

丸付けが甘い。
間違えた理由を見ない。
答えを赤で写して終わる。
途中式を書かない。
解説を読んだつもりで、実際にはほとんど読めていない。

だから、最初は勉強内容そのもの以前に、勉強の仕方を直していくことになる。

「丸付けはこうする」
「間違えた問題は、答えを写すだけでは直しにならない」
「どこで間違えたのかを見ないと、次も同じ間違いをする」
「途中式は、答えを出すためだけではなく、間違いを見つけるために書く」

こういうことを、一つずつ指摘していく。

すると、少しずつ形になってくる。

以前より丸付けが丁寧になる。
途中式を書くようになる。
間違えた問題を見直すようになる。
自分で解ける問題も増えてくる。
勉強への抵抗感も少しずつ減ってくる。

ここまでは、間違いなく良い変化である。

 

 

 

 

ただ、しばらくすると、別の問題が出てくる。

最初に直したはずのことが、また少しずつ雑になっていくのである。

できる問題が増えてきた。
通塾にも慣れてきた。
勉強そのものへの抵抗感も少し減ってきた。

その結果、「もう分かっている」「そこまでやらなくても大丈夫」という感覚が出てくる。

そして、途中式を省く。
丸付けが甘くなる。
間違えた原因を深く見なくなる。
「わかっていたけど間違えただけ」で済ませる。

最初の雑さは、やり方を知らないことから来る。
しかし、慣れてきた後の雑さは、やり方を知っているのに軽く扱うところから来る。

ここが厄介である。

 

 

「計算ミスです」で終わらせる子は、また同じミスをする

特に数学で多い。 間違えた問題に対して、原因を聞くと、 「計算ミスです」 「符号ミスです」 「わかっていたけど間違えました」 という返事が出る。 もちろん、本当に一回限りのミスであることもある。 ただ、多くの場合、それだけでは原因分析になっていない。 計算ミスといっても、実際にはいろいろある。

 途中式を書いていないのか。 暗算で飛ばしすぎたのか。 符号を移すところで毎回ずれているのか。 分数の処理があいまいなのか。 見直しの順番が決まっていないのか。 そこを分けずに、全部まとめて「計算ミス」で終わらせてしまうと、次も同じことが起きる。

 

 本人の中では、「わかっていたけど間違えただけ」かもしれない。 しかし、こちらから見ると、確認の動きが身についていないことが多い。 つまり、これは単なるケアレスミスではない。 行動として、確認する習慣がまだできていない。 間違いを分類する習慣がまだできていない。 次に同じミスを防ぐための動きがまだ決まっていない。 そういう状態である。

 

数学ほど目立たないが、国語でも似たことは起きる。 記述問題で、自分の答えと模範解答を見比べたときに、 「だいたい同じだから丸でいいや」 となることがある。選択問題であれば、2択まで絞れていて、間違いじゃない方だったから実質わかっているという判断。

 

しかし、国語の答え合わせでは、「なんとなく同じ」に見えるところが一番危ない。たいがい正確に読み取れていないか、そもそも問題の意図もわかっていない。

 こういうことは、本人だけでは見落としやすい。 国語の場合、計算のように数字で明確に違いが見えないため、余計に「まあ合っているかな」と判断しやすい。 ここでも大切なのは、答えが合ったかどうかだけではない。 どう確認したかである。

 

問題は、指摘されても本人があまり困っていないこと

こういう雑さを指摘しても、本人がはっとするとは限らない。 むしろ、 「はい」 「次から気をつけます」 「わかりました」 で終わることも多い。 ただ、その後の行動が変わらない。 同じように途中式を飛ばす。 同じように丸付けが甘い。 同じように「計算ミス」で終わらせる。 同じように直しが浅い。 これは、本人が悪いというより、まだその重要性を実感できていないのだと思う。 ミスをしても、その場ではあまり困らない。 直しを浅くしても、その日の授業は終わる。 「わかっていた」と思っているので、本人の中では大きな問題になっていない。 しかし、その差は後から出る。

