「頑張っていますか?」
と聞くと怒りを買うか、もしくは謙遜的態度でまだまだ頑張りますと返ってくるかもしれない。
「遊んでいますか?」
と聞くと遊んでるよー、とか遊べてないーとか、実際のその人の現状が返ってくる。
じゃあ、
「幸せですか?」
「眠れていますか?」
どうだろう。
日本人は国民性として勤勉さを誰しも持っていると思う。
不眠もうつ病もその勤勉性的なものを少し反映しているような気がしなくもない。
頑張っていない人などいない。「あいつは頑張っていない」とか「シアワセなやつだ」とか、そんな意見はまったくもって失礼である。とあたしは常々感じている。
みな各々頑張っている。何かに。その対象は目に見えるものかもしれないし、目に見えないものかもしれない。だがそれを他者が主観的に判断するのは間違っている。頑張っているのだと、そう認めることから始まることの方が多い。
個人的な関心で、不眠とか睡眠障害について読んだり見たり聞いたりすることが多いんですけれども、今読んでる本でちょっとまた色々考えさせられたんだよね。
まぁ個人の生育環境がどんなものだったかなんてのは他者からはヒアリング以外には全く分からんし、多分ヒアリングしたとしても想像の範囲でしかないから、疑似体験とでも呼べる域から出ることはなくて、分かるかと聞かれたら胸を張って分かるとは答えられないのが正直なところだと思う。
でも眠れないです、って人…あたしの周りにも何人かいます。
今読んでる本には社会的に成功したのに命を絶ってしまった人の例とかが出てくる。
お金と名声手に入れて彼らはどこへいったのだろう?
霊感なんてないけどさ、もし彼らと会話する機会なんてのがあったら一度問うてみたい。
「生まれ変わるとしたら、どんな人生を歩みたいですか?」
シアワセですか?笑えていますか?腹の底から。
ご飯を食べていますか?味が分かりますか?美味しいと感じますか?心の底から。
何気ないアタリマエのようなことだが実はとっても重要なんだ。
学生時代にもよく考えたけども、正直アタリマエなんて無いと思う。広く共有されたパターンってだけでしょ?
常識は人を一定の型にはめて統制するのに役立った。アタリマエはヒトニナラエ。主の流。
朝起きて夜寝ることは夜勤の人にはアタリマエではない。三食しっかり食べるのはそう信じている人。
新しい言葉が生まれたらみんな面白くなって使う。なんだか馴染んでくる。乗り遅れたら「時代遅れ」
むかしよく口実に使った。「○○が欲しい!だってみんな持ってるもん!」その価値もよく分からずに。
勿論だけども否定的な意味ばかりではない。いい意味が沢山ある。
みんなやっているから理解できることもある。だからこそ、ここで問うてみたい。
あなたのアタリマエは何ですか?
あたしは学業で心理学かじってました。多分精神分析が一番近い感覚だと思う。
なんで、まぁそういうバイアスがあることは事前に述べておきたいと思います。
モラトリアムなんてかっこよさげな言葉でくくちゃってさ、猶予だとかいってなんだか過ごしてきたけども…果たしてじゃあそれのいきつく先ってどこなんだろう?猶予が切れるのはいつなの?それは強制的に切られるものなの?誰が判断するの?どう判断されるの?てかそもそも良いことなの?悪いことなの?はたまた、仕方がないことなの?
分からないことだらけ。
さっきの話に戻るけど、社会的に成功して命を絶った人をどう解釈すればいいんだろうか。
もっと突き詰めて、「眠れない」と述べる人をどう解釈すればいいのだろうか。
まぁ自分自身をも含むんですけどね。内容的には。
眠れないときもある。でもそれ以上に昔は目覚めない、の方が問題だったけど。
死んだように半日以上眠ってずっと目が覚めないとか。一日を睡眠に費やす的なイメージ。
不安と緊張にかられて夜眠れない。なんだか分からない焦燥感。寝ても覚めてもなんか考えてる。
効率が悪いことが苦手で、何もしていないボーっとした時間が苦手で、なんかしなければと焦る。
まんま自分でした。笑
シアワセってなんだろね?どうあることが幸せなんだろう?
隣の芝は青いとかいって比較して嘆く今現在に生きる我々は結構幸せだったりするんだろうか?
頑張る頑張るって、何に頑張っているのか?あたしの周りは完璧主義者が多くて、自分の思う通りにできるように日々自分の精神と肉体をそこに全身全霊注ぎ込んで心身ともにやつれていく人たちがいます。素敵なんですよ、頑張れるって。それだけの情熱もってそこに向かえるんだからね。でもじゃあ「しんどそうだから60%の力で頑張る程度にしてください」ってお願いしてもそれは出来ない。本人はそれぐらいでやっているつもりではたからは120%振り絞っているように映る。
シアワセですか?ならばそれも良いでしょう。
あなたのシアワセ、どこにありますか?
