自分に注目して、それに伴う行動をして。
そんな積み重ねの中で、自分が少数派であることの納得を得られました。
わたしは物心ついたころから人は好きなんだけど、人との接触が苦手。
そして常に”異端”の形容を背負って生きてきました。
迫害(イジメ)の憂き目にも沢山遭い、人と明らかに違う自分の価値観を恨んだこともありました。
何処にも居場所がないように思ってました。
正直寂しかったです。
だけど、今はようやくそんな価値観を持っている意味に納得が出来たんです。
わたしがありのままの自分(の価値感)で生きることで、どこかの誰かの陽動になっているということ。
を、ある人が明言してくれたんです。
最初はにわかに信じられなかったんですけどね。
わたし自身居心地の良い自分で居ればいる程、実際にそういう人がチラホラ現れるようになりました。
わたしにとっての当たり前が他の誰かにとっては驚くような発想だったり。
逆も然りなんですけどね。
アメコミの発想なんかはわたしにとっては超有効。
思考を柔軟に解してくれます。
何処かの誰かは他の誰かの役に立っている。
つまり誰もがみな必要な人。
生きとし生ける全ての存在がみな必要不可欠な存在。
生きとし生ける全ての存在がいつも最幸の笑顔でありますように