いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。本日のブログ3行まとめ

高校に入ると、勉強は一気に本人任せになりやすい。

ただ、進学を考えるなら、評定や定期テストを軽く見てよいわけではない。

瀬谷松栄塾では、高校生にも勉強する場所と、続けるための環境を用意している。

中学3年生は、特に神奈川では7割以上が塾に通っている。
つまり「塾に通って勉強する」ということが当たり前に近い環境にいる。

そして高校に合格し、通塾を終了する生徒は多い。
高校生全体で見ると、塾などの学校外学習を使っている生徒は3〜4割程度であるというデータがある。


一方で、大学への進学を考える生徒は、今は7割程度だと言われている。

 

中学では進学のために塾に通うのが当たり前だったのにもかかわらず、

大学受験のためには塾に通わない・通い始めるのが遅い生徒が想像以上に多い、ということである。

高校生なのだから、もう自分でやるだろう。
部活もあるし、必要なら自分で勉強するだろう。
テスト前になれば、さすがにやるだろう。
高校受験であれだけ勉強が習慣化したのだから、高校に入ってもやるだろう。

そう考えたくなるのはわかる。

ただ実際には、高校に入ったからといって急に自己管理ができるようになるわけではない。
特に偏差値50前後の高校であれば、「高校生になったから、あとは本人任せで大丈夫」とはあまり思っていない。


まず、高校の勉強は、中学より科目も多いし量も多い。
もちろん学校のプリントや問題集はある。

でも、それをどう使って点数につなげるかまで、自分で考えられる生徒ばかりではない。
しかも、高校で配られる問題集やプリントは、解説がわかりやすいとは限らない。

解説を読めば全部わかる子ならいい。
でも、そうではない子も多い。

わからない。
解説を読む。
それでもよくわからない。
そこで止まる。
あるいは、答えだけ写して終わる。

 

特に弊塾の高等部では、勉強を教えるというより、解説に書いてある日本語の説明だったり、式と式の間に隠れている「なぜこうなったのか」の解説がメインになることが多い。

 

また「高校内容が難しいからできない」ということもあるが、

その前に、勉強の進め方が成立していないことがある。高校生の場合、まずここが問題になる。

家で勉強しようと思っても、始まらない。
部活で疲れて寝る。
スマホを見る。
少し休むつもりが、そのまま夜になる。
明日やろうと思って、結局テスト前になる。

家と塾と学校の往復の世界から一気に世界が広がり、やりたいこともたくさんでてきて、物理的に時間が確保できなくなる。

 

これは「やる気がまったくない」という話ではない。
家で自分を律して勉強を続けるのは、簡単ではないという話である。

それなら、帰りがけに塾に寄る。

もちろん、通学距離が長くなったり、中学よりも忙しくなったりすることで、眠い日はある。
部活で疲れている日もある。その場合は、少し仮眠してもいいことにしている。
大事なのは、そこで一日を終わらせないことである。

起きる。
座る。
少しでも進める。

最初は1時間でもいい。

 

実際、部活帰りに1時間だけ勉強するところから通い始めた生徒もいる。
最初は「家だと寝てしまうから、帰りがけに少しやる」という形だった。

それが、気がつくと60分では足りないくらい進めるようになった。
結果的に通塾時間を増やすことになった。

 

これは、特別な話ではない。

高校生にとって必要なのは、最初から完璧な勉強計画を立てることではない。
まず、勉強する場所に自分を置くことである。

 

他塾卒塾後、高校1年の夏前頃から弊塾に来る生徒も毎年数名いる。最初の定期テストが思ったようにいかなかったから、ということが一番多いように思う。推薦を取りたいのであれば高1の成績は重要だから、早めに手を打っておいた方がいいのは事実なのだ。

 

また、中学卒業後もそのまま勉強習慣を切らさないために、短時間で週2回通っている生徒もいる。中学の時に比べれば勉強時間は2割くらいまで落ち込んでいる気がするが、それでも、評定3.9から4.3程度を維持できている。

来ない日になにをしていたのか。

今学校で不明点があるかどうか。

そういった声かけをし、テスト前だけみっちりやる環境。

 

