「芸術の評価 その3」
2008/11/16
基本的にアーティスト気質の人は自分が発言する事を恐れない、
むしろそれがどんなに間違っていようが、ズレていようが、お構い無しに話す。
極端な例で言うならば自分の発言こそが唯一無二の真理と言わんばかりだ。
まあほとんどが的を射ているので、
ただ発言好きの勘違いクンとは違うと先に述べておこう。
こういった人たちは知識ではなく精神で一歩上を歩いている、
一つの特徴として、ここに辿り着く人は
”たぶん遅くても10代前半には辿り着いている”と僕は思う。
その後から必死になって自己啓発本やセミナーを参考にしたところで
追っても追ってもなかなか追いつけない精神の壁だ。
ちなみに今現在日本社会を動かしている、ドンと言われる部類の人たちの8割は
この種の精神状態を持っていると思われる。
流行を作るプロの人たちもこの部類だ。
ここからも分かるように、
精神の壁を突き破れるかどうかは、その後の人生を完全に別のものにしてくれる。
じゃあ超えよう、さあ超えよう!
しかし、前述したように、気付いていない人は気付かない。
ここまで読んで「へ~そう。」と思った人はもちろん、
「考えた事も無かった。」と思った人も、十中八九プロに泳がされて生きています。
もちろんそれでも別に生きていく上で不自由な事は何一つありません。
プロの提供するエンターテインメントを腹いっぱい楽しむ、最高ですよ、本心です。
ですが、少しでも精神を高みに押し上げたいと考えるのであれば、
発信することを忘れないで欲しい。
自分が何を考え、物事に対して何を考えたか、
誰かに話し、誰かの意見を聞いて欲しい。
そう、もう一つ忘れてはいけない事は、発信したらその反響に耳を傾ける事。
人間がこうして文明を持って発展してきたのは、
ただ一人の天才が引っ張ってきたからではない、
多くの人たちが意見をぶつけ合った結果だ。
そう、天才の正体は、その中から”発信した者”なのだから。
基本的にアーティスト気質の人は自分が発言する事を恐れない、
むしろそれがどんなに間違っていようが、ズレていようが、お構い無しに話す。
極端な例で言うならば自分の発言こそが唯一無二の真理と言わんばかりだ。
まあほとんどが的を射ているので、
ただ発言好きの勘違いクンとは違うと先に述べておこう。
こういった人たちは知識ではなく精神で一歩上を歩いている、
一つの特徴として、ここに辿り着く人は
”たぶん遅くても10代前半には辿り着いている”と僕は思う。
その後から必死になって自己啓発本やセミナーを参考にしたところで
追っても追ってもなかなか追いつけない精神の壁だ。
ちなみに今現在日本社会を動かしている、ドンと言われる部類の人たちの8割は
この種の精神状態を持っていると思われる。
流行を作るプロの人たちもこの部類だ。
ここからも分かるように、
精神の壁を突き破れるかどうかは、その後の人生を完全に別のものにしてくれる。
じゃあ超えよう、さあ超えよう!
しかし、前述したように、気付いていない人は気付かない。
ここまで読んで「へ~そう。」と思った人はもちろん、
「考えた事も無かった。」と思った人も、十中八九プロに泳がされて生きています。
もちろんそれでも別に生きていく上で不自由な事は何一つありません。
プロの提供するエンターテインメントを腹いっぱい楽しむ、最高ですよ、本心です。
ですが、少しでも精神を高みに押し上げたいと考えるのであれば、
発信することを忘れないで欲しい。
自分が何を考え、物事に対して何を考えたか、
誰かに話し、誰かの意見を聞いて欲しい。
そう、もう一つ忘れてはいけない事は、発信したらその反響に耳を傾ける事。
人間がこうして文明を持って発展してきたのは、
ただ一人の天才が引っ張ってきたからではない、
多くの人たちが意見をぶつけ合った結果だ。
そう、天才の正体は、その中から”発信した者”なのだから。
「芸術の評価 その2」
2008/11/15
物を評価することに対する考え方で前回は結びましたが、
今回は、それを全く”否定”するかのような話です。
あなたには好きなアーティストがいますか?
