『急性の白血病です。すぐに入院手続きをして下さい。』


頭が真っ白になった。


自分の人生まだ終わらないけど、入院生活が暇なので、こういう形で振り返るのも悪くないだろう。


昭和57年6月~

福岡小倉に生まれる。


幼稚園からサッカークラブでの日々。


そのまま中学高校とサッカーをやり続けた。

高校の途中からボクシングを始めた。

なぜって?筋肉番付ってテレビ番組が流行って、腕立て500回、腹筋1000回毎日してたから何かに使いたかった。

ボクシングジムに通い、帰りはその日に決めた豚骨ラーメンを食べて、1杯飲んで寝る。といった毎日だった。

その頃夜の店でバイトもしていた。


大学にも行ったが1年で辞めた。

高校の時働いていた夜の店で『また働かないか?』との事だったので大学を辞めて地元に戻り働いた。


その頃の小倉は夜の店=ヤクザと関わりがあるとのイメージ通り、昼は息のかかった鉄骨鳶→夜は店といった毎日。週に2回はヤクザの事務所の見張りもした。


ある時、鉄骨鳶で一緒に現場に行ってた1人の先輩が、『ちょっと家にヒネ(警察)来とるみたいやけ、オレ家に帰るわ』って言って帰った先輩、それから見てない。

シャブが300g家にあってチクリがはいってそのまま刑務所へ…そんなんばっか。アホやろ?

嫌気がさしていた…


鹿児島や島根に出張へ行った時、『方言って面白いな~』って思った。


誰も知らない所へ行きたかった。


全部親分に話した。

『カタギの仕事で生きていけるんならお前はその方がいい。ただ、ここ抜けたらお前小倉には二度と帰ってこれんと思っとけよ。』と言われたので、

『二度と帰ってくるつもりはないです。』とだけ答えた。


さて、自由の身になったけど、どーするかな。

『旅行じゃなくて実際そこに住まなきゃ分からないな。よし、20代は旅に使って、30代は仕事に使おう。』って考えになるのに、そんなに時間はかからなかった。


某年10月~

手には1万円、服だけ持って愛車のクラウンで地元を出た。30分で本州に入るのに、その前にパトカーに止められそーになったので逃げた。

パトカーを撒いて山口に入ってすぐに下道へ降り、島根の出張の時に知り合った人の所へ。

安心したのか疲れてたのか、丸3日寝てたらしい。

と言うのは、『よっぽど疲れてたのね』と気を使って起こさずいてくれたみたいだった。


島根の子に別れを告げ、福井のツレに連絡取り、京都で待ち合わせ。

四条で飲みその日は京都に泊まった。

福井のツレの所に2ヶ月くらい世話になった。

そのツレの派遣会社に東北で仕事を探してもらい(寮完備)山形の米沢へ行く事になった。

道中、滋賀の飲み屋で知り合った人がたまたまカラオケ屋のオーナーで1週間泊まらせてくれ、ビールも飲み放題にしてくれたりとかのおもてなしもあった。


東京のダチから連絡があり、『東北行くなら、1回東京寄りなよ。焼肉くらい奢るよ。』って焼肉の誘惑に誘われ、北陸自動車道はやめ、名古屋回りの東名へ。


東京のダチの家に着くと、CDラックがグシャグシャに…

『何かあったと?』と聞くと、『テレビ見てないと?』『いや、ずっと車の中やったけ見てないよ。』と言うと、

『オレから電話あって良かったね。今日新潟でスゴい地震があったんよ。オレの電話なかったら、山形に辿り着けてなかったやろーね。』


……新潟中越地震の日だった…


その連絡がなかったら無事山形に辿り着けてなかっただろう。

助けてくれたけど、焼肉は奢ってもらった(笑)

金なかったけね。


翌日、別れを告げ東北へ。

まだ21歳の春の話。


…続きはまた後日………