高校に入ると、親も手を出しにくくなる。
 

もちろん、自分で勉強できる子まで、無理に塾へ来させる必要はない。
ただ、「家でやる」「友達とやる」「明日やる」が、ただの先延ばしになっているなら話は別である。

テスト前に部活が休みになるなら、そこで勉強時間を強制的にでも確保したい。

 

今は、大学でも専門学校でも、推薦や総合型で進学する子が多い。

一般入試だけを考えていればよい時代ではない。

そもそも、偏差値50前後の高校から一般選抜一本で大学を目指すのは、かなり厳しい。

大学進学率が上がったからといって、誰でも楽に希望する大学へ行けるわけではない。

むしろ、評定を取って推薦や総合型の可能性を残しておくことが、現実的な進路選択になる場合も多い。

だから、高校の定期テストを軽く見てはいけない。

 

もちろん、評定が高ければ何でも選べる、という話ではない。
ただ、評定が低いと、選べたはずの進路を選べなくなることはある。

大学だけではない。専門学校でも同じである。

 

特に医療系の専門学校などは、総合型だから簡単に通る、というものではない。

志望理由が弱い。
高校での成績が悪い。
欠席が多い。
勉強する姿勢が見えない。

 

そういう状態で、ただ「行きたいです」と言っても普通に落ちる。

(受かる私立専門・大学もなくはないが、当然のことながら留年率や中退率は高いようである)

 

だから弊塾の高校生対応は、大学受験予備校のように高校内容をすべて講義する形ではない。

まず、勉強する場所に来る。
座る。
やるものを決める。
進んでいるかを見る。
止まっていたら話をする。
必要であれば質問対応をする。

 

 

高校生に必要なのは、教えてもらうことだけではない。

まず、勉強する状態を作ることである。

 

自分でできるなら任せる。
自分で崩れるなら、勉強する場所に来てもらう。

高校生だからこそ、全部を本人任せにはしないことが大切である。

 

 

 

いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。1階のぐう食堂が先月末で閉店していたようで、ぐう食堂2階という表記が使えなくなってしまいました。どうしようかな。さて、

 

本日のブログは 『満点を目指すもの』 時間がない人向け三行

満点を取れという話ではなく、やれば届くものを「まあいいか」で終わらせない姿勢を育てたい。

小さなテストで満点を目指す経験は、達成感・悔しさ・次への修正を学ぶ機会になる。

瀬谷松栄塾では、問題の解き方だけでなく、努力の基準をもう一段上げるところまで見ていく。

 

 

やる気はある。ただ、勉強が得意なわけではない。

そういう生徒は決して少なくない。

 

学校のテストで40点から60点くらい。得意な教科なら70点くらいは取れる。

 

そのくらいのラインにいる子ほど、私は、範囲の決まった小テストでは満点を目指してほしいと思っている。

満点を取れなければダメ、という話ではない。満点を目指そうとしないことが問題だと思っている。

 

たとえば近隣の中学校で言えば、英語の小テストや漢字テストがそれにあたる。

 

漢字テストは範囲が決まっている。
英語の小テストも、事前にほぼ同じ問題が配られている。

こういうものは満点を目指すべきだ。
9割取れればいい、という姿勢でやるべきではない。

もちろん定期テストでも「満点を目指して、取れない理由を一つずつ潰していく」という姿勢は大切である。
ただ学校のテストで40点から60点くらいの生徒にとって、定期テスト全体でそれをやるのは簡単ではない。

範囲が広い。
教科も多い。
覚えることも多い。
理解が追いついていない単元もある。
そうなると、「全部を満点まで仕上げる」という経験を、定期テストの中だけで積むのはかなり難しい。

結果的に「ここまででいいや」「このくらいでいいや」という諦めてしまう経験をたくさん積んでしまっているのが常である。これはどんどん自分のハードルを下げ、結果的にレベルを下げてしまうと考えている。

だからこそ、範囲の狭い小テストでそれをやる。

間違えたものをそのままにせず、もう一度覚え直す。
「まあ1問くらい」「90点ならいいでしょう」で止めないで満点にこだわる。
何回もやりなおしをして、取れなかった原因を潰す。
次は同じ落とし方をしないようにする。

そういう練習を、小さなテストで積んでほしい。

定期テストでいきなりそれをやれと言っても難しい。だから、まずは満点を目指せる範囲のものからやる。
小テストは、そのためのちょうどよい場である。

 

