内々の話が大半なのですが

わたしのブログをずっと読んでる人なら  

大丈夫😊

きっと、懐かしい写真も出てくると思います。







(このフライヤーは、告知の時に頂いたものですが、直前に、お店側にコロナ陽性者が出たということで、場所と時間は、変更になりました。。)


まーくん(西森さん。あえて、まーくんと書かせて頂きますお願い)の追悼ライブに行ってきました。
 
ケッツ先輩が迎えに来てくれて一緒に。
(何気に、2人きりは初めてなので若干、緊張。笑)
ケッツ先輩ね(笑)(笑)

まーくんは、ケッツ先輩と一緒に
EMBLAZEというバンドをしていました。




奥さんのキョウコさんとは
ついこの前、ライブハウスで会って
その時に『ライブハウスに行くのが辛い、、、』って泣いていました。。


旦那さんであるまーくんは、
いくつものバンドをかけもちするドラマーさんでした。
 


倒れたということを連絡もらった時は
大丈夫、きっと大丈夫、と、信じていましたが
 

残念ながら亡くなってしまいました。。

 
本当に信じられなくて、
しばらく放心状態でした。

 
一緒にバンド活動をされていた人たちは
もっと信じられなかっただろうし

深い悲しみに包まれたことでしょう。。
 


亡くなったのが去年の7月のことだったんですが、

そから8カ月の時間を経て、
追悼ライブという形で、
奥さんもステージ戻ってきました。


それでも、やっぱり、みんなの顔を見ると
まーくんの想い出が多すぎて
平常心ではいられなかったと思います。
 

終始、涙が止まらない様子で、
見ている方も本当に辛かったです。。

 
でも、ステージで歌う姿を久しぶりに見ることが出来て、ほんの少しだけ安心しました。
 
 


色中毒
このバンドは、わたしも出演させてもらってた
シャッフルバンドの企画で、初めてライブを見て、
選曲がとてもいいのと、
桃源郷のボーカルさんとキョウコさんの2人ボーカルで
見ごたえのあるステージだったので
すごいなぁって、口ぱっか~んてして見ていたのを
昨日のことのように思い出します。。
  

 
全員が黒の衣装でした。



2019年7月



まーくんも写ってる写真に
わたしがいることの奇跡(笑)🍀


4年後に、まさか、
まーくんが亡くなってしまうなんて。。えーん




追悼ライブで色中毒が演ってた曲も
ものすごく好きな感じでチューチュー
 

 

 

特に気になった2曲上矢印なんですが

演奏している人たち、わりと年配なのに(失礼←)こんな若い感じの曲を、ものすごいクオリティで披露していたので、若い人たち、負けてらんれんぞ!!って思った次第です(笑)(笑)

 

パーカッションの方が

めちゃくちゃいい仕事してました。

 

 


まだまだ、悲しみは癒えないと思うし

あちこちのライブハウスに

まーくんの面影があって辛いと思うけど


まーくんは、奥さんがステージに立っていることをとても喜んでいると思いますおねがいおねがい

 

 

 

 

ワンバンド(原型は示談というバンドでした)
 
ギターの高橋さんと、ボーカルの市場さん。
そして、まーくん。
 
この3人が楽しいことを考える天才でね。


忘年会の時なんかは、直前まで
こうしたら面白くなるっていうのを考えてました。
 

 
被り物も大好きで。
(人に被せるのが好き?笑)



この写真は、今 見ても笑えます。

(指さしてるのが、まーくん、オオカミを被っているのが高橋さん。笑笑)




(左から 高橋さん、市場さん、わたし。笑笑笑)






『EGG STUDIO SHOW』は、
次から次へとアイデアが沸いてきてて
こうしよう、あ~してみよう、って
真剣に取り組みながらも、
とにかく楽しむことを大切にしていました。






上矢印一番最初の時から比べると、
(左が市場さん、右が高橋さん。わたし、被らされています。笑笑)


最終形態では
ものすごいことになっていました。
 

だからこそ、
KMJというステージで優勝できたんだと思います。
 



わたしは、おんぶにだっこで
全て任せきりで
言われた通りにするだけ。
 
それでも、参加できたことが人生の中でも大きな思い出になっていて、生涯、忘れられないものになりました。
 


まーくんには練習のある時に
スタジオまでの送迎を毎回お願いしていたし

奥さんには、わたしが歌唱で不安があっても
コーラス担当を任せてもらえて、

大きな声で歌うこと、
大きな動作で魅せることを教えてもらいました。
 
ご夫婦には、本当に、お世話になりました。。
 
 

高橋さんも、市場さんも、まーくんも
音楽を全力で楽しんでいる人たちだったので
 
だからこそ、まーくんが居なくなったことは
この2人にとっても、とてつもなくショックで
悲しい出来事だったと思います。
 
 

追悼ライブのMCで高橋さんが言葉を詰まらせて
人目もはばからず号泣したこと。
 
それを横で見ながら
サングラスの奥で涙する市場さんを見ていると
 
わたしなんて、お二人に比べると全然、思い出も少ないですが、楽しいことに一緒に混ぜてもらったことを思い出して、涙してしまいました。。。
 

 
悔しいですね。。
 
 
本当に安定したドラムで
何を叩かせても文句のつけようがない人でした。
 
 