永遠のテーマだね。なんのために生まれてなんのために死んでいくのか。
なぜ勝手に生まれ落ちて、日々感謝して生きるのか。なぜ人を愛し、またそれを繰り返すのか。
いいこといっぱいあるつったって、しんどい人には伝わらない。
もっとしんどい人がいるよつったって、そんなことどうだって良さげ。
頭ではわかってるのに、納得できないことだってあるよね。
すべてが恐ろしく思えてくる。自信が無いから。
自分には出来ないんじゃないか、大きなへまをするんじゃないかって足が竦む。
一回の指摘がなぜかずっと心に刺さっている。どうも気になってしまう。
気にするなと言われるとそう出来ない。指摘した相手の楽しそうな笑顔にまた傷つく。
自分なんかがと思って存在の意味が分からなくなる。意味を求めて彷徨って無にいきつく。
けど結局なんにも出来なくて、息をして涙を流す自分に命を感じて無気力になる。
どんな形にもなれない自分に嫌気がさす。でも日は上りやがてまた沈む。
エンドレスループ。「ダメだ」と「怖い」と嫌気だけが募る。
なんで意味求めんだろうね。なんで自らの思考に自ら苦しみたがるんだろうね。
「ネガティブだから」を言い訳に、あたしはずっとその空間に癒しを感じてたんだろうか。
はたまた、逃避(防衛)していたのだろうか。
「同じ人生ならプラスに生きた方がよっぽどいろんなことを感じられるよ」
肩の荷が降りた気がした。いっそのこと頑張る方向性を変えてみた。
せかせかと効率を求めて動き回ることを諦め(る努力をし)た。だらだらしてみ(る努力をし)た。
一般の道を歩むことに躍起になることを辞め(る努力をし)た。自分の道を歩い(てみるようにし)た。
結局生まれて育って成人もすれば自己責任で生きていくんです、みんな。
それが常識とされてアタリマエとなっている。あたしもそれは反論せんよ。
じゃあ同じ人生どうしようどうしようって悩むくらいなら、自分の身の丈にあった自分のやり方でやればいいじゃん、て。
迷惑をかけます。恩恵を受けて生活する時間がきっと長いです。
申し訳ない気持ちも罪悪感も皆無かと聞かれたらNO。でも恩返しの気持ちにYES。
腰が低いなんて言い方をしたりする人もいるけど、感謝の気持ちを忘れずに生きると見えなかったものが見えてくるように思うんだ。
他人を欺けても自分の心は欺けない。偽りを重ねては何事もうまくいかない。
他人に偽り続けてもバレたらそこで関係が破たんする。心を偽り続けたらいつか精神が破たんする。
誰も恨まない、と誓えるだろうか?今の生き方、あり方で。
たかが20年とちょっとしか生きてないですけども、あたしは後悔も恨みもしたくないなって思う。
ツラいことは沢山あるけど、笑顔忘れたくないな。あたしのシアワセはきっと人との繋がりにある。
下手くそだし不器用だしバカですよ。大した能力もないしね。
社会適応能力なんてどうなの?美味しいの?みたいな感じかもしれん。
そりゃバリバリ働いて稼いでキャリアアップして、とかめっちゃかっこいいやん!素敵やん!と思う。
稼いだお金であれ買ってこれ買って、みたいな想像はめっちゃ夢膨らむよ。そりゃあな!笑
まぁでもあたしには違ったんや。そこにはなかったんや。きっとね。
悲観するわけでも諦めるわけでもない。
ただ頑張る方向性を変えてみた、というだけのことです。
自分の、自分だけのシアワセを追求することをおこがましいと思って恐れていた。
人のために、人の役に立たないと存在する価値もないと思っていた。
でもそんな優れた人間でもないから人のお役に立つ前にまず自分がどうにかなれよってさ(笑)
感情豊かだね、って言われるようになった。喜怒哀楽を表現することを恐れなくなってきた。
あんなに強張った表情でニコリともせずに真顔(仏頂面)で生きていたわたしが。
貪欲なのに変わりはないよ!でも貪欲であることを認め受け入れて欲の対象を見極めてみた!
あたしはこれでいいんだ、って。試行錯誤だけど、少しずつ、より自分らしい、というか自分の考える「人間らしい」に近づけていってる気がする。
人は変われます。良いようにも悪いようにも。多くはその人の心次第で。(もちろん難しいけども)
眠れない仲間たちが眠れないことに苛まれる日が少なくなるといいな
僕たちはいつだってそう、sleepless beast.