もう一つ別の理由がある。

小テストなど、基礎問題の9割ができているという状態は、一見すると悪くないように見える。

しかし、基礎問題で1割穴があるということは、定期テストではもっと大きく崩れる可能性がある。
基本の形があいまいなら、少し聞かれ方が変わっただけで止まる。
同じ問題ならできても、条件が少し変わると手が動かなくなる。

つまり、基礎問題で「9割できている」と勉強を止めてしまうと定期テストでは7~8割程度しか取れない状態につながることがあるということである。

 

もちろんここで大事なのは、小テストの点数そのものではない。本番になって、「思い出せない」「うっかりミス」・・・当然あるだろう。それを悔しいと思えるかどうかというのは、満点を目指したかどうかにもよるし、そこで印象付いた間違いは次回はあまりしなくなっていくものだ。

 

つまり小テストで満点を目指す、ということは、

「やれば届くものを、最後まで詰める」という経験を積むことである。

 

 

「だいたいできた」
「まあいいか」
「9割できているからいいでしょう」
「90点だよ?」

 

そう思う気持ちはわかる。

 

でも、その「まあいいか」が続くと、自分なりの努力の基準が低いまま固定されてしまう。

学ぶということに関して、「自分なりに努力した」を低いところで維持してほしくない。

 

もちろん、努力したこと自体は否定しない。
勉強が苦手な子が机に向かうだけでも、以前より前進していることはある。

ただ、その次が必要である。

もう一回やれば満点に近づく。
見直せば防げる。
覚え直せば取れる。
間違えた理由を確認すれば、次は変えられる。

そういう範囲のものを、「まあいいか」で終わらせない。

小さなテストで満点を目指す意味は、そこにある。

満点を取れたら、それは達成感になる。
努力して届いた、という経験になる。

満点を取れなかったとしても、それで終わりではない。
悔しいと思えばいい。
なぜ落としたのかを見ればいい。
覚え不足なのか、練習不足なのか、確認不足なのか、雑にやったのか。

それを次に直す。

この経験が、定期テストで50点前後の子には圧倒的に少ない。

 

定期テストは範囲が広い。
苦手な子にとっては、仕上げ切る前に本番が来る。提出ワークを終わらせるだけでいっぱいいっぱいの生徒も多いだろう。

 

そうなると、「あと少しで届いた」「ここを直せば次は取れる」という経験になりにくい。

だからこそ、範囲の狭い小テストで経験を作る。

やれば届くものを、やり切る。
届かなかったら、理由を見て次につなげる。
そうやって、努力の基準を少しずつ上げていく。

 

 

ただし、これを子どもが一人でやりきるのは簡単ではない。

 

人間は、基本的に妥協する。

面倒くさいことは後回しにしたくなるし、「まあこのくらいでいいか」と思いたくなる。
まして勉強が得意ではない子なら、できなかった問題をもう一度やること、覚え直すこと、満点まで詰めることはかなり面倒な作業である。

だから、ひとりでそれを続けるのは難しい。

「もう一回やる」
「どこで落としたかを見る」
「覚えたつもりで終わっていないか確認する」
「満点を目指すなら、あと何をするか考える」

こういうことを、自分だけで毎回できる子は多くない。

家庭でできるなら、それでいい。そういうことをしっかりとご自宅でチェックされている保護者の方も、当塾にもいらっしゃる。その場合はこちらは別のアプローチでプラスアルファのことをする。

 

 

 

でも、ご家庭でそこまで見るのが難しいなら、それこそ

その「監視監督」に塾を使えばいい。

「できるはずのことを、できるところまでやり切る」

ここを子ども任せにしない。
瀬谷松栄塾は、そこを見る塾である。

小テスト満点を取らせるためではない。
自分ができる努力のハードルを、低いところで固定させないためである。

 

 

いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

 

 

このブログを三行でまとめると
学習記録ノートは、できなかったことを並べるためのものではありません。
できていない事実は受け入れたうえで、次に何をするかを残すためのものです。
注意された内容ではなく、改善するための行動を見返してから勉強を始めることが大切です。

 

弊塾では学習記録ノートを書いてもらっている。

これは、今日やったことをなんとなく残すためのものではない。
反省文を書かせたいわけでもない。

まして、「自分は何ができなかったか」を並べて落ち込むためのものでもない。

 