みんな、口を揃えて言うのは

『まーくんは、人の事を、絶対に悪く言わない人だった』

です。



それだけ、ご本人も"人が好き"で、
"人に好かれる人"

優しくて温かい人だったんですね。。。




まーくんがいなくなっても
また、面白いこと、楽しいことを考えて、
ライブをすることで
みんなと会える機会を絶やすことなく
お酒を飲んで笑って演奏して、歌って、、、

そんな濃い時間を
過ごしていってほしいな、って思います。
 

で、そこに、わたしも
ほんの少し混ぜてもらえたら

幸せだなぁって思います。
 
 
 
 
 





Facebookには載せたのですが
 
 

追悼ライブ前日の土曜日に
これまたとっても素敵なステージを見てきました。

 
 
 
このイベントの主催の方も言っていました。
『楽しいこと』を一番大切にしたい、と。
 

もちろん、ステージに立つ以上
それなりのクオリティは求められるかも知れない。
 

でも、ステージに立つことを
楽しめていない人たちのライブを見ていても
お客さんも心から楽しめないよね。
 
 
メンバーが切磋琢磨して
時に子供のようにはしゃいで
時に真剣に練習に取り組んで
全員のやりたいことを
みんなで形にしていく過程ってすごく大事だと思うんです。

それが、ステージパフォーマンスに
現れてくる気がします。






三重県は南勢地区、中勢地区、北勢地区と
大きく3つにわけて
その地方でバンドのバンマス的存在の人たちがいます。
 

北勢地区が、追悼ライブを開催した
高橋さん率いるメンバーの方々。
 
この、北勢地区の方々は、古き良き人たちの集まり
一度聞けば耳に残るオリジナルを何十年も演奏していたり、それこそ、被りものや、衣装に凝って、楽しいイベントを企画する天才たちの集まりです(笑)
堅苦しい感じは一切なく、
とにかく演っている本人たちが楽しんでる感じが最高に好きです。
 

中勢地区は、どっちかっていうと
お堅いイメージなんですが(笑)(笑)
四日市市を盛り上げていこうっていう
市が絡んだ大きなイベント(プロジェクト)があったり
プロを呼んだ大きなイベントが組まれたり。
会議も頻繁にあって
ライブイベントに関しても、意見を出し合ったりアイデアを出し合ったりしながら、バンマスさんがきちっと取り仕切っている感じがあります。

 
南勢地区は、なんだろうなぁ。
垣根を超えた音楽の相称みたいな?(笑)
大きなライブハウスもあるし
壮大な企画があったり
ハードロックからメタル、アコースティック、j-popまで、幅広いジャンルと、
わりと、ゴリゴリの?バリバリ演ってます!的な?(笑)人たちの集まりが多いイメージです。
ゆるい、というよりかは、ハードル高めなイメージ。(実際はそんなことないですよ?笑)
 
 
(このイメージは、完全に、個人の主観によるものです。)
 
 



軽音楽の終わりにみんなで撮った写真ラブ
 
 
 
 
みんな、いい顔してます♡
  

わたしの横に彼氏(笑)
手は、恋人繋ぎ(笑)(笑)(笑)
 
 
こういうのも、大事ですね(笑)
 
 
 
 
 

わたしも、今年47才。
50歳までカウントダウン、、、

まさか、自分が50歳になるなんて
思いもしなかった20代の頃。 

50歳がババァ、ジジィだと
思っていた20代の頃(笑)

自分は歳を取らないと
思っていた20代の頃(笑)
 

気付けば、40代も後半、、、
 

残りの人生が"幸せ"だけ、あってほしいって
願っているのに

いろいろ起こりすぎだけど………
 
  

とにかく、 

わたしに関わる全ての人たちが
ずっと元気で、笑顔でいられますように。。。
 
なるべくなら
長く生きていてほしい。
 

 
そう願っています。。。。
 
 
 








 

 上矢印
この動画でもあるように
遺伝子検査は日本ではあまりしている病院がないのと、費用もかなり高額です。(研究対象であれば無償でやってもらえるとこもあるとか。)

たとえば、障害を持つ子が生まれる可能性、みたいなものが、確率でもいいから知りたい人にとっては、
出生前診断よりかは、身体にかかる負担も少なく、
身ごもってから分かるよりかは精神的にもダメージは小さく済むのではないか?と思うのです。

子供の障害の有無に限らず、

自身が、ガンになる確率とか(今は2人に1人が癌になる時代ですが)分かれば、早期発見になるように、検診を欠かさないだろうし、

わたしみたいに、突然、身体が不自由になったことで、疑わしき病原体の遺伝子検査がスムーズに進めば、もしかしたら、新しい治療法に繋がるかも知れないし、病気の研究に繋がる事もあるかもしれない。


保険適用にするとか、補助金を出すとか

そういう風に変わっていけばいいのにな。。。
と、切に願っています。。。



 
お子が、難病でも
とっても元気で明るい
りささんが大好きですおねがいえー