いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

このブログを三行でまとめると
・授業で分かりやすく教える時間が長いほど成績が上がる、とは限らない。
・点が上がらない原因の多くは「家でやらない/できない」「やったつもり」「テストの意識が低い」だから。
・だから私はテストまでに必要量をやり切らせる運用を徹底する。

 

 

弊塾は、初めて塾に通う生徒だけでなく転塾生も大きく点数を伸ばします。

 

・個別指導塾からの転塾の場合は「同価格で学習時間を2~3倍確保」

・集団塾からの転塾の場合は「わかるところまで戻り、授業よりも演習最優先」、宿題の量は減るが授業内である程度完結することを目標とする

 

特にある特定の塾からの転塾生は成績の上がり方が顕著です。指導スタイルそのものは似たようなものであるのに、なぜこちらでは成績が上がるのか。

 

これは、みなさん気になるところでしょう。

先に言います。私が指導上手だからではないです。
基本的に、弊塾に転塾してくる子の多くは、勉強以前のところで詰まっています。

  • 家だと勉強しない/できない

  • 「やったつもり」で終わる

  • 分からないのに質問をしない。

  • そもそも分かっている・分かっていないということに対して興味がない、薄い。

  • 期限が守れない

  • テスト前でも勉強量が他者に比べて増えない(自分なりに増やしたは無意味)

  • そもそもテストを舐めている(進路への重要度を理解していない)

この状態だと、どれだけ良い解説を聞いても点数は上がりにくい。興味がなかったり、自分でできるようになるという意識が低すぎるから。
穴の空いたバケツに水を入れているのと同じです。

だから私は、解説の時間を増やすより先に、まずここを直します。
「やるべき量を、テストまでにやり切らせる」ほうに時間を使います。

 


今回、特に徹底したこと(うちの運用)

① テスト前は学習報告を逐一させる

テスト前に一番危ないのは、「やってるつもり」のまま時間だけ過ぎることです。
だから、何をどれだけやったかを細かく報告させます。
目的は説教ではなく、ズレを早く潰すためです。

※とはいえ、今回は初期に建てた予定のうち、8割程度の進捗でした。もともと私のスケジュールの立て方は「全力で達成できるスケジュール」ではなく「8割の力で達成できるであろうスケジュール」なので、これの達成度が8割という時点で総合的には全力の65%程度しかやってないなという認識ではあります。ただそれでさえ、おそらくほとんどの生徒は前回よりできたのではないかな、と期待をしています。

 

② 現状の見込み点を言語化して、「それでいいのか」を徹底する

「今の勉強量だと、着地はこのくらいになる」
「それでいいならいい、ダメなら勉強量そのものが足りてない」

これを徹底します。
ここを曖昧にすると、ほぼ確実に負けます。気合いの話ではなく、必要量の話です。

もちろん、諦める子もいます。まあ自分もそうでしたけどね、諦めるというか「まあいいか、めんどくさいから」

だから気持ちはわかります。でも、自分の好きでないことで、やればやるほど結果が出ることに頑張れるという経験は私は人生で必要だと思っているので、伝え続けます。自分のことは棚に上げて。

 

③ 覚えるものは短期間で区切って、結果で宿題を出す(過程は問わない)

「ここまでをこの期間で覚えてくる」
「次回、それができてるかで判定」
この形にします。

ノートの体裁とか、やり方の細かい縛りは最初からしません。
それをやると、作業だけ増えて中身が入らない子が多いからです。
見るのは結果です。できてなければ、やり直し。

 

④ テストへの意識が低いなら、懇々と話す

テスト前に一番まずいのは、「やってない」ことより、本人が危機感を持っていないことです。
「まだ大丈夫」「なんとかなる」「前日ちょっとやればいける」
こういう認識のままだと、勉強量が増えない。増えないから、そのまま成績が落ちる。

ここは面倒でも話します。納得するまで言います。

昔よりも「進路に学校の成績がどれだけ重要なのか」をわかっていないケースも最近は増えてきました。知らないなら伝えます。伝えても変わらないならあとは自分の人生だ、好きにすればいい。

 

⑤ 宿題を信じない前提で、通塾日数と時間を増やす提案をする

私は宿題を全信頼していません。
やらない子がいる、という意味だけではなく、やっていても「確認がないと抜ける」からです。

塾に来る直前にやる、答え合わせをしない、ばれないからと答えを写す・・・まあ全部時間の無駄ですね。それを確認するのも時間の無駄だと思っています。(だからこそ暗記の宿題に関しては結果だけを求めています)

