未来を生きる君たちへ
この映画、すごかったです。
車を運転している時、ラジオでこの映画の予告を聴き、無性に観たくなり、劇場を探し新宿の武蔵野館で観てきました。埼玉ではやっておらず、東京でも3ヶ所でしか上映していませんでした。
デンマークの映画です。
こんなストーリー・・・
デンマークに家を持つ医師のアントン(ミカエル・パーシュブラント)は、アフリカの地に赴任し、キャンプに避難している人々の治療を行っている。様々な患者の中には、妊婦の腹を切り裂く悪党“ビッグマン”の犠牲者もいた。
母マリアン(トリーネ・ディアホルム)と幼い弟のモーテンと暮らしているエリアス(マークス・リーゴード)は、毎日学校で執拗なイジメにあっていた。父親のアントンが大好きなエリアスはその帰国を喜ぶが、両親は別居中である。
ある日、母親の葬式を終えたクリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)が、エリアスのクラスに転校してくる。その放課後、イジメっ子のソフスにエリアスは絡まれ、クリスチャンも巻き添えを食らう。
翌日、クリスチャンはソフスを殴り倒し仕返しをする。ソフスの怪我が表沙汰になり、呼び出された父親クラウス(ウルリッヒ・トムセン)は、報復にはきりがないと諭すが、クリスチャンはやり返さなきゃだめだと口応えする。
帰国したアントンが、子供たちとクリスチャンを連れて出掛けた帰り、モーテンがよその子と公園でケンカになった。割って入ったアントンだが、駆け寄って来た相手の子の父親に、理由も訊かれずに殴られてしまう。
明くる日、クリスチャンとエリアスが、自分を殴った男ラース(キム・ボドニア)の職場を割り出したことを聞いたアントンは、子供たちとラースの職場を訪れる。殴った理由を問いただすアントンを、ラースは再び殴るが、アントンは決して手を出すことなく、屈しない姿を子供たちに見せた。帰り道、殴るしか能のない愚か者だとラースを評するアントンに、エリアスとモーテンは同調するが、クリスチャンは報復しなかったアントンに納得がいかない。
アントンがアフリカへと戻った後、祖父の作業場で大量の火薬を発見したクリスチャンは、爆弾を作ってラースに復讐しようとエリアスに持ち掛ける。
一方、アフリカのキャンプでは脚に怪我を負ったビッグマンがやって来る。アントンは周囲に反対されながらもビッグマンの治療を行うのだが・・・。
デンマークとアフリカ。異なる二つの地で揺れ動くアントンと子供たち。憎しみを前に、どのような選択をするのだろうか——。
「アフター・ウェディング」のスサンネ・ビア監督が、暴力や憎しみに満ちた世界の中でも希望を見出していく人々の姿を描いたドラマ。第83回米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。
改めてストーリーを振り返り、この予告編を観ただけで、この作品の持つテーマが心の奥底まで迫ってくる気がします。
映画のチラシに「憎しみを越えたその先でどんな世界を見るのだろう」という一言が書かれているのですが、憎しみの対象が映像で目の前に現れた時、それをずっと自分に問うていました。
「赦し(ゆるし)」と「復讐(憎しみ)」の狭間で揺れる感情・・・登場する人物達の葛藤に似たそれが、観ているボクの葛藤にもなり、憎しみの気持ちと、いやいや待てよ・・というグッとこらえる気持ちの中で揺さぶられ、銀幕の前にいて少し気持ちが悪くなったくらいでした。
復讐は、新たなる復讐を招き、その連鎖は止まらず、世界の歴史は戦争であり、争いの繰り返しだったわけです。
人間の愚かさはそこにあり、だから今こそ愛や感謝を唱えるわけですが、もしそれを覆される現象が目の前で起こったら・・という、つまりは心にナイフを突きつけられたらその時どうする?というもの。
少し前にコチラで映像と共に記事にした「タケちゃん=通称:おかあさん」の人生にも思いを馳せました。彼のこれまでは復讐の半生だったと言える。
彼と同じ体験をしたなら、やはりボクも復讐に支配されたかもしれない。
一方、3歳児だけど、ボクの心の友である笙くんは、ケンカ相手を抱きしめて「大好き」とやってのける。そんなことも同時に思い出していました。
目の前で愛する人を殺されたら、その殺した相手を赦すことなど出来ようか?それを愛と受け入れられるのか?宇宙レベルでいう「地球での遊び」と捉えられるかな?・・・結構自分と対話していました。
起こる必要のない事象は「起こらない」のだと理解はしていますが、それでも愛を唄う時に避けて通れないテーマだと痛烈に感じてしまったのです。
そんなわけで、「赦し」というのは、愛を開く人生の最大のテーマなんだと改めて感じました。
随分以前の記事に「ゆるす言葉」と題し、ダライラマさんの素敵なメッセージを綴らせていただいたことがありました。
ダライラマ氏は赦しについて・・・「ゆるしの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。ゆるしとは“相手を無罪放免にする手段”ではなく、“自分を自由にする手段”です」と話しており、ボクの腑に落ちました。
ふと今になりこのダライラマ氏の言葉を思い出し、この映画の題材と重ね見つめています。
そうそう、心友の真尾里さんがちょうど同じ時期にこの映画を観ていたそうで、記事にされていました。さすがの洞察です。勉強になります。
さて、この映画、あまり大きくは上映されていませんが、機会があればぜひご覧になっていただきたいと思っています。
娯楽映画が中心の商業施設の映画館ではやらないでしょうが、いい映画を・・と考えている劇場では上映してくれることと思います。
ボクの好きな川越スカラ座では、11月くらいに上映してくれる模様です。その時にでももう一回観たいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
