博物館明治村 元京都電気鉄道狭軌1型 | 車内観察日記

車内観察日記

鉄道の車内の観察する日記ですよ。目次に記載した「☆お願い☆」をご一読の上、ごゆっくりどうぞ。

日本初の営業用鉄道と言われれば、新橋-横浜間を走った丘蒸気ことSLが日本史で習うほど有名ですが、「日本初の電車は?」と聞かれると、ぐっと正答率が減るような気がしています。

 

正解は京都市内を走った私鉄、京都電気鉄道。ここ明治村では、日本で初めて走った電車がまさかの動態保存されています。

 

2両が走っており、1両が単線を往復する運転体型となっています。今となっては珍しい単台車、さすがにボギー台車より揺れますよね(笑)

 

前面には今のスカートにあたるラケットが取り付けられています。当時は単線にも関わらず閉塞の概念が無かったため、鉢合わせは日常茶飯事、時に乗務員・乗客同士の罵声大会が繰り広げられたそうな。

 

車内です。当時の車両は鋼材の割合が少ない木造車体となっており、今とは違う形で木の温もりを感じることが出来ます。

 

当時は客用扉は無く、運転台が設置されたデッキから出入りする形態となっていました。

 

屋根には電球が付いており、吊り受け具が付いています。

 

柱には京都電気鉄道の社章を象った模様が付いています。

 

運転台です。いやーそれにしてもシンプルなこと(笑)  左にマスコン、右にブレーキは現在まで通じる電車と変わらないと思いますが、ブレーキに関しては見ている限り単に回せば良いというわけではなさそうです。

 

足元にはボタンが設置されており、踏むとベルが鳴ります。これをもって「チンチン電車」というわけですね。

 

客室とデッキの間には一応仕切り扉もありますが、普段は開けっ放しで使用されています。

 

仕切り扉の上には成田山のお守りが入れられています。今や京阪電車が有名どころですが、電車が運転開始となった当初から存在していたアイテムなんでしょうね。

 

天井です。運転は明るい時間帯に行われるので照明は灯っていませんが、オシャレなカバーが付いた電球がポツポツと付けられています。

 

また吊革は植物のツルを使ったものが残されています。鉄道黎明期の貴重な存在で、「吊革史」なるものがあったなら縄文土器並の歴史的アイテムになるんでしょうね。

 

荷棚は網棚となっており、優美なカーブを描いた支持具はフックを兼ねたものとなっています。網棚に載せられない身長の方には大層重宝されたでしょう…と言いたいとこですが、目立たないだけにどこまで使われていたことやら(^^;;

 

またダブルルーフとなっており、明かり取り窓が付いています。もしかすると、登場当初は電灯が無かったかもしれませんし、あっても照度が高くないので補助照明としての役割もあったのかもしれません。

 

窓です。当時から一枚窓だったかどうかは怪しいですが、乗り出し防止と思われる保護棒があるとこからして開閉可能なのでしょう。

 

日除けは引き上げ式の鎧戸です。当時は標準的だったんでしょうね。

 

座席はロングシートです。当時からモケット張りだったかどうか怪しいところですが、赤いモケットが木造車体に良く合っています。座り心地は期待することなかれ、ちょい乗りが出来ればそれ以上求める必要はありません。

 

終点で折り返し。パンタグラフはビューゲル式で、運転士さんが棒を使って転換する作業を見ることが出来ます。