そのため弊塾では他個別と同予算で通塾回数と滞在時間を増やす提案をします。
もちろん必ず同予算で行けるとは限りません。個別は教科ごとで授業を取り請求されるのが普通ですが、受験は結局5科目です。成績で言えば9科目です。その科目だけやっていたって、高校進学はできません。学力的に課題が多ければ、当然のことながら日数を増やします。必要だからです。

もちろんご予算的に増やせないということもあるかもしれません。それはそれで受け入れます。よそに行くよりいい結果は出るだろうと思うので(ただ受験対策は現実的に難しいですね)。

 

⑥テスト前講習を、ただの自習で終わらせない

テスト前はどの塾も生徒を呼び出しますよね。無料でやっているところは多いと思いますが、弊塾は有料です。無料だとやる気がなくても来るし、そういう子に使う席はテスト期間中には残念ながらないからです。

ただ、呼び出して座っているだけなら意味がありません。ただの自習でないからこそ、私にも責任が伴います。
だから必ず、

  • 今日は何をやるか決める

  • 途中で確認する

  • 最後にできているかチェックする

ここまでセットでやります。確認と監視を徹底します。

 

実際、ふだんの塾の4〜6時間で点数がそこまで大幅に変わるわけはありません。そもそも神奈川県はほとんどの生徒が塾に通っていますから、これは最低限であって、差別化できる量ではないのです。


差がつくのは、家を含めた残りの時間をどう使わせるかです。

それを宿題で管理と確保しているのが一般的な塾で、それがうちと他塾の一番大きな違いなのかなと思います。

 

報告させる。区切る。確認する。やり直させる。
この運用が回り始めると、勉強を教える時間が短くても点は上がります。
理由は単純で、「やるべき量をやり切った状態」を作れるからです。

 


 

このやり方が合う子/合わない子

ここまで読むと「厳しそう」と感じる方もいらっしゃると思います。
実際、合う合わないははっきりあります。

 

合う子

  • 家だと勉強しない/できない

  • 何をどれだけやればいいか分からない

  • 「やったつもり」で終わる

  • 誰かに確認されないとできない

  • 平均以上になりたい、と思っている

合わない子

  • 現状維持でいい(その目標自体は否定しないし、それを理由に受け入れないことはありません。カリキュラムが変わるだけです)

  • 自分のペースでやりたい(成績上位者はこれでも平気)

  • こちらから細かく確認されるのが嫌
    → このタイプは、うちの「報告・確認・詰める運用」が合わないことが多いです。無理に合わせる必要はありません。

ただし、ここははっきり言います。
「成績は上げたい。でも自分は変わりたくない」は通じません。
成績を上げるなら、やり方か量(だいたい両方)を変えるしかないからです。

 


最後に

うちは魔法みたいに一気に伸ばす塾ではありません。

それでも話し続けると明らかに変わった瞬間というのがあり、そこから急に「成績が上がる匂い」がし始めます。これが入塾後1ヶ月以内で出る生徒もいれば(仮入塾で変わり、他塾に行く子もいます、それはそれでいいかなと思っています)、1年以上変わらない子もいます・・


ただ少なくとも「やれば上がるはずなのに、やれていない」子を、やれる形にするのは得意だと思っています。

もちろん、「やればできる」とは限らないのが勉強の難しいところではあります。やればできると言われ続けた子は、やろうとしなくなる傾向がありますから、言っても変わらないこともそれなりにあるので。

それでも言い続けるしかないのです。説教がうるさい塾かもしれませんが、周りの大人が子供に注意しなくなってきた現代だからこそ、必要なことと考えています。

 

 

 

 

いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。
長文だと読まない人もいるので、文頭に三行まとめを置いています。


このブログを三行でまとめると

「やりたいことがないから進学しない」は、実は一番危ない止まり方になりやすい。
そして今は正社員でも薄給・不安定であることもあり、フリーターのほうがマシに見える場面もある。
だからこそ結論は、「やりたいことがないなら、勉強して選択肢を残す」ほうがいいと個人的に思う。


「フリーターでもいい」空気は、確かにあった

私の記憶だと90年代半ばくらいに、「フリーターでもいいではないか」みたいな空気があった。
厳密な年はズレているかもしれないが、少なくとも言葉としての「フリーター」自体は80年代後半から広がっていった、とされている。