元々超有名人だった人、
全くの無名の頃からファンで、今では超メジャーなTOPアーティストになった人、
今も昔もマイナーだけど、一部のファンに絶大な人気を博している人。
あなたが好きなアーティストと言う位だから、心のどこかに響く物があるのでしょう、
ですが、その評価、本当にあなたの評価ですか?
ビビッとキタから聴いた・観た、
誰かが良いと言ったから聴いた・観たら好きになった、
流行のジャンルだから触れてみた、
自分のライフスタイルに合っているから好き、
単純にカッコいいから好き。
どれを取っても最終的には自分の”触れてみよう”と思う意思決定が必要になる、
だから人が好きになるものというのは、まさに”自分の選んだもの”と思うだろう。
だが違う、現代社会に於いては芸術に対する、
特に流行りに対する評価は大きく変化してしまっている。
まず予備知識として、昨今、流行りというものは、
自然な流れではなく、流行を作るプロが作っているという事、これは今や常識。
自分が「これいいかも。」と思って手に取った物は、実は自分の感性ではなく、
プロの思惑通りなのだ、知らない間に選ばされている・・キャー怖い。
つまり、常に流行先取りのA君は、常に人より一足早く流行をキャッチするため、
自分は感性に優れていると思い込む、
しかし実はA君はプロの手のひらで泳がされているだけで、
感性があるなんてずうずうし過ぎるって事になる。
まあアンテナが敏感なだけ普通の人よりはマシだとプロには思われるかもしれないが。。
そうなってくると近代芸術を評価できるのはその道のプロだけの特権って事に・・
うん、それは違うでしょう、
あなたは実はプロをも唸らす感性の持ち主かもしれないのだ、
黙ってたら一生気付く事はなくなってしまう。
発言するとはそういう事だ、
人間は勇気を持って発言する必要がある、それが成長するという事だ。 つづく。。
物を評価することに対する考え方で前回は結びましたが、
今回は、それを全く”否定”するかのような話です。
あなたには好きなアーティストがいますか?
元々超有名人だった人、
全くの無名の頃からファンで、今では超メジャーなTOPアーティストになった人、
今も昔もマイナーだけど、一部のファンに絶大な人気を博している人。
あなたが好きなアーティストと言う位だから、心のどこかに響く物があるのでしょう、
ですが、その評価、本当にあなたの評価ですか?
ビビッとキタから聴いた・観た、
誰かが良いと言ったから聴いた・観たら好きになった、
流行のジャンルだから触れてみた、
自分のライフスタイルに合っているから好き、
単純にカッコいいから好き。
どれを取っても最終的には自分の”触れてみよう”と思う意思決定が必要になる、
だから人が好きになるものというのは、まさに”自分の選んだもの”と思うだろう。
だが違う、現代社会に於いては芸術に対する、
特に流行りに対する評価は大きく変化してしまっている。
まず予備知識として、昨今、流行りというものは、
自然な流れではなく、流行を作るプロが作っているという事、これは今や常識。
自分が「これいいかも。」と思って手に取った物は、実は自分の感性ではなく、
プロの思惑通りなのだ、知らない間に選ばされている・・キャー怖い。
つまり、常に流行先取りのA君は、常に人より一足早く流行をキャッチするため、
自分は感性に優れていると思い込む、
しかし実はA君はプロの手のひらで泳がされているだけで、
感性があるなんてずうずうし過ぎるって事になる。
まあアンテナが敏感なだけ普通の人よりはマシだとプロには思われるかもしれないが。。
そうなってくると近代芸術を評価できるのはその道のプロだけの特権って事に・・
うん、それは違うでしょう、
あなたは実はプロをも唸らす感性の持ち主かもしれないのだ、
黙ってたら一生気付く事はなくなってしまう。
発言するとはそういう事だ、
人間は勇気を持って発言する必要がある、それが成長するという事だ。 つづく。。
「芸術の評価 その1」
2008/11/14
あなたは自分が見た絵画や写真を、
ハッキリとした自分の言葉で評価する事が出来ますか?
