みなさんこんばんは。



本日は一日かけて原稿を書くか、もしくは電話で打ち合わせをするかしておりました。



携帯の履歴を振り返ると、一日で一週間分くらいの人と話をしておりました。



昨日は岡山で振り替えのインストがあり(やっと会えて嬉しかったよー!)、帰りの新幹線でもノートパソコンで原稿を書いたり、色々な方と連絡を取ったりと「ああー、僕ちゃんってばなんてアーバンなんでしょ!」と勘違いたっぷりにコキたくっておりました。



その合間に、都内のタワレコにて購入した「zilling」を読み耽ってみたりしました。



読んで、自分ごときがここまで取り上げられていたのだと知り、顔から火が出ると共に、応援して下さる全ての人に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



ねこじろうも第三弾が発表になったり、ヴィジュアル系バンドとしてテレビなどにも一度ならず出演させて頂き、日本武道館や大阪城ホールのライブも控えていたり、もうほんと「どこでこうなった!?」と思わずにはいられません。



少し前までは、ある種の温度感覚で生きていたような気がするのに、誰かが作った閉塞感の犠牲になりながらもずっと笑っていた気がするのに、本当に不思議です。



船酔いをしそうな時に、自分より先に酷く気分の悪くなってしまった人を見るのは、沈静化に有効なのだと、昔どこかで読んだのを思い出しました。



どういう訳だか歌広場さんは不安定なまま安定してしまったみたいです。



いまの自分に混乱を提供してくれるのは高山さんだけなのかもとよく思います。



規則的に道路を照らす蒼白い街頭と、眼下の、細かく点滅し、震える街の灯り。



そういえば最近、一日に体重が2キロ減ったり、3キロ増えたりします。



健全じゃなくなって久しい極端な性格は、いつからか健全じゃなくなった極端な肉体に宿るみたいです。



何をやったら痛いか、とか、寒いか、とかはもはや共有され尽くしたはずなのに、なんできみは止めないの?



と聞かれたら、なんて答えたらいいのかってずーっと考える日々。



リツイート。



結果を出そうとする人は少しずつ「分かる人にだけ分かる」から「誰にでも分かる」ように言葉や表現を選ぶようになる。



不特定多数に向けて、傷つけないように、誤解を招かないように。



でも、その範囲の中で最大限に過激に。



前はそういうの嫌いでしかたなかった。



今は素直に凄いと思う。



転換中に友達と会話したり、決して耳を休めたりしない、それどころかフリの確認をする、早く帰りたいと頭の何処かで思っているのに、勿体無いから帰らない。



ドリンクチケットが落ちていたら、何食わぬ顔でカシスオレンジを頼んでみる。



全部飲むと気分が悪くなるから、友達に飲ませちゃう。



本当はタコさんウインナーとか、ウサギちゃんリンゴとかが好きなのに、みんなでコンビニ弁当を食べてみる。



誰が悪いとかじゃないんだよ。



愛の形は人それぞれ。



例えばそれがバンドマン(つーか僕)のすっぴんを見て大爆笑したであろう大勢の無垢な貴女であっても。



あいつは人前ではえげつないことを言ってるけど二人きりになると繊細な奴アピールして手篭めにするタイプだと嗤われる貴方であっても。



みんな、こんな僕に出会ってくれて、ありがとう。



明日は朝から動き回るぞ。



うぱー!