特に基礎を丁寧にやる子と、雑にやる子の差は、定期テストで出やすい。 同じくらいの時間、勉強している。 同じワークを解いている。 同じ授業を受けている。 それでも点数に差が出る。 その理由の一つが、普段の基礎動作である。 間違えた問題をどう処理しているか。 ミスの原因をどこまで分けているか。 次に防ぐための行動を決めているか。 見直しがただの確認ではなく、手順になっているか。 ここが弱いと、勉強量のわりに結果が出にくい。 本人は「勉強したのに」と思う。 保護者の方も「前よりはやっているのに」と感じる。 こちらから見ても、以前よりは取り組んでいる。 それでも結果が伸びないことがある。 そのときに見なければいけないのは、勉強時間だけではない。
勉強の中身である。
もっと言えば、勉強中の行動である。
こうした勉強中の行動まで見て、必要な修正をかけていくことが、当塾の大きな役割だと考えている。

基礎を丁寧にやることは、簡単なことではない

「基礎を大事にしましょう」と言うのは簡単である。 ただ、実際には、基礎を丁寧に続けることは簡単ではない。 途中式を書く。 丸付けを正確にする。 間違えた原因を分ける。 次に同じミスをしないための行動を決める。 答え合わせで、模範解答との差を見る。 どれも派手なことではない。 本人からすると、面倒に感じることも多い。 特に、ある程度問題が解けるようになってきた子ほど、こういう作業を軽く見やすい。 「もうわかっている」 「そこまでやらなくてもいい」 「間違えただけ」 そう思いやすい。 しかし、点数を安定させるのは、こういう地味な動きである。

 

とはいえ、こちらとしても行動は教えられるが、続けるのは本人であるということに課題はある。

 

塾として、やり方を教えることはできる。 間違いの見方を教える。 確認の手順を教える。 直し方を教える。 雑になっているところを指摘する。

ただ、それを自分で意識しながら指摘されなくても修正し続けるのは本人である。 ここが難しい。 本人が「変えよう」と思わない限り、どうしても同じ指摘が続く。

 

こちらも何度も同じことを言うことになる。 それが嫌になってしまう子もいる。もちろん、こちらの伝え方が十分でないこともある。 私自身の能力不足もあると思う。もっと伝わる言い方があるのではないか。もっと本人が納得できる見せ方があるのではないか。そう考えることは多い。

ただ、それでも言わなければいけないことはある。 基礎を雑にしたまま進めても、本人が後で困るからである。

塾で同じことを何度も言われると、本人は嫌になることがある。 保護者の方から見ても、「また同じことを言われている」 「この塾が合っていないのではないか」 「本人のやる気が下がるのではないか」 と感じることがあるかもしれない。

 

もちろん、本当に合わない場合もある。 無理に続けることが正解だとは思わない。 ただ、基本動作を身につける時期には、同じ指摘が続くこと自体はどうしても不可避である。 一度言われてすぐ変わっていく子もいることはいるが、人間だからこそ同じ間違いを何度もしてしまうのだ。そしてそれ自体がダメなことだとは思っていない。

何度も言われて、何度も戻されて、少しずつ自分の行動として残っていく。そういう経験を子どものうちにしてほしいという気持ちも大きい。これは「意識すれば、行動そのものを修正することが可能である」という成功体験を得てほしいという部分もある。ただどうしても「凹む」「ふて腐れる」これは発生してしまう。注意した本人がどうフォローしてもだめなこともあるから、「それを続けることに意味がある」 「できるようになるまで直す時期なんだ」 「点数だけではなく、やり方を直している途中なんだ」 という見方でご家庭の方からのフォローがあると、とても助かります。

 

慣れてきた時期こそ、基礎に戻る

勉強に慣れてきたことは、良いことである。

ただし、慣れてきた時期ほど、基礎が雑になっていないかを見直す必要がある。

問題が解けるようになってきた。 通塾にも慣れてきた。 勉強時間も増えてきた。 その段階で次に必要になるのは、難しい問題を増やすことだけではない。

間違えた後の動き。 確認の仕方。 直し方。 原因の分け方。 同じミスを防ぐための行動。

そういう基礎を整えることが、結果につながっていく。

基礎は、簡単なことではない。 

できる子だけがやるものでもない。むしろ、勉強に慣れてきた子ほど、もう一度見直すべき部分である。 雑に早く進めるより、正しく続ける。 その積み重ねが、後の点数を支えるのだ。

勉強に慣れてきた子ほど、基礎行動は雑になりやすい。
基礎は、理解して終わりではない。
意識しなくてもできるところまで、習慣にしていく必要がある。

 