 

当時は「会社に縛られない生き方」みたいに、少し明るい文脈で語られることもあったと思う。

ただ、そこから実際に何が起きたかというと、ここが重い。

  • 職歴が積み上がらない

  • 定職に就くタイミングを逃す

  • 正社員に復帰したくても、空白期間として扱われることが多い

 

もちろん全員がそうなるわけではない。うまくいく人もいる。
うまくいく人もいればうまくいかない人もいるというだけの話ではあるけれど、それでも

思っているより何とかならないリスクは高い。

 

バブル崩壊後、リーマンショックで景気はどん底、回復の兆しはあると言われながらも現場ではそんな印象もなく。

 

 

確かに正社員であってもボーナスが出ない会社もあるし、今は終身雇用も怪しいと言われている。
さらにその上で、手取りが13〜16万くらい、みたいな話もある。もしサービス残業が乗っているなら、時給換算でアルバイト以下になってしまうこともあり、かなり厳しい。

 

実際、例えば東京都の最低賃金は 時給1,226円(2025年10月3日から) と公表されている。
一方で、高卒の求人票データを集計した調査では、2026年卒の初任給平均が 約20万円 という数字も出ている。

こういう数字だけを見ると、そりゃ疑問が出る。

「それならフリーターのほうが良いのでは?」

短期だけ切り取れば、そう見える場面はある。
ただ、ここで話を「今月いくら」だけにしてしまうと、落とし穴に入る。

 

「20年後がどうなるか分からない」

これは事実だ。だからこの言葉を出されると、反論しづらい。
ただ、私が言いたいのはこういうことだ。

未来が読めないなら、「当てる」より「外しても詰まない」を優先したほうがいいと私は思う。

 

そして、未来よりも確実に読めるものが一つある。

体力は落ちる。

これは私自身がそうだった。

若い頃、私は体力に自信があって、月330時間くらい働いていた時期がある。残業手当なんか週3時間しかつけてもらってなかったな。それでも新卒で35万近くもらえてたから給料は悪くなかったんだけれども。
半休を勤務とカウントするなら、380連勤以上したこともある。今考えたら頭おかしいね、これ。なんだよ380連勤って。

 

塾を始めた頃も、ほぼフルタイム(アルバイトを掛け持ちで月170時間くらい)+塾、みたいな無茶を回していた。

正直、塾がプラマイゼロでも生活はどうにかできた。まあそもそも初期は数年

 

圧倒的赤字

 

だったわけだけれども。

 


まあそれもこれも「体力で殴って回す」ができたからだ。

でも今は無理。
 

最近は体力がついていかなくて、月100時間以下くらいが限界になってきた(まだ続けている)。

この変化は、根性の問題ではない。加齢と回復力の問題だ。
だから私は、「今のままでも何とかなる」を前提にするのが危ないと思っている。

 

ここでようやく、本題に戻る。

「やりたいことがないから進学しない」
「やりたいことではないなら進学させない」

 

この理由は、気持ちは分かるが、構造として危ない。

やりたいことがない時期は普通にある。
 

それなのに、その状態で勉強も積み上げない・経験も積み上げない、になると、後から選べる範囲が狭くなる。

未来がどうなるか分からないならなおさら、選択肢が増える側に寄せる。
その最短ルートが「勉強しておく」になることが多い。というより、努力したぶん正当に積みあがりやすい能力だからでもある。

 

勉強は綺麗事ではなく、逃げ道の数を増やす道具だと思っている。
体力が落ちたとき、環境が変わったとき、方向転換したくなったときに、戻れる足場になると思う。実際、私にとっても、調理師としての体力の限界と介護の問題で、こういう武器があったから振り切れたとも言えるし、技術と経験があったから副業もできているとも思っている。

 

例外はちゃんとある

でも、ではみんな大学に行くべきか、というと当然そんなこともはなくて、

 

  • やりたいことが明確で、現場に入るのが最短の人
    これは即就職が強い。目的がはっきりしているなら、進学しないのは戦略になり得る。

  • 勉強が本当に苦手すぎて、学校ルートが機能しない人
    無理に進学で折るより、別ルート(働きながら資格や訓練など)のほうが良いケースはある。

 

ただし、このどちらでもないのに
「やりたいことがないから進学しない」
になっているなら、私は一度止まったほうがいいと思う。

それは「自由」ではなく、「もうこれでいいや」という諦めから始まることが多いからだ。
そして諦めは、体力でカバーできる時期が終わった瞬間に、急に効いてくる。

 