車を運転している時、ラジオでこの映画の予告を聴き、無性に観たくなり、劇場を探し新宿の武蔵野館で観てきました。埼玉ではやっておらず、東京でも3ヶ所でしか上映していませんでした。
デンマークの映画です。
こんなストーリー・・・
デンマークに家を持つ医師のアントン(ミカエル・パーシュブラント)は、アフリカの地に赴任し、キャンプに避難している人々の治療を行っている。様々な患者の中には、妊婦の腹を切り裂く悪党“ビッグマン”の犠牲者もいた。
母マリアン(トリーネ・ディアホルム)と幼い弟のモーテンと暮らしているエリアス(マークス・リーゴード)は、毎日学校で執拗なイジメにあっていた。父親のアントンが大好きなエリアスはその帰国を喜ぶが、両親は別居中である。
ある日、母親の葬式を終えたクリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)が、エリアスのクラスに転校してくる。その放課後、イジメっ子のソフスにエリアスは絡まれ、クリスチャンも巻き添えを食らう。
翌日、クリスチャンはソフスを殴り倒し仕返しをする。ソフスの怪我が表沙汰になり、呼び出された父親クラウス(ウルリッヒ・トムセン)は、報復にはきりがないと諭すが、クリスチャンはやり返さなきゃだめだと口応えする。
帰国したアントンが、子供たちとクリスチャンを連れて出掛けた帰り、モーテンがよその子と公園でケンカになった。割って入ったアントンだが、駆け寄って来た相手の子の父親に、理由も訊かれずに殴られてしまう。
明くる日、クリスチャンとエリアスが、自分を殴った男ラース(キム・ボドニア)の職場を割り出したことを聞いたアントンは、子供たちとラースの職場を訪れる。殴った理由を問いただすアントンを、ラースは再び殴るが、アントンは決して手を出すことなく、屈しない姿を子供たちに見せた。帰り道、殴るしか能のない愚か者だとラースを評するアントンに、エリアスとモーテンは同調するが、クリスチャンは報復しなかったアントンに納得がいかない。
アントンがアフリカへと戻った後、祖父の作業場で大量の火薬を発見したクリスチャンは、爆弾を作ってラースに復讐しようとエリアスに持ち掛ける。
一方、アフリカのキャンプでは脚に怪我を負ったビッグマンがやって来る。アントンは周囲に反対されながらもビッグマンの治療を行うのだが・・・。
デンマークとアフリカ。異なる二つの地で揺れ動くアントンと子供たち。憎しみを前に、どのような選択をするのだろうか——。
「アフター・ウェディング」のスサンネ・ビア監督が、暴力や憎しみに満ちた世界の中でも希望を見出していく人々の姿を描いたドラマ。第83回米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。
改めてストーリーを振り返り、この予告編を観ただけで、この作品の持つテーマが心の奥底まで迫ってくる気がします。
映画のチラシに「憎しみを越えたその先でどんな世界を見るのだろう」という一言が書かれているのですが、憎しみの対象が映像で目の前に現れた時、それをずっと自分に問うていました。
「赦し(ゆるし)」と「復讐(憎しみ)」の狭間で揺れる感情・・・登場する人物達の葛藤に似たそれが、観ているボクの葛藤にもなり、憎しみの気持ちと、いやいや待てよ・・というグッとこらえる気持ちの中で揺さぶられ、銀幕の前にいて少し気持ちが悪くなったくらいでした。
復讐は、新たなる復讐を招き、その連鎖は止まらず、世界の歴史は戦争であり、争いの繰り返しだったわけです。
人間の愚かさはそこにあり、だから今こそ愛や感謝を唱えるわけですが、もしそれを覆される現象が目の前で起こったら・・という、つまりは心にナイフを突きつけられたらその時どうする?というもの。
少し前にコチラで映像と共に記事にした「タケちゃん=通称:おかあさん」の人生にも思いを馳せました。彼のこれまでは復讐の半生だったと言える。
彼と同じ体験をしたなら、やはりボクも復讐に支配されたかもしれない。
一方、3歳児だけど、ボクの心の友である笙くんは、ケンカ相手を抱きしめて「大好き」とやってのける。そんなことも同時に思い出していました。
目の前で愛する人を殺されたら、その殺した相手を赦すことなど出来ようか?それを愛と受け入れられるのか?宇宙レベルでいう「地球での遊び」と捉えられるかな?・・・結構自分と対話していました。
起こる必要のない事象は「起こらない」のだと理解はしていますが、それでも愛を唄う時に避けて通れないテーマだと痛烈に感じてしまったのです。
そんなわけで、「赦し」というのは、愛を開く人生の最大のテーマなんだと改めて感じました。
随分以前の記事に「ゆるす言葉」と題し、ダライラマさんの素敵なメッセージを綴らせていただいたことがありました。
ダライラマ氏は赦しについて・・・「ゆるしの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。ゆるしとは“相手を無罪放免にする手段”ではなく、“自分を自由にする手段”です」と話しており、ボクの腑に落ちました。
ふと今になりこのダライラマ氏の言葉を思い出し、この映画の題材と重ね見つめています。
そうそう、心友の真尾里さんがちょうど同じ時期にこの映画を観ていたそうで、記事にされていました。さすがの洞察です。勉強になります。
さて、この映画、あまり大きくは上映されていませんが、機会があればぜひご覧になっていただきたいと思っています。
娯楽映画が中心の商業施設の映画館ではやらないでしょうが、いい映画を・・と考えている劇場では上映してくれることと思います。
ボクの好きな川越スカラ座では、11月くらいに上映してくれる模様です。その時にでももう一回観たいと思います。
お読みいただきありがとうございました。