勉強とは、わからないことをわかるようにする作業である。
できないことを、できるようにする作業である。

 

だから、勉強をしていれば、当然わからないことは出てくる。
できないことも出てくる。
間違えることもある。

 

でもそこから逃げていたら、何も変わっていかない。まずそこと向き合うことが、勉強できるようになるためにまず一番大切なことだと私は考えている。

 

勉強は、気持ちよく「できることだけを確認する」時間ではない。

むしろ、自分がまだできていないところを確認することがスタートラインなのだ。

 

何がわかっていないのか。
どこで手が止まるのか。
どのミスを繰り返しているのか。
どの行動が雑になっているのか。

 

そこを見ないまま、「がんばります」「次は気をつけます」と言っても、たいてい同じことを繰り返す。

 

できていないことは、事実として受け入れる必要がある。
 

できていないことをできていることにはできないからだ。
わかっていないことをわかっていることにもできないからだ。

 

 

だから塾では「できていないこと」をそのまま伝える。

 

計算ミスが多い。
英単語を覚えていない。
問題文を読めていない。
説明を聞いたあとも、同じミスを繰り返している。
ただなんとなく答えを写している。

やると決めたことをやっていない。

 

こういうことは、言われて気分のいいものではないと思う。

それでも伝えなければいけないのは、

「できていない事実」をはっきりさせずに「改善するための行動」だけを伝えても、

多くの場合は流されるからである。

 

「次はこうしてみよう」と言われても、本人の中で「なぜそれをやる必要があるのか」がつながっていなければ、次回も同じ行動をする。

 

だから、まず先に事実を確認する。

何ができていないのか。
どこにつまずいているのか。
何をやっていないのか。
どのミスを繰り返しているのか。

そこを見たうえで、

次に何を変えるかを決め、提案する。必要があれば指示をする。

できていないことを指摘されたとき、その事実は受け入れる必要がある。


ただし、学習記録ノートに残すべきなのは、そこではない。

次にノートを見たときに必要なのは、
「自分は何ができていなかったか」ではなく、
「次に同じ場面で何をするか」である。

できていなかった事実だけを見ても、次の行動は変わらない。

残るのは、
「自分はできていない」
「また怒られた」
という記録だけである。

それでは、学習記録ノートの意味がない。

 

ノートに書くべきなのは、ダメだった事実そのものではない。

そのあとに何をするのか。
次に同じ場面になったとき、どう行動するのか。
どのやり方に変えるのか。

そこを書く。

たとえば、

「計算ミスが多い」ではなく、
「途中式を飛ばさずに書く」
「符号だけ最後に確認する」

「英単語を覚えていない」ではなく、
「テスト前に今日の単語を10分確認する」
「間違えた単語を3回書いてからもう一度テストする」

「問題文を読めていない」ではなく、
「条件に線を引いてから解く」
「何を聞かれているかを確認してから答える」

こういう形で残す。

学習記録ノートは、できなかったことを保存するためのものではない。
次に勉強を始めるとき、自分が何を意識するかを確認するためのものである。


そしてその次にまた勉強をする際は、始める前にノートを見る。
前回、何を注意されたのかではなく、前回、次に何をすることになったのかを見る。

そして、その改善行動を実際にやってみる。気にしてみる。気を付けてみる。

 

 

塾でできていないことを伝えるのは、責めるためではない。

今のままでは何がまずいのかを確認し、次の行動を変えるためである。

ただ、言われた本人には、どうしてもダメだった部分だけが強く残ることがある。

「怒られた」
「できていないと言われた」
「またダメ出しされた」

そう感じることもあると思う。

 

もちろん人間なのだから、怒られてしまった・注意されてしまったという印象は強く残ってしまうものだ。

 

だからこそノートに記録する際は、その次の未来のことまでを書く必要がある。

次に同じ場面になったら、何をするのか。
どの行動を変えるのか。

ここまで残すよう、強く意識してほしい。
もちろん、こちらでも記入漏れは指摘する。

でも、そこで止まってほしくない。

大事なのは、何を言われたかではなく、次に何をするかである。

できていない事実は受け入れる。
でも、ノートに残すのは改善するための行動である。

そこまでやって、初めて振り返りになる。

勉強とは、できない自分を責めることではない。
できないことをできるようにするために、次の行動を変えることである。