このブログを三行でまとめると
・中1の段階で小学生範囲が多少あやしくても、そこは後から立て直せることが多い。
・本当にきついのは、国語力や考える力、約束を守る姿勢の不足である。
・小学生のうちに鍛えるなら、先取りよりもそちらの土台を優先したい。

実際表示させると三行じゃないのでなんて言っていいのか分からない。

さて、いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

 

小学部を減らして、中学を強化する方向で動いています。

これまで小学部をやってきたのは、中学に入ってから困らないようにするためです。
小学生のうちにある程度土台を作っておけば、中学での負担を減らせるのではないか。
そう考えていた部分はありますし、その考え自体が間違いだとも思っていません。

ただ、実際に見ていると、話はそこまで単純ではありません。

 

まず第一に、保護者の方や生徒たちの感覚が大きく変わってきたように感じるということ。

これは地域性の問題かもしれませんし、私立無償化の影響がとても大きいと思いますが、

私立無償化による公立高校の低倍率化

→公立高校入試に向けて「塾に行ってまでの勉強の必要性を感じない」

「高校生活は楽しく遊びたい」

 

これって私たち世代の中位層に近くなってるのかな?考え方が

 

第二に、小学生のうちに追いつかせても、弊塾の場合、中学に接続しない

 

傾向として、小学校範囲を追いつかせたとしても、弊塾は予習向きの塾ではないので、どうしても今のカリキュラムだと本人の負担が大きくなります。(そのため、中学接続に関しては集団授業を実施していきたいと考えるようになっています)

 

 

また、小学生のうちに積み上げても、中学に入ると生活は大きく変わります。
部活が始まり、時間の使い方が変わり、疲れ方も変わります。
その結果、小学生のときには通えていたのに、中学ではリズムが合わず、そのままやめることがほとんどです(おそらく2割も残らない)。

 

そうなると、「小学生のうちに中学になってからの(私の指導の)負担を減らしておく」という考え方も、そのままでは成立しません。

 

しかも弊塾の入塾生を見る限り、中2の段階で小学生範囲がかなりあやしい状態で入ってくる生徒も珍しくありません。一方で弊塾はやはりそのへんは得意範囲でもありますので、中1や中2でもまだ立て直せることが多いのです。つまり、中1の時点で小学生範囲が少し不十分だからといって、それだけで決定的に厳しくなるとは限りませんし、公立高校であれば中2の成績から、私立であれば学校によっては中3の成績のみを見ます。中1時点の勉強の苦手感は、中1後期までに立てなおせば全然どうにかなる部分でもあるから、小6から入っていなくなるよりは、部活ありき塾ありきの生活に中1から慣れてもらう方が現実的かなと考えています。

 

逆に、後から直すのがきついものもあります。

例えば、国語ができないこと。
約束や決まり事を守れないこと。
分からないときに考える前に止まること。
面倒なことを避けて、思考を放棄すること。
勉強できる出来ないではなく、行動すればだれでもできることを実施しないこと。

努力が必要な場面で、最初からやらないことです。

 

 

こういう部分は、学年が上がってから急に直そうとしても、かなり厳しいです。
勉強内容の不足より、むしろこちらの方が後まで残ります。

 

だから最近は、小学生のうちに本当に優先して鍛えるべきなのは、先取りや補習そのものではないのではないか、と考えるようになりました。

 

もちろん、計算や漢字の基礎は大事です。
ただ、それ以上に大事なのは、文章をある程度読めること、話を聞けること、決めたことを守ること、分からなくても少しは考えること、嫌でも必要な努力をすることです。

 

中学で苦しくなる子は、小学生内容が少し抜けている子だけではありません。
 

むしろ、こういう土台の部分が弱い子の方が、後で大きく崩れます。

 

そう考えると、小学生のうちに時間をかけるなら、優先すべきなのは「中学内容の前倒し」ではなく、こうした土台の方だと思っています。

 

小学生範囲の学力不足は、中学に入ってからでもある程度立て直せます。
しかし、国語力の不足や、約束を守れないこと、考えることを放棄する姿勢、努力ができないことは、後から直そうとしてもかなり苦労します。

だからこそ今後は、小学生のうちに何でも前倒しでやることより、中学に入ってから崩れない土台をどこまで作れるかを重く見ています。
先に進めることより、読めること、守れること、考えること、続けること。
小学生のうちに鍛えるなら、まずはそこだと思っています。