ホームシックブルース | 稲川圭一のDream In My Life

ホームシックブルース

 少しばかり、昔を思い出していました。

 2000年のデビューアルバム「一筋に流れる祈り」に至る前、特に1997年~1999年あたりはスナックのような店や飲食店等でもよく唄っていました。
 とりわけ、練馬の武蔵関にあった沖縄料理店「チャンプルー街」はまさにホームタウンで、毎週末はほぼ登場し、朝帰りするほど深夜まで盛り上がっていました。

 その頃、ボクには音楽の師がいました。師というか、憧れにも近い存在でした。

 辻久也というミュージシャンです。「チャンプルー街」で毎晩のように唄っていた音楽人です。ブルースや古き良きロックを唄い、お客さんの誰もを魅了していました。ボクもそんな惹きつけられた一人です。
 次第に一緒にステージを務める機会も多くなり、彼もボクらの音楽を奏で、ボクらも彼の音楽を愛しました。
 SEVENTH ROSEのギターの栄ちゃんが諸事情で数ヶ月活動を休んだ時は、ピンチヒッターでSEVENTH ROSEのギタリストを務めてくれました。一緒にライブハウスも回ってくれました。

 特に宝のような記憶になったのが、カルメンマキさんとのLive共演です。実は辻さんとカルメンマキさんが友人だったため、あの奇跡的な夜が実現したのです。
 日本のハードロックの先駆者「カルメンマキ&oz」。その世代の人はご存じのことでしょう。
 その夜、カルメンマキさんは、なんとそのozのギタリスト「春日博文」さんと登場。春日さんはあのRCサクセションの活動休止前の時期のメンバーでもありました。
 そんなカルメンマキ&春日博文の前座をさせていただいたのです。今でも忘れることのできない夢のような思い出です。

 師とはいえ、辻さんは生き方そのものがロック、否、ブルースマンそのものです。いつもお金がなくて、渋谷のライブハウスに出演する時も、「悪い、稲川さん1000円貸してくれる?」という。そう電車に乗る切符代さえ厳しかったのです。
 生活はといえば、女性に頼るいわゆる「ヒモ」暮らし。あるいは生活保護同然だったようです。病気も抱えていて、労働はできず、世間でいう「マトモ」な生活には遠かったようです。何の罪かは聞きませんでしたが、刑務所に入っていたこともあるようです。

 そんな辻さんでしたが、ある日、お店「チャンプルー街」で揃えた音楽機材(音響設備)を質に入れていたことが発覚。マスターをはじめ、みんなが辻さんの唄のファンでしたが、お店としては追い出さざるを得ず、結局、二度と「チャンプルー街」のステージに立つことはなくなりました。
 
 実はその頃、辻さんにギターを貸していました。高校生の頃に初めて買ったモーリスの黒いアコースティックギター。辻さんに貸したことを周りの人に言うと「あ~それもう帰ってこないよ」と笑われました。
 生まれてはじめてお金を貯めて買ったギターだから、大切じゃないっていえば嘘になるけど、どうせほとんど使ってなかったし、「辻さんに弾いてもらえるなら・・」とあげる気持ちで渡していたものだから、惜しい気持ちは微塵もありませんでした。
 確かに、10年以上の時を経てもボクの手元には戻っていません(笑)。

 辻さんがお店を追い出されてからは、滅多に逢う機会もなくなり、「チャンプルー街」が閉店してからは、ボクらも練馬や杉並等々、その界隈にはライブに出向くこともなくなりました。
 最後に逢ったのはいつだったか・・・。

 瞬く間に時は慌ただしく過ぎて、2012年の夏も終わろうという今、ふと「辻さんどうしているだろうか・・唄を聴きたいな」と思い、なんとなく「辻久也」と検索をしてみました。
 いくつか頁をめくったところで気づきました。

 「2010年5月、ミュージシャンの辻久也さんは永眠されました」という文字を見つけました。しばらく、その文字が頭の中で回り、その意味が次第に胸に迫りました。なんというか、すきま風が胸を抜けたような気がしました。

 この3次元世界、この実社会のモノサシで見れば、「ダメな人」の烙印を押されるでしょうが、あのオーラ、クールだけど愛にあふれる辻久也という人間をボクは知っています。
 誰でも対等。偉かろうが、そうじゃなかろうが、誰とでも同じように向き合った。
 あの独特の表現、唄うたいとして多くを学ばせていただきました。

 もう一回逢って、一緒に音楽をしたかったな、最後に1曲聴きたかったな・・・。
 
 きっと今頃、重く苦しかった身体を抜け、軽くなってあの世とやらで唄っているんだろうな・・って思ったら、少し嬉しくなった。不思議な感じです。

 彼がいつも唄い、大切にしていた曲、ホームシックブルース。辻久也の血肉ともいうべき代表曲。これがボクらも大好きでした。

 ホームシックブルース

 鉄橋が響かせるのは 悲しい 悲しい唄
 鉄橋が響かせるのは 悲しい 悲しい唄

 列車が通っていく度に 俺はどこかへ行きたくなる

 口の中まで 心が突き上げ 停車場へと俺は出掛けた
 口の中まで 心が突き上げ 停車場へと俺は出掛けた

 南の国へと俺を運ぶ 列車はないものかと彷徨って

 節(ふし)を知っていて 辛いのは ホームシックのブルース
 節(ふし)を知っていて 辛いのは ホームシックのブルース

 泣き出すまいと頑張って 俺は口を開いては笑うんだ
 泣き出すまいと頑張って 俺は口を開いては笑うんだ

 節(ふし)を知っていて 辛いのは ホームシックのブルース
 節(ふし)を知っていて 辛いのは ホームシックのブルース

 泣き出すまいと頑張って 俺は口を開いては笑うんだ
 泣き出すまいと頑張って 俺は口を開いては笑うんだ...


 こんな歌詞でした。
 歌詞カードがあるわけでもないのに、完全に記憶していました。
 古いブルースの英詩を訳し、その詩に曲を創ったものだったと思います。
 彼の人生そのもの。きっとそんな唄なのです。

 ホームシックブルース。
 かつて、SEVENTH ROSEでもカバーして唄わせていただいておりました。
 辻さんが旅立ってしまったから、受け継いで唄ってゆきたいという気持ちが募ってきました。唄うことで、粒子になった辻さんが一緒に唄ってくれそうな気がします。

 ホームシック。そう、ホームとは「天国」のことだったのかも知れませんね。

 ※残念ながら、音源も動画も見つかりませんでした。
 唯一、見つかった動画が下記のもの。この曲もよく唄っていたナンバーです。
 よろしければどうかお聴きになってください。

 辻さん、ありがとう。
 ここまで読んでくださって、皆さんありがとうございます。