例えば無名の画家の絵があったとして、
「なんとも言えないけどキレイ・・」
「あったかい気持ちになりますね。」
「あまり好きじゃないです。」
このようなありきたりの言い方しか出来ない事は恥ずかしい事でしょうか?
僕は答えはNOだと思います。
人が持っているボキャブラリーは千差万別です、
そりゃあ言葉巧みにここが良いここが悪いと評価が出来れば、
文化人としてはそれに越した事は無いでしょう、
まあ、芸術においては、その巧みな言葉が必ずしも的を獲ているとは限らない訳ですが。
とにかく、大切なのは自分の言葉でキチンと評価すること、
別に知識なんて無くてもいいのです。
一番いけないのは、
どうですか?どう思いますか?と聞かれて、評価を避けてしまう事。
「別になんとも思わないです。」「何も感じないです。」
そのように答えてしまう人が一番マズイ、
それは自分は感受性がゼロである、と晒している訳ですから。
もしくはプライドが高すぎて自分の評価に自信が持てないのでしょう。
ともかく、自分の言葉を持てないのはマズイ。
例えばゴッホの絵を前にして「何も感じない。」と答える人は稀なはずです、
むしろ知識フル動員で評価するはず。
それは何故か、
もちろんゴッホの絵にはド素人も唸らすパワーがあるから・・と言いたいところですが、
全人類がそのパワーをキャッチ出来るとは思えない。
では何故か、
それは、文化人であるプライドが超有名画家の絵を評価させている。
それが正解だと思う。
評価できなければ恥ずかしいという気持ちが働くのだ。
物事を自分の言葉で表現するのは、実はとても勇気のいる事だと思う。
たとえそれがどんなに些細な事であっても。
そこから逃げない事は人間を成長させてくれるだろう。 なぜかつづく。
あなたは自分が見た絵画や写真を、
ハッキリとした自分の言葉で評価する事が出来ますか?
例えば無名の画家の絵があったとして、
「なんとも言えないけどキレイ・・」
「あったかい気持ちになりますね。」
「あまり好きじゃないです。」
このようなありきたりの言い方しか出来ない事は恥ずかしい事でしょうか?
僕は答えはNOだと思います。
人が持っているボキャブラリーは千差万別です、
そりゃあ言葉巧みにここが良いここが悪いと評価が出来れば、
文化人としてはそれに越した事は無いでしょう、
まあ、芸術においては、その巧みな言葉が必ずしも的を獲ているとは限らない訳ですが。
とにかく、大切なのは自分の言葉でキチンと評価すること、
別に知識なんて無くてもいいのです。
一番いけないのは、
どうですか?どう思いますか?と聞かれて、評価を避けてしまう事。
「別になんとも思わないです。」「何も感じないです。」
そのように答えてしまう人が一番マズイ、
それは自分は感受性がゼロである、と晒している訳ですから。
もしくはプライドが高すぎて自分の評価に自信が持てないのでしょう。
ともかく、自分の言葉を持てないのはマズイ。
例えばゴッホの絵を前にして「何も感じない。」と答える人は稀なはずです、
むしろ知識フル動員で評価するはず。
それは何故か、
もちろんゴッホの絵にはド素人も唸らすパワーがあるから・・と言いたいところですが、
全人類がそのパワーをキャッチ出来るとは思えない。
では何故か、
それは、文化人であるプライドが超有名画家の絵を評価させている。
それが正解だと思う。
評価できなければ恥ずかしいという気持ちが働くのだ。
物事を自分の言葉で表現するのは、実はとても勇気のいる事だと思う。
たとえそれがどんなに些細な事であっても。
そこから逃げない事は人間を成長させてくれるだろう。 なぜかつづく。