 

結論

やりたいことがないなら、まず勉強でいい。
勉強しながら探せばいい。
探しながら「選べる状態」を作っておけばいい。

未来は読めない。
でも、体力が落ちるのは将来的には明らかだ。
だから私は、「体力で何とかする」より「選択肢で詰まない」を推したい。

 

 

 

あとがきにかえて

 

 

また、こういった意識はなんだかんだちょっと「洗脳」に近い部分はあると思う。

 

子どものころから進学を前提に話をされてきた子供たちは、自分の大学進学を疑っていないし(もちろんそれ自体が悪い方向に作用することもあるんだけれども)、自分の好きにしていいよと言われていた子は、自分が知っている狭い範囲だけでのやりたいことでものごとを考えてしまう。

 

じゃあ実際「ゲーム実況で食べていく」「YouTuber/VTuberになる」「声優になる」と言われて手放しで応援するご家庭はどれくらいあるのだろうか。

働きたくないでござる!働きたくないでござる!と言われたら、一生その子の面倒をみるのだろうか?

仕事をして生きていく、というのであれば、進学しないのなら遅くとも中2くらいから考え始めるべきなのだ。

 

昔、具体的に言えば1975年より前くらい生まれの感覚だと、高2くらいから考えれば将来の選択肢なんて普通にあったんだけれど、今は社会の要求するレベルがガンガン高くなっているので、そこから何とかしようと思うと本人になにかしらの才能がないと厳しいのが現実であると思う。

 

最低時給が上がった、というのは、売り上げが上がっているわけでない限りは経営者からしたら「仕事の要求レベルを上げて当然」という思考になるはずだからね。

 

 

 

いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾田中です。

このブログを三行でまとめると

テストは「範囲の確認」ではなく、準備と出力の力を測るイベント。
「持ち込み可だから平気」は、テストの意味(要求)を読み違えている。
勝負の日が分かっているのに準備しないのは、能力より先に「諦め」が入っている状態。

 

 

 

※最初に断っておきます。今日書くのは 塾の生徒の話ではなく、実の子どものテスト期間での出来事 です。
特定の生徒やご家庭を想定した内容ではありません。保護者の方なら「あるある」と感じる場面から入ります。


テストとは何か

テストって、何をするものなのか。

多くの子が(そして大人も)、テストをこう捉えている。

  • 「授業を聞いたかどうかの確認」

  • 「覚えたかどうかの確認」

  • 「点数を取るイベント」

間違いではない。
ただ、私はそれよりも強く、こう捉えている。

テストは「勝負の日が決まっている」イベントだ。

 

ゲームをする人なら分かるたとえ話。

初見のボスに挑むとき、基本の戦略は二つだ。

1つは、とりあえず戦ってみて一回負ける前提で、敵の特性と自分の不足を掴んで鍛え直す
もう1つは、限界まで鍛え上げて、相手のことを知らなくても瞬殺できるようにしておく

どっちにしても共通しているのは、「勝ちに行く」ということだ。
勝ちに行くなら、準備が要る。出力が要る。修正が要る。

 

テストも同じだ。

範囲が分かる。日付が分かる。時間も分かる。
つまり、準備ができることが前提で作られている。

だからテストが測っているのは、知識だけではない。
準備の仕方、逆算、出力の確認、やり直しの速度。
要するに「戦い方」だ。そして、ある意味点取りゲームだ。

 

ゲームをする生徒だったら聞く。ボス戦があるときに、そしてそのボスに負けたら即ゲームオーバー(またはキャラロスト)するときに、そんな姿勢で準備をするのか、と。

 


あるある:持ち込み可だから平気

ちょうどいま、子どもの大学でのテスト期間なのだが、勉強してなくはないけど

テスト期間と思えないくらい余裕のしぐさで。前期は確かにAばっかりだったけれども、後期は明らかに難しくなっているし、流石に私も教えられないから、進捗管理くらいは使用と思って声をかけた。

 

「持ち込み可だから別に平気だし」

 

これは、テストの意味、そして持ち込み可の意味を読み違えている。

持ち込み可のほうが、要求が上がることが多い。
どこに何が書いてあるかを把握しているのか。
調べた瞬間に理解できるのか。
その場で出力できるのか。

 

持ち込み可は「準備いらない」ではなく、「準備の質が問われる」のをわかっていないので、そんな話をした。

 

当然不機嫌になり、無視をする。

まあ自分たちが当時それができていたかっていうとできてないんだけれども、

ああ、こういうのってどこの家庭でも普通にあるんだろうな、と思いつつ

言われたくないなら、言われないように準備した方がいい。

準備ができていないから確認される。確認されるからイラつく。
無視しても、テスト日は来る。結果も出る。
状況が良くなることはない。

 

このように、テスト期間になると、家庭でよくある会話がある。

「いつ、何のテストがあるの?」
「範囲はどこ?」
「大丈夫なの?」

返事が薄い。機嫌が悪い。最悪、無視。
反抗期として気持ちは分かる。ただ、出た結果が積み重なって、選びたい道が選べない子というのも何度も見てきたから、結局老婆心ながら「やらなきゃだめじゃない?」という話になっていく。

 

塾生には「勉強が全てだと思ってないけれど、期限が決まっていて、最低限のクオリティを求められているものに対して動き続ける習慣が学生時代にあるかないかっていうのは社会に出てから大きいと思うよ」という話をよくしている。

 


60点でいい、も同じ読み違い

「60点でいい」も、構造は同じだ。

もちろん、最初から90点が取れるわけではない。
ただ、だからこそ「90を狙う前提」で準備しないと、60も落とす。

テストは、60点を狙って60点になるほど甘くない。
準備が崩れると、ミスと抜けが連鎖して、40点にも30点にも落ちる。

だから「90を目指す」というのは、精神論ではなく、
抜けを潰すための設計の話だ。

 

(というかそもそも大学って60点だとC(可)だし、今ってGPAが就活でも重いから単位取ることだけ目指してたらマジで大学入った意味ないじゃん、という状況になりますものね)
 

 


準備しないのは、能力より先に諦めが入っている

勝負の日が分かっているのに準備しない。
これは能力の問題ではないことが多い。

最初にあるのは「もうこれでいいや」という諦めだ。

  • どうせ無理

  • 取れない

  • やっても変わらない

諦めが入ると、思考が止まる。
止まるから、行動が減る。
行動が減るから、負けが確定していく。

私はこれを、自分でもやっていた。
だから分かる。人は簡単に、自分で負けに寄せる。

 

塾でも、「わかるわからない」「できるできない」の前に、「やるやらない」があるよ、という話を徹底的にする。できないとかわからないは仕方がないけど、やるかやらないかは文字通り自分の意志だけの話だから、そこを変えようとしないなら塾でできることなんかなにもない。

 

自分が変わろうとしないのに、成績なんか上がるわけがない。

 

自分のことを「バカだから」とあきらめるな。まあ、本当にどうしてもダメなケースはあるけれど、たいがいは「バカだからできない」わけじゃない、まず一歩を踏み出さないからできないのだ。歩かないでゴールする方法は、自動で運んでくれるヒト・モノを見つけるしかない。あるならだけど。

 

 


今は「やり直しの余白」が少ない

昔なら、多少雑でも誰かがカバーしてくれた。
注意して直してくれた。待ってくれた。やり直しの機会もあった。

でも今は、その余白が減っている。
就活もそうだし、社会に出てからもそうだ。

「準備しない」という癖は、点数を落とすだけでなく、その行動方針は信用を落とす。
そして信用は、一度落ちると戻すのが難しい。

だから、テストの話は点数の話で終わらない。
準備する力の話だと思っている。

だからこそやらなければいけないことはシンプルで、

  • 範囲を見て、分かる/分からないを分ける

  • 出力で確認する(できないなら、まだ覚えていない)

  • できなかったら、原因を一つだけ特定して直す

  • 期限から逆算して、毎日少しずつ潰す

テストとは何か。
「準備して勝負する日」だ。
それを分かった瞬間から、行動が変わる。

 

一番は、自分で小テストやってみて、わかっているかの確認をすること。ダラダラとノートまとめをしないこと。

 

これは当塾に通っていない中学生にも当てはまる(通っている中学生はガンガン注意していく)。

 

 

怒られる塾は減っている。でもうちはそのまんま、ごめん、潰れるまでもうちょっとこのままでいきます。

 

中学生ぐらいなら、ある一瞬を境に、空気が変わることがある。これがとてもうれしいし、のちの本人の幸せに続けばいいな、と思う。(一方でそれが不幸になるきっかけにならないかということも常に考える必